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この異世界の救いよう  作者: 山葵たこぶつ
第二話 行き倒れ王女と信疑の鯨
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31.手助けの理由

 窓から見た景色は、どこまでも続く広大な海。

 異世界に来て間もないリュウには、その大きさがどれ程のものなのか想像もできない。


 だが、よくよく考えてみれば、元の世界でも海の広さのことなど気にも留めなかったと思い直す。リュウは苦笑しながら、果てしなく続く、朝焼けに照らされた水平線を眺めていた。


 その先には、一体何があるのだろう?

 そんなことを、子供の頃も一度だって考えたことはなかったはずだ。

 この歳になって、ようやくそんな疑問を抱けた気がする。

 リュウは自分が少しだけ人間らしくなったのではないかと錯覚した。


 ――錯覚。そう錯覚だ。


 抱けた気がする。気がするだけ。

 その実、リュウは抱かされているのだ。


 ≪摩天楼≫という何処かもわからぬ場所を探し、そこに何があるのかを突き止める。

 それは広大な海の向こう側の景色に思いを馳せる、冒険心と似通ったところがあった。


 だが、リュウはウィルクを元に戻す為に、ただ必要に迫られてそうしているだけである。これは純然たる冒険心とは違うものだとリュウは確信している。すなわち、リュウは冒険しているのではない、させられているのだ。


 エンジュ・スレイマンのことを思い出す。

 彼の登場は、リュウに一つの事実を突き付けるものだった。


 リュウは今、誰かが造ったゲームをプレイさせられている。


 それは、デュザかサレイネか、まさかウィルクか、あるいはその裏側にいる更なる怪物なのか。

 何処の誰が主催しているのか知らないが、リュウは感謝していた。

 そして、混ぜてもらったからには、親には悪いが勝たせてもらう。


 ≪摩天楼≫を海の向こうに喩えたが、どんなに果てしない道でも一歩ずつ近づいていくしかない。そして今、リュウは再びコマを進めるチャンスを得た。


 ――十分間だ。


 リュウはクジラがルネに到着する、残りの十分の間、シロノを含めてルアノと三人だけで話す機会を与えてもらったのだ。

 ヴォルガとミストレイは表の廊下で見張りをしている。


「色々、ありがとう。リュウ」


 ルアノは窓の外を眺めているリュウに呼び掛けた。

 振り返ると、ルアノは床に体育座りをしながら布巻を抱きしめている。


「俺はロクなことしなかったろ」


「リュウがそう思ってても、わたしは嬉しかったからさ」


 ルアノははにかみ、目を逸らしながら、右手を首の後ろに回した。

 そんなルアノの前に、リュウは腰を下ろした。


「あのなルアノ。今こうして時間を作ってもらったのは、訊きたいことがあるからだ」


「何だろ? わたしに答えられたらいいんだけど……」


「ハウネル王国上層特務大臣――、シグワルド・サレイネのことだ」


 リュウがその名を口にした途端、ルアノは僅かに目を見開いたが、ややあって口を開く。


「そっか。リュウにとっても、何か因縁ある相手なんだね」


「サレイネが言ってたのを、俺は確かに聞いたんだ。『実験』だの『≪摩天楼≫』だの『人類の進歩』だの。尋常じゃなかった。王城の下にある施設で、ヤツは異教徒と組んで何かを企てていて、その何かに≪摩天楼≫が関係してる」


 ルアノの鈴のような緋色の瞳が大きく揺れ、彼女の驚愕を示した。


「それ……、それは……≪赤の預言≫と」


 口をぱくぱくと動かすルアノ。

 だが、間もなく俯いて、口元をきゅっと結ぶ。


「リュウが≪摩天楼≫を目指してるのは、サレイネがそう言ってたから?」


「ああ、そうだ。俺はその企てを暴かなきゃならねえ。知ってることがあったら教えてくれ」


 ルアノは口元に手をあてると、黙り込んでしまう。

 そして、ルアノは力なく首を横に振った。


「ごめん。そういう意味でなら、リュウはわたしよりサレイネのことを知ってる。わたしがサレイネについて知ってるのは、不穏な動きをみせてるってことだけだし」


「不穏な動き?」


「ちょうど最終選抜ぐらいの頃に、サレイネは上層に黒服組を招き入れて、何かやってたみたいなんだよ。ハーゼが色々調べてくれたんだけど、王城の下にある施設――多分リュウが言ってるところから、古い記録を整理するって名目で」


 ――名目。


 おそらく、その見方が正しい。サレイネの口振りからして、黒の棟で行われていたのは、単なる記録の整理だけではないはずだ。


「あと、サレイネは辞官して十二連盟の管理委員会に入るって」


「何だそりゃ?」


「わからないけど、わたしの弟がヴェルハザードっていう管理委員の人から直接聞いたんだよ。どうやってかはわからないけど、サレイネはもうすぐ委員会に籍を置くし、委員会の方もその準備があるって」


「そーいや、移籍の噂が立ってるっつってたな……」


 そこまでわかっておきながら、それが何を意味するのか全く理解できないリュウである。


 誰か有識者の力を借りるしかないのか。だが、リュウには頼れる人がない。

 ≪摩天楼≫の在処(ありか)と同様、これは一つ大きな課題としておくべきだろう。


 ルアノが言っていた≪赤の預言≫。


 それとやはり繋がりがある?

 『世界の滅亡』とルアノは言っていたが、そんなことが実現してしまうのか?

 そんなことをして、サレイネに何の得が?

 誤爆? 『実験』とやらの?


 行き詰まりを感じ、リュウは考えを更に広く展開させていく。

 問題はサレイネの目的だけではない。


 もし事が大きくなった場合、それはリュウにとって好ましいことではない。お偉い方が動くとなると、下手をしたらリュウの行動は制限されてしまうかもしれないからだ。


 もしウィルクにとって不利な事実が発覚したら?

 壮大な勢力争いが生じたとき、リュウにどうこうする術があるのだろうか?


 ――考えすぎだ。


 “うっかり”と勢力争いにおける不利な立場に陥るほど、間抜けなウィルクではなかろう。

 あるとすれば、“うっかり”ではなく、文字通り確信的に事件に関わっているという可能性だが、そんな政治的な思想を持っているような少年ではないはずだ。

 もっとも、これはあくまで、リュウが勝手にウィルクに対して抱いている印象でしかないが。


 黙りこくっているリュウに、ルアノは少し慌てた様子で口早に言う。


「あ、あのさ。わたし、今は何もリュウの力になれない。けど、シェイリスに届け物をして、預言の回避を確定させたら、きっと次はサレイネが何を考えてるのかを皆で探ることになると思うんだ。そのときになったら、≪摩天楼≫のこともわかるはずだよ」


「ん? そうか。そうだな……」


 ルアノがサレイネを怪しみ、探るのならば、必然的に結構な大きさの勢力がサレイネについて調査を始めることになりそうだ。それも、あちこちが。

 もしルアノがリュウに対して逐一報告してくれる約束をしてくれるなら、リュウはそこまで無理をして≪摩天楼≫を探す必要などないのだろうか。


 だが、それはそれで、王女の権力を過信し過ぎのような気がするリュウである。

 現に、今のルアノはサレイネを怪しみつつも、実のところ大したことはわかっていないようである。

 ≪赤の預言≫に目を向けすぎて、まだサレイネに対して本腰を入れた捜査をしていないだけである可能性も否めないが。


 ――結局、リュウが進んだ一歩は、やはり小さな一歩だということか。


 しばらく考えにふけり、そうリュウは結論づけた。

 裏ではルアノという心強い味方が動いている。ただそれだけが、わかったことだ。


 ならば、これからリュウが取る行動は変わらない。

 ≪摩天楼≫を探すため、今度はシェイリスに行く。


「だからさ、リュウはもう無理して旅する必要なんて、ないよ」


「何?」


 唐突に放たれたルアノの言葉に、リュウは意識を彼女に戻す。

 その大きな瞳は、弱々しく揺らめく灯火のようで。


「だって危険だよ……。もしかしたら、サレイネは、≪摩天楼≫は、テレサよりヤバいかもしれない……」


 今にも胸が詰まりそうな声。


 ――彼女は、クロードの遺体を見つめていた。


「――クロード。わたしが、わたしが間違えなければ、こんなことにならなかった」


 ルアノは涙を流さなかった。

 決して弱々しく震えもしていないし、俯いて前を見ることすらできない様子もない。


 だが、その胸の内にはどこまでも深い悔恨が刻まれているのがわかる。


 彼女の唇は出血していた。確かに噛み傷を付け、発する言葉と吐息に朱を滲ませていたのだ。


 リュウは識っている。

 そんなとき、人がどれほどクソな思いをしているのかを。


 リュウがルアノをそそのかさなければ、そしてルアノがそれに乗らずに警備隊のクジラに移乗したならば、クロードに違った未来もあったかもしれない。


 より好い可能性を強く思ってしまい、いよいよルアノは自責の念を口に出してしまったのだろう。

 そして、そんなルアノに同調するように、リュウは敗北感に胸を押し潰されて思い出す。

 どうして、自分がルアノに手を貸そうとしたのかを。


 リュウの胸中が、どす黒い何かでいっぺんに塗りたくられて穢される。まるでバケツでぶちまけたかのように、勢いよく。


「そうかもしれないな。俺だって、自分に責任を感じてねえわけじゃねえ」


 気が付けばそんなことを口走っていた。


「けど、俺らが罪悪感を抱いても、クロードさんは浮かばれねえ。アイツは立派に自分の意思で戦った。お前を護り抜くことを選んだんだ。死を悲しんでもいい。だが、無為に後悔するのは駄目。アイツの為も前を向いて強く先に進まなきゃならねえ――」


 そんな風に。


「――クソみてえだろ?」


 リュウは(わら)った。腹の底に、屈辱と怒りを蓄えながら。

 それは自嘲であり、クロードを棄てた世界に対する侮蔑でもあった。


「クロードさんは死んだ。だからアイツを立てなきゃいけねえ。確かにアイツは大した騎士だったよ。手放しでスゲえと思う」


 ルアノは黙ってリュウの言葉に耳を傾けている。


 ――それはある種の懺悔のようで。


「残された、助けられた俺達は、ヤツの死を決して無駄にしたらいけない決まりが出来た。ヤツの死を糧にしなきゃいけない決まりが出来た。そいつを違えることを、たとえ死んだヤツが許そうが、この世の中の正しさ(・・・)とやらが許さねえ」


 リュウは天井を見上げた。

 薄汚い古びた電灯が、陽が窓から差し込み始めた今も弱々しく灯りを放っている。

 その光が赤くみえるのは、紛れもなくリュウがその胸中にやり切れない想いを抱いているからだ。


 あまりのおぞましさに、リュウは胸がつかえるのを必死で堪える。

 リュウは並べ立てたヘドロのような綺麗事から、逃げることができないのだ。おそらく、これからずっと。

 その事実に、冗談でも何でもなく全身が総毛立つ。


「そんな風に、俺達はクソみてえな現実を丸めて飲み込むしかできない。我慢だ我慢。全部全部全部、俺らがゴミだからだ。ルアノ、お前定食屋で訊いたよな? 何で自分を助けるのかってよ」


 リュウは、ルアノに視線を戻す。

 彼女は僅かにリュウに怯えた様子をみせながら、頷いた。


 それをみて、言い放つ。それがリュウの(こたえ)だった。


「――俺はただ、こんな弱いヤツになりたくなかっただけだ」


「リュウ……」


「こんなクソみてえに惨めな思いを、もう一度だってしたくなかっただけだ」


 ――自分のためだ。


 弱くなりたくなかった。ルアノに何もしてやれないのがイヤだった。

 そんな自分を振り返って後悔して、クソみたいな思いをしたくなかった。


 ただ、それだけ。

 それだけが、リュウがルアノに構った理由。


 そして、ウィルクの意識を呼び戻そうと、懸命に足掻いている理由。


 リュウは寝そべった。思い切り腕と脚を放りだし、大の字を作る。

 再び天井がその視界に映るが、今度はどうしてかその色を失って、味気なくみえてしまう。


「――強くなりてえ」


 そう呟いた。リュウの全てはこの一言に集約される。


 真摯な願いのはずだった。ただひたすらに、他には何も要らないまでに、リュウは強く在りたかった。


 だからこそ、リュウはここで旅を止めたくない。

 アルフィとの約束は自らの手で果たすし、ウィルクが消えて自分がこの異世界に来た意味を、いの一番に自分が暴く。


 それが――。


「俺は旅を続けるぞ。それで、取り戻すんだよ。それが俺の、強くなるための“やり方”だ」


「強くなる、……リュウの“やり方”」


 リュウは大の字の体勢のまま、一気に起き上がる。


「いつまでもクソ弱い自分をイジメ続けるわけにゃいかねえしな。そう思っていきなり悟り開けるわけじゃねえから、しばらく後味悪い思いすんだろうけど、いつか――」


 ――乗り越えられる。


 リュウは右手を握り、それを見つめる。


 そう思わずに、どうしてやっていける?

 いつかいつかいつか。


 ――誰だってそうだろう。


 失敗、後悔、羞恥、無力感。

 世界に、自分に、嘔吐するほどの嫌悪感を覚えたとき、どうして何もかにもがクソに思えるのだろうと自問を繰り返す。


 そして強さを求めるが、この救いようのない世界は、決してすぐには力も機会も与えてはくれない。

 『今すぐだ!』と慟哭する心を必至に諭し、少しずつ“いつか”に向かって自分で歩むしかないのだ。


 “その瞬間”を信じずして、疑って、乗り越えられるまで進めるはずがない。


「わたしも、強くなりたい」


 ふいにルアノが言った。

 顔を上げて、リュウを見据えている。その瞳は、先程までのか細い灯りのようなそれではない。


「そう決めたら、あとは我武者羅(がむしゃら)だ」


 ハ、とリュウは声を上げる。


「もう誰にも遠慮してる余裕ねーぜ? 俺にもヴォルガさんにも、サレイネにも、クロードにも。この先、お前のやり方で戦い抜くんだ。そして成し遂げたとき、きっと思う」


 リュウは両の拳を握りしめながら、中空を見上げて刮目する。


「あぁ、なんて自分は強いんだろう……。格別だぞ?」


「リュウ!? 眼がヤバいよ!?」


 リュウがよほど気持ち悪かったのだろう。ルアノは顔を崩壊させて戦慄していた。

 が、ややあって、その口元を僅かに綻ばせた。


「でも、そうかな。わたしの思うように戦っても、きっといいんだよね」


「たりめーだ。救いようのないイカれた世の中が。手前(テメエ)の勝手にやらせろってんだよ」


 リュウが吐き捨てるように言うと、ルアノは吹き出した。


「イカれてるのはリュウだけどね」


「言ってろ」


 ルアノは布巻を抱きしめて、それを見つめる。

 それは、おそらくルアノがシェイリスへと運ぶもの。上層で管理されてはいけないという例の魔剣(もの)


「世界を救えよ。ルアノ。それがオメーのやり方で成されたとき、きっと……俺も嬉しい」


 ――嬉しい、のか?

 なんだそれ。


 そう零してしまったリュウに、ルアノはきょとんとした表情をみせる。

 そして、彼女は首を捻った。


「おかしいなあ。ふつう、信じないと思うんだけどなぁ……。世界の滅亡」


「いや、俺も別に信じてるわけじゃねえけどな? 世界の滅亡」


「なにおぅ――?」


 リュウはゲームタワーで多くの勝負を、多くのやり方でものにしてきた。

 ときにはリスクを削りに削って負ける確率を下げ、ときには人が聞いたら呆れるような奇跡を信じた。


 そうやって、勝ってきたのだ。


 だからリュウは――。


「とにかく。俺はお前が何を信じようが、笑いやしねーんだよ。わかれ」


 一瞬、ルアノは何かをぶつけられたように、顎を軽く上げて瞳を見開いた。

 そして、それはほんの一瞬、煌めく。


 隠すように、ルアノはくるりと背を向けた。


「あーあ。バカだなーわたしは」


 ルアノは両手を腰に当て、上を見る。


「おかしいわ。この人おかしい人だわー。ちゃんと話して理解しようとか無理があったわー……。いい人も、悪い人もないよ。こんな、でたらめなやつにさー」


 そんな彼女に、リュウは口元を吊り上げた。


「マヌケが」


 ケッとあざ笑い、吐き捨てるように言ってやった。


「ようやく気が付いたか。己の浅はかさに」


 リュウとルアノ。

 二人がそれぞれ互い対して、そして己に対して抱いた葛藤に、けじめをつけるのを認めたかのように。


『ポーン』


 とクジラが間もなくルネに到着する旨のアナウンスが流れた。



***



「オイ。もう降りる準備するぞ。実体化しろ」


 リュウの呼び掛けに、空気を読んで透明感を増していたシロノは、ゆっくりとその存在にリアリティを取り戻していく。


 忍の者かテメエは。


 そんな器用な芸当をみせたシロノに、リュウは苦笑しながら胸中思ったものである。


 ――ガチャッ!


 乱暴に扉が開かれ、ヴォルガが室内に入ってきた。


 彼の手には、リュウのよく知るブロードソードほどの長さの剣が握られていた。

 その鞘には、水面に浮かぶ波紋のような斑模様が蛇の皮のようにあしらわれ、見る者をどこか倒錯した背徳感に陥らせるような不可思議な魔力を携えている。

 奇妙なことに、柄は鞘から伸びる鎖によってがんじがらめに結ばれており、本来の剣としての役割を損なわせる(なり)をしていた。


 ――え? 封印?


「殿下。少し厄介なことになりました」


 サングラス越しでもわかる。

 緊迫した様子でヴォルガが早口に言った。


「またですか……。てか、ヴォルガそれ……」


 ルアノはげんなり声を上げた後、ヴォルガの持つ剣に言及しようとした。

 だが、そんな彼女をよそにして、彼はリュウにずかずかと近寄る。


「アルバーニア」


 そう呼び掛けて、ヴォルガはリュウの胸に剣を握った拳を突き付けた。


(はなは)だ不本意だが、お前に頼みたいことがある」


 背の高いヴォルガの顔を見上げる。

 その表情をみて、リュウは悟った。


 ――ルアノとの(えにし)、そしてこの逃避行(ゲーム)は、まだ終わったわけではないのだと。





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