21.シロノ対エンジュ
「痛つつ……」
リュウはぶちのめしたチンピラが、地に這い意識を失うのを見届けながら、切れた唇から出る血を右手の甲で拭いって悪態を吐く。
「いいの喰らっちまった」
「大丈夫? わたし一人で戦おうか?」
「たわけ」
ルアノの気遣いを、笑い飛ばして意地を張るリュウである。
海上警備隊のクジラへ、我先にと避難を始めた人の雪崩をやり過ごしたリュウとルアノは、≪ウルトラシング≫から脱出する術を探していた。
おそらく乗客達の避難を促すためだろう。見回りをしていたシージャック犯の一味であるチンピラ数人に絡まれた二人は、戦闘を余儀なくされていた。
圧倒的なスピードで敵に蹴りを入れ、遙か向こうまで飛ばしてしまったルアノ。
それに対して、敵のサーベルを躱した際に、一発拳を入れられたリュウ。
どうやら、ルアノの実力を甘く見ていたようだった。シロノを残すよりも、あのままルアノに戦わせた方がよかったのだろう。
「シロノのヤツ、まさか敗けやしねえだろうな……」
「そんなに心配するなら、置いてかなきゃよかったじゃん」
抗議するルアノだが、リュウは首を横に振った。
「お前だけでも、さっさと逃がす方法を見つけなきゃならねえからな」
「それなんだけど、アテあるの? 全然見当もつかないんだけど」
「脱出ルートなら、犯人が用意してるはずだ」
聞き咎めたのか、ルアノがあんぐり口を開ける。
「もしかして、犯人を倒して脱出ルートを乗っ取ろうって言ってる?」
「そうなるかもしれない。交渉できなきゃな」
「危ないって! やっぱり、何とか海上警備隊のクジラにコッソリ忍び込んだ方がいいよ!」
ルアノの言うことはもっともだった。否、もっともでもある。
リュウの理想としては、犯人グループの脱出方法に何とかして便乗する形での脱出だ。
これは、かなり希望的観測が混じった酷な道。犯人と相対するリスクはもちろん、もしかすると連中には、そんなに都合のいい脱出計画などないのかもしれない。
かたやルアノの案は、クロードが呼びつけた仲間に悟られないよう、乗船客に紛れて警備隊のクジラに移乗する方針だ。
これもかなり希望的観測が混じった酷な道。向こうは本来、ルアノを探しに来ているのだろうから、のこのこ移乗すればあっという間にバレる可能性が高い。
「究極の二択だな」
リュウは肩をすくめた。
「かたやシージャック犯。かたやサレイネの手先」
「そうとは限らないじゃん。シロノさんだって、クロードは何も知らずにわたしを保護しようとしたかもって言ってたよ?」
「クロードさんがそうでも、通報を聞きつけた連中が全員味方と思えるか? いや、たとえ無関係な王国騎士だけが迎えに来たとしても、お前は逃げなきゃならないんじゃなかったのかよ?」
痛いところを突いてしまったのだろう。
ルアノは少し顔を俯かせる。
ルアノは上層から一人でここまで来たのだろう。彼女と≪魔剣≫とやらが、どうア・ケートの滅亡と関わっているのか、詳しいことは一切わからない。
だが、ここで日和った判断を下せるほど、彼女が抱えるものは軽くはないはずだった。
「お前が捕まれば、世界が滅びるんだろ?」
そんなリュウの言葉に、ルアノは元々大きい目をぱちくりとさせた。
「それ、信じちゃうの?」
その解を、今のリュウなら彼女に与えてやれる。
ゲームタワーでの戦いを思い出し、あのとき自分の考えを巡らせたリュウならば。
だが――
「さぁてな!」
そう誤魔化して、リュウは床にダウンしているチンピラの頬を叩きまくった。
「オイコラ、起きろ! オイ!」
「ンあぁ――!? いてててて! 叩くな叩くな! わかったから!」
そう叫んで、チンピラはリュウの手を払いながら上体を起こした。
気絶のフリでもしていたのであろうチンピラは、忌々しげに顔を歪めている。
「起き抜け? にワリーんだけど、ちょっと訊きたい」
「何なんだよテメーら!?」
チンピラは真っ赤に晴れつつある頬を撫でながら、リュウを睨み付ける。
「いや、こうやってオメーらをぶっ飛ばしてまわってりゃ、俺らがどういう人間か想像つくだろ? 悪いようにしねえから、質問に答えろ」
「ハァ!? ハッタリかましてんじゃねえぞガキが!」
リュウはチンピラの襟元を掴み、頬をもう一発叩いた。
「変な義理立てなんざ、するだけ無駄だ。“テレサ”はもう終わりなんだよ」
「ッ!?」
そう告げたリュウの顔を、チンピラが刮目。
バチバチッ――!
派手に火花が鳴り響く音がした。
――当たりだ。
『テレサの姐御に穴開けられた方がマシだ!!』
『穴だらけにしてあげる』
この≪ウルトラシング≫で、カタギではない仕事があったと言っていた筋肉男。
そして、彼の“口ぐせの真似”は、見事に犯人の放送と一致していた。
――穴を開ける。
――当てずっぽうだの偶然だのも、ここまでくりゃ運命だな。
リュウはチンピラの襟元にやった拳に力を込めた。
どうやら、このチンピラの顔色をみる限り、主犯はテレサという女で間違いない。
あとは知った風なことを嘯いて、テレサの計画を聞き出すだけだ。
「こんな派手にやらかすための準備が、よそに漏れねえわけねえだろ。もう大体の筋書きは決まってて、あとはテレサの脱出ルートを報告するだけだ」
よくこんなデマが出てくると、自分で思う。
見当外れなことを言っていないか、正直冷や汗をかきながら、リュウは青ざめていくチンピラの目を凝視する。
「マジで、テレサさんやるんだな?」
「ああ」
リュウは頷く。
これはできれば嘘にしたい。シージャックの主犯と戦うのは、最終手段だ。
「……“モグラ”だ」
「モグラ?」
聞き慣れぬ名に、リュウは首を傾げた。
「そもそも≪ウルトラシング≫ってのは、シェイリスの研究機関が調査用のクジラとしてデザインされてたものを、執行役――」
「待て。モグラって何なのか、先に言え」
長そうになるチンピラのうんちくを、リュウは遮って結論に急く。
港町の者だからか、元船乗りだったのか。彼のどうでもいいトリビアは、時間があれば聴いてみたいのだが。
「モグラってのは、海ン中を移動するクジラの亜種だ」
――潜水艦か。
リュウはモグラの特徴を、元の世界にあるそれと一致させた。
「で、そのモグラはどこにあるんだ?」
「それは知らねえ……」
力なく、チンピラは首を横に振る。
「避難用のシャチの前で、テレサ達と落ち合うことになってた。あの女、人質をシャチに乗せて囮にするつもりらしい」
「そりゃ、ハウネルの海域を出てからだよな?」
「当たり前だ! んじゃなきゃ俺らは乗りゃしねえよ! こちとらシェイリスからの難民なんだよ!」
「わかったわかった」
リュウは頭を掻いて、ルアノに訊いた。
「さて、海上警備隊のクジラに乗るか、テレサさんに潜水艦に乗せてもらうか、どっちが逃げられる可能性高いと思う?」
「――は?」
そんなチンピラの間抜けな声が、ルアノの答えを阻む。
「お前、言ってること……」
「ガキのハッタリだって自分で言ってたろ」
チンピラの顔がみるみるうちに茹で蛸よろしく赤くなる。
彼は飛び起きてリュウに掴みかかろうとしたが、その顔面にリュウの右拳を思い切り叩き込まれ、もう一度床にその身を打ち付けた。
ルアノは彼が気絶したのを確認する、リュウに訊く。
「あの、そのテレサって人、助けてくれるの?」
「わからん」
正直、リュウもテレサを信用することなどできない。金で何とか取引を持ちかけるしかないのだろうが、向こうだってこちらを信用しないだろう。
更に言えば、シロノを迎えに行く必要もあり、それまで待ってもらえるとも思えない。
「かなり危険……、勝算は相当低い」
「でも、警備隊の方も低い。――だよね?」
リュウは頷いて、彼女に言った。
「お前が決めるか?」
ルアノは布巻の荷物のベルトを強く握った。
極度の緊張状態にあるのだろう。脂汗が光っているのがみえる。
だが、ルアノはややあって、意を決したようにリュウを見上げる。
「――決めた」
***
これは無手同士の闘い。相手は仮にも密偵だ。加減のことばかりに気を取られると足元を掬われる。
エンジュはゆっくりと重心を傾けながら、攻撃への躊躇いを振り切った。
――一気に攻めきるか。
棒立ちだったシロノの顎を、エンジュの掌が捕らえたのは次の瞬間だった。
だが、シロノはその当たりが芯を打ち抜く僅か前で仰け反り回避。
結果的に、かする形となったエンジュの右手。
シロノの体勢はそこからサマーソルトに推移し、エンジュに牽制しつつ間合いを十分取った。
しかし、その曲芸はエンジュのスピードを甘く見積もり過ぎだ。
エンジュは着地した瞬間のシロノの硬直を狙い、大振りの蹴りを放つ。
足の甲が確かに肉体に入った手応え。
シロノは左腕でガードをしていたが、そのまま通路の壁までぶっ飛ぶ。
そうしてエンジュはシロノの意識を刈り取った。
――そんな油断をしてしまう。
壁に激突したシロノは、己の身が宙に浮いた暇に、壁を足場に天井へと跳躍。そのまま天井を跳ねて、エンジュへと躍りかかった。
面食らったエンジュは、シロノの蹴りをまともに受けて――、そのまま脚を掴んで彼女を地面へと叩きつけた。
「こ……ふっ」
シロノの息が漏れた。
――薄っぺらい。
“コレ”の能力は、確かに密偵としての使い道があるのは認める。しかし、任務の度にいちいちリセットを行うということは、同時に自分の経験を失っているということだ。
シロノとなった彼女は、すなわち実戦経験のないヒヨッコ同然の状態なのだ。
「もういいでしょ?」
そうエンジュは地べたでのびているシロノに呼び掛けた。
「キミはアルバーニアとそこら辺で適当に遊んでればいいんだよ」
そう言い残し、エンジュはルアノの後を追ったはずだった。
――シロノがエンジュの足を掴んでいなければ。
ああ忌々しい。
エンジュはシロノの無言の抵抗に、眉間に皺を寄せて言った。
「見苦しいんだよ! このオトコオンナ!」
エンジュは脚を大きく振って、シロノの手を払った。
その刹那、シロノは地を張った状態から跳躍し、エンジュから距離を、
「だからさ」
――取ったつもりのようだが。
「トロすぎるんだよッ!」
着地したシロノが立て直す隙さえも認めることなく、エンジュは彼女に蹴りを入れた。




