32.三人
ヴォルガはルネの波止場に着くと、ランドリーカートを押すハーゼと共に、早足で街へと向かう。
だが、そんな二人の歩みを阻んだのは、二人の制服組だった。
「つれないな。何故私をのけ者にする?」
挨拶代わりにそう皮肉ったのは、≪剣竜の現身≫の長であるラウエ=ミゼル・ダークロウだ。彼女はタバコを口に咥えたまま、煙を吐いた。
そして、その隣にいる老年の男は、ロイヤルガードのグンジ・ミストレイ。
「残念隊長に耄碌爺だ? 最低の組み合わせじゃねえか」
ヴォルガがそうせせら笑うと、隣のハーゼが辟易といった声色で抗議の声を上げる。
「つーか、のけ者って何です? 別に飲みに行くわけじゃないんですけど? この荷物見りゃわか――」
ダークロウが抜いたサーベルは鋭い煌めきを放ち、一秒かからずにランドリーカートの側面を丁寧に斬り剥がす。
緑色のカバーが遅れて捲れ落ちる頃には、彼女はサーベルを鞘に納め終え、その手の指でタバコを挟んで口から離していた。
ランドリーカートから白いシーツが剥き出しになる。支えが斬られ、重さの拠り所を失ったそれらは、崩れ落ちるようにしてカートから溢れ出す。
「――!」
そして、ダークロウとグンジは目を剥いた。クロードの死体が隠されていたことに。
ぶちまけられた中身を一瞥し、ヴォルガは吐き捨てるように言う。
「何してくれんだ? クソアマ。そんなんだから婚期逃すんだよ」
「立派なセクハラなんだよなぁ。で? 隊長は隊長でどういう了見なんです?」
「……悪かったよ」
ダークロウはばつが悪そうに頭を掻いた後、胸元から携帯灰皿を取り出してタバコを揉み消しながらヴォルガを半眼で睨む。『まだ適齢期だ』、と小さく付け加えた。
「ハーゼ、≪ウルトラシング≫で何が起こった? ロイドは何故死んでいる? ルアノ様はご無事でいらっしゃるのか?」
グンジは巨躯に似合わぬモノクルを光らせ、ハーゼに訊いた。
彼の顔は傷だらけで、その禿げ上がった頭頂部にまで大きな十字を作っている。蓄えた髭から覗かせる割れた顎など、とてもハーゼと血縁関係にあるとは思えない。
「一度に訊きすぎだろ爺さん。マゴコンも大概にしとけ。俺が全部教えてやっからよ」
「黙れ、シンクェル。貴様は今、ロイヤルガードとして規定を犯した嫌疑が掛けられている身分だろう。報告しろ、ハーゼ」
軽口を叩くヴォルガを、一睨みするグンジ。
老兵の枯れた精力に気後れするヴォルガではない。逆に、ヴォルガが若輩者であった頃からの先輩であるグンジには、歯牙にも掛けられていないような手応えのなさを感じてしまう。
「はい。クロード・ロイドは≪ウルトラシング≫をジャックした犯人と交戦し、その凶弾に倒れたと第四部隊の国立兵より報告を受けております。ルアノ様が――、というのは、私には何のことか一切存じ上げません」
慇懃に、よどみなくハーゼは答える。ほとんど出鱈目だが。
そして、グンジがその答えに疑問を持った様子は全くない。
だが、ヴォルガにはわかる。
グンジがハーゼを訝しむ態度をみせないのは、ハーゼが嘘を吐いていることを確信しているからだ。
「よろしい。では次だ。貴様は何故シンクェルと行動を共にしている?」
「ヴォルガ・シンクェルはクレイス・ルーベにより、ルアノ様の脱走に関して濡れ衣を着させられています。私は彼の無実を証明すべく、ホガロにて合流し、行動を共にしている次第でございます」
「シンクェルの嫌疑を晴らそうという貴様が、≪ウルトラシング≫を追っていた警備隊のクジラに乗船した経緯は?」
「別件で≪ウルトラシング≫に潜入中のクロード・ロイドより、シージャック犯への対応の応援要請がありました」
ふうむ。とグンジが唸る。
二人のそんなやり取りを見つつ、ダークロウは口元にいやらしい笑みを浮かべていた。
その趣味の悪さに鳥肌が立ち、これは誰も貰わないだろう、とつくづく思うヴォルガである。
「それはおかしいな。海上警備隊のクジラはロイドからの応援要請で動いたわけではない。にもかかわらず、どうしてお前らはそのクジラに乗ったのだ? シージャックが発覚したのは、警備隊のクジラが出航した後のはずだが?」
「それは誤りでございます。≪ウルトラシング≫出航後に何者かによるシージャックの密告があり、それを受けて警備隊が出動した。これが正しい。それとは別に、我々はクロードから応援要請を受け、警備隊出動を聞きつけて間に合わせるようにクジラに乗船したのです」
鋭いグンジの指摘に、ハーゼはそれでも詰まることなく弁明する。
――だが。
「その直前にあった密告とやらに、『シージャック』という表現はなかった。ただ、『爆弾が積まれている』という内容だったはずだ。そして、その密告したという何者かというのは、貴様のはずだが?」
「それは、確かにおかしいですね」
ハーゼはそう一驚してみせた。
「匿名でタレ込んだはずですが、どうして私だとわかってしまったのでしょう?」
バレてやがる。
とヴォルガは胸中で悪態を吐いた。
確かに、海上警備隊に適当なデマを流したのはハーゼである。これは警備隊のクジラを、クロードとルアノがいた≪ウルトラシング≫に向かわせるため、密偵を通じて信憑性を高めた虚偽の報告だ。まさか、本当にシージャックが発生するとは思いもよらなかったが。
怖ろしいまでに速い彼らの情報収集能力に、思わず舌を巻いてしまう。
やはりクロードからの連絡は盗聴されていたと考えるべきだろう。おそらく、ルアノがルネにいることもバレている。
これだから、身内が敵に回ったときは面倒臭い。
だが、ヴォルガの見立てでは、まだ上層公安局の対策本部は大っぴらにルアノの包囲網を敷くことはできない。
おそらく、今頃は≪魔剣≫の持ち去りが明らかになり、ルアノがそうした理由に考えを巡らせて慎重になっているだろう。
ならば、下手に情報を下に流すことを避けようとするはずだ。
まだ彼らも、誰が味方で誰が敵なのか、見当がついていないのだ。信疑の狭間で彷徨っている。
誰よりも先んじてルアノに接触した、自分達ラアル組がアドバンテージを握っている。
問題はこの事件の本質が全くみえないことだ。何が問題なのかさえわからない。
一体、ルアノは何を知ってしまったのか?
そして、アルバーニアとデュザレイドジュニアを信じる、ルアノの賭け。
――少し。ほんの少しの間だけ、テメエらを頼ってやる。
「もういい。わかった」
ややあって、グンジは首を横に振り、ヴォルガとハーゼに告げた。
「貴様らを連行する。大人しくついて来い。悪いようにはせん」
***
「……ビッショビショ、なんですが」
「……一応、財布は死守したから、服の替えを買ってやる」
「……ありがとぉ、ございます」
ルネの波止場からやや離れた場所に位置する海岸部で、リュウ達はその身を凍えさせていた。
原因はといえば、海上警備隊のクジラからルネへの、およそ一キロ弱の遠泳だ。
おかげさまで服が完全に海水を吸い込み、全身びしょ濡れ。潮風の煽りも相まって、リュウ達三人は今、とても寒い思いをしている。
遠泳が開催されたのは、クジラがルネの波止場へと到着する、数分前のことである。
ヴォルガはリュウに鎖で縛られた不思議な剣を渡すと、ルアノに指示を出した。
窓から海に飛び出して、なるべく波止場から離れた位置まで逃げろ、という頭がどうかしたとしか思えない指示を。
ミストレイとヴォルガは、彼らが使っている密偵からの連絡により、ルネの波止場で自身らに対する包囲網敷かれているという情報をぎりぎりで察知したのだ。
『殿下がロイヤルガードのヴァネッサ・メロードルと合流するまでの間、護衛を任せたい。正直嫌だが、頼む』
ヴォルガはそうリュウに言った。
あれだけリュウを邪険に扱っていた彼が、リュウに託したのだ。
やむを得なかったのだろう。何せルアノはカードを使えば足がつく。ヴォルガとミストレイのカードも、これからはおそらく使えない。
金銭的な問題で、リュウに頼るしかなかったということだ。
「ヴォルガさん、大丈夫なのかよ?」
「たぶん。ラアル、私の弟が、何とかすると思う」
ヴォルガは現在ルアノの王城脱出を幇助した疑いで、追われている身であったという。ルアノにまで捜査の手が伸びないように、彼はミストレイと共にあえてルネの波止場の包囲網がへと向かったのだ。捕まることをわかっていて。
「それに、ヴォルガの話だと、さっさと捕まらないと処分を受けられないってことだったから、都合がよさそう」
「“上層縛り”から抜けるために、濡れ衣あえて被るとか、オメーらマジでイカれてるわ」
「イカれてる人に言われると、流石のうちの人達も心外だと思うんだけど」
「お前が今日から、そのイカれてる俺らのお守りをするんだぞ?」
「何でシロノが含まれてるの? ……シロノでいいよね?」
シロノはルアノの問いに、黙って頷いた。
どうやらルアノほどのお馬鹿からすると、シロノの方がリュウより幾らか頭がまともにみえるようである。リュウからすれば、そちらの方が心外だ。まあ、ルアノの考えなので気にすることはないのだろうが。
「とにかく、マジで必要なモノ以外、全部海に棄てちまったんだから、買い物しねえと」
「こんな有様じゃ、お店入れないかも」
「んじゃ、乾くまで待つか?」
「風邪引いちゃうよ……」
遠泳の邪魔になる物を全て破棄したため、リュウ達の所持品は少ない。
ルアノは布巻の代物――おそらく例の≪魔剣≫と、クレイモア。その二つをキープしたまま泳いだのだから怖ろしい。
シロノは手ぶらであり、彼の獲物である刀は≪ウルトラシング≫の個室に置き去りである。
リュウも同様に獲物はないが、絶対に財布は無くさぬように、しっかりとズボンの中に入れておいた。そして、ヴォルガから渡された剣。これも無事だ。
『おい、何だよコレ?』
『そりゃ、御守りだ』
そんな意味深な言葉をリュウに残し、ヴォルガは去ってしまったものだった。




