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この異世界の救いよう  作者: 山葵たこぶつ
第二話 行き倒れ王女と信疑の鯨
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19.背景

 リュウはシロノと合流するため、彼と別れた地点まで戻っていた。もっとも、それには何の取り決めもしておらず、完全にシロノの判断に対する賭けになるのだが。


 ――それにしても。


 『シェイリスの領海まで出る』そう放送の声の主は言っていた。

 なんという荒っぽい高飛びだろう。


 色々と犯人に対して思うところはあるのだが、素直な気持ちでリュウは打算する。

 このまま、このクジラでシェイリスまで移動するのも“あり”なのではないか?


 もちろん、この考えは犯人達の意図に依存するところが大きすぎる。

 あの放送の女からの要求が一切なかったことから、最終的にこのクジラをどうするつもりなのか予想がつかない。

 そして同時に、ブリッジが制圧されてしまったという事実に、リュウは自分が選べる選択肢が一気に狭まったことを自覚した。


 もうこのクジラは、シージャックリスト達の思うがままだ。


「リュウ――!」


 突如、そんな間延びした呼び声が聞こえた。

 シロノではなく、もっとはっきりと少女とわかる声だった。


 リュウは声の方をみやる。


「リュウ!」


 走りながらリュウに近づいてきたのは、ルアノとシロノだった。

 想像するに、結構な距離を非常事態で駆けて来ただろうに、二人は息切れの一つもしていない。


「二人とも無事かよ」


 リュウは安堵の息を吐き出した。


「今の放送、どうなってんの?」


「少なくとも、俺らじゃねえぞ」


「いったんのところ、二人を信じる!」


 ルアノはリュウの軽口に対し、間髪入れずに応えた。

 リュウはその彼女の潔さに面くらい、事情の説明を求めるべくシロノに目を配る。しかしながら、彼はいつも通りの無感情な視線しかリュウに返さないのだから、小憎たらしい。


「とりあえず、今からどうこの状況を凌ぐか、意見を言っていいか?」


 そんなリュウの発言に、二人は頷いた。


「まず一つ、このまま犯人達のシージャックに便乗して、シェイリス王国の領海内まで密航する」


「なんか罪悪感ヤバい計画きた」


 リュウは苦笑した。彼女の渋りも理解できる。

 しかし、これがリュウが提示できる、ルアノにとってベストな危機の凌ぎ方なのだ。


「このクジラが全爆破されて沈没させられちまう可能性は否めねえから、危険は危険だけどな」


 リュウは最悪のリスクも明言する。


「だが、犯人の『ルネには(・・)向かわない』とかって言い回し。少なくともシェイリスの領海まで移動するのは、本当のこととみた。そうすりゃ、ハウネルとシェイリスのどちらが捜査権を握るか、縄張り争いになるからだ」


「それだ。シェイリスまでぶっちぎれば、なかば亡命したカンジになるわけね」


「犯人共の目的は全くわからねえ。が、あくまで連中の逃げ方を想像するに、そういう狙いがあるんじゃねえかと思う」


 そして、リュウはルアノに指を突き出した。


「これに便乗して、上手く脱出用のボート(シャチ)に乗れば、お前が何か言ってたシェイリスへのお使いは楽になるんじゃね?」


「便乗していいような事件じゃないと思うんだけど……」


「二つ目の作戦」


 ルアノの抗議を遮るように、リュウは手のひらを彼女の前に向ける。

 これは完全にリュウの趣味でさえ領分の埒外(らちがい)であり、シロノとルアノが乗り気でないのなら棄却すべき選択肢だ。


「ブリッジで構えてるとか抜かした犯人共のケツを、赤くなるまでしばき――」


 リュウの言葉を遮るようにして、そのアナウンスは鳴り響いた。


『こちらは、公安局、海上警備隊です。≪ウルトラシング≫に、警告いたします。本クジラは、間もなく貴船に対し、救助隊および捜査隊を移乗させます』


 そして、リュウの頬は引き攣った。

 ルアノも流石に身分がばれる危険を感じ取ったのだろう。顔に縦線を入れて青ざめている。

 最後に表情を僅かにすら変えない余裕のシロノ。


 スカした態度が癪に障り、リュウはシロノの頬を指先で軽く突っつきながら、二人に再度作戦を語ろうと――、


「あれ? もしかして、ルアノ殿下じゃない?」


 ――したところを、少年の呼び掛けが遮った。



***



 テレサはポリッジを冷ますのと同じ要領で唇を尖らせ、マニュキアを塗った爪に息を吹きかけた。


「来ましたね。海上警備隊」


 そう坊主頭が言った。


「何か早くねえか? 爆破してまだ十分も経ってねえぞ」


「別件じゃないかしら? このクジラで悪いことしてるおマヌケさんは、沢山いるって話じゃない?」


 タトゥーの言葉にテレサは冷めた声で応える。


 テレサ達のクライアントである中堅貿易会社からの依頼は、この≪ウルトラシング≫で行われる幾らかの闇取引を、そうとわからないように潰すことだ。

 クライアントはテレサの会社の傭兵ビジネスに対し、間違った認識を抱いていたようであり、ピンポイントで狙った取引だけを潰せるほど器用でもなければ金もツテもない。もっとも、自分達のような犯罪組織にそうそう理解があるのなら、それはそれで世も末だ。

 彼らの依頼に対して、テレサの会社が提示したソリューションが、クジラをジャックして積み荷を全て海に沈めることだった。


 一般人の感覚からして、随分と大胆かつ人道に(もと)るような計画であり、当然ながらクライアントはもっとスマートに何とかならないものかと難色を示した。半ば無茶ぶりに近い彼らの態度に、いよいよテレサ達は困ってしまう。

 そこで両者の意識をすり合わせるべく参上したのが、異教徒組織ヘルゼノスだ。企業スパイでもいたのだろうか? 彼らは今回の依頼を何処かから知り、テレサ達にコンタクトを取ってきた。


 主として、武闘派の組織を相手にするような荒事を得意とした警備会社であり、密偵などの機密性の高い任務は専門外であるテレサ達にとって、ヘルゼノスからの協力の申し出は渡りに船だった。

 そこからのことは、“三人寄れば文殊の知恵”という表現がよくハマる。

 『必要以上に被害を出さないこと』、『クライアントが背負うリスクの一部を、ヘルゼノスが吸収すること』。それらの条件の下、クジラを沈めるプランで契約が成立した。


 ――では、ヘルゼノスの目的は一体何だったのか?


 ヘルゼノスが送り込んできた密偵少年のエンジュ・スレイマン曰く、≪ウルトラシング≫に積まれた依存性の強い新種のクスリを、全てパアにすること、だそうである。

 その答えが納得に値するかは微妙だが、確かにそんなものが存在すれば、ギルドを配下に置いているテレサ達とて迷惑この上ない話だ。消し去りたい気持ちも理解できなくない。

 もっとも、彼らとの関係はこれきりであり、その目的など実は興味の欠片もなかったのだが。


 かくして実行と相成ったこの計画も、第二フェーズへ移行するときが来たらしい。


「警備隊のクジラに、こちらの乗客を全員移乗させるよう、放送で指示なさい」


 そうテレサは、坊主頭に命じた。



***



 リュウは眼を細め、現れた少年――エンジュ・スレイマンを睨み付けた。


「人違いだろ。こっちは忙しいんだ。しっしっ」


 手を縦に振り、消え失せろのジェスチャーをするリュウだが、エンジュは薄ら笑いを浮かべて近づいてくる。


「そんな邪険にしないでよ。殿下の保護――正確には例の≪魔剣≫を取り返すってのは、僕らにとっても目下のところ優先度トップクラスの仕事なんだから。こんなところで見つけちゃうなんて、爆ヅキ過ぎて見逃せないでしょ」


「えーっと、どちら様?」


 ルアノの脱走、そして≪魔剣≫の存在を知るエンジュに、警戒を強めるルアノ。


「こいつこそ異教徒の密偵だ。スレイマンさん、この騒ぎはテメーらの仕業じゃねえよな?」


「そうだよ?」


 エンジュは悪びれもせずに肯定する。

 そんな彼の狂気に触れ、義憤に近い何かを抱いたのだろう。ルアノは背負っている大振りの剣に手をかけた。


「あーあー、これだからお姫様はイヤだよね。もう今のだけでわかっちゃうよ。どれだけ考えナシに動いてるのか」


「ルアノ。あんま時間はねえ」


 そう言って、リュウはルアノの手を抑える。


「海上警備隊の到着、早すぎると思わねえか?」


 そんなリュウにルアノの疑問の眼差しが向けられた。


「その二人が、ルアノ様のことを外に通報したんですよ」


 エンジュは両手を広げて、おどけるようにルアノに語りかけた。


「いや、俺らにそんな手段はねえよ」


「そうかなぁ? ねえ? “シロノ”ちゃん?」


 小首を傾げて戯けるエンジュに、しかしながらリュウは無視して答えを告げた。


「クロードさんだよ」


 あ、とルアノは得心したように声を漏らす。


「わかったか? 早いとこ脱出ルートを確保しねえと、警備隊に紛れた追っ手がこのクジラに乗り込んでくるぜ」


「……わかった」


 ルアノもここで揉めることの不毛さを認めたのだろう。剣の柄から手を放した。


「もう行くぞ」


「ちょっと待ってよ」


 移動の意思を示すリュウに、エンジュが鋭い声で制止をかける。


「勝手に決めないでくれない? 見逃せないって言ったよね?」


 ――強い。


 リュウは相手の強さを推し量れるほど、物事を納めているわけではない。

 だが、ウィルクの勘が、どうしても目前の敵に対し背を向けることを許してくれなかった。


 からといって、このまま三人でエンジュの相手をするのは温すぎると考えた。まだ脱出についての算段が完全にはついてないというのに、時間は掛けていられない。


 リュウは断腸の思いで、あえて危険な賭けに出る。


「シロノ。そいつの相手、頼めるか?」


 ルアノが驚愕に目を見開き、リュウの顔を見た。

 彼女の言いたいことはわかる。おそらく、ルアノもエンジュが危険な相手であることを承知しているのだろう。


「時間を稼いでくれ。その間に俺達は、警備隊をやり切る方法を見つけとく」


「――わかった」


 シロノはいつものようにゆっくりと答え、リュウとルアノをかばうようにしてエンジュの正面に立つ。


「どいてくれない? 未完成(・・・)


 エンジュはその顔から余裕の笑みを消した。


「万が一にも、勢い余って壊しちゃうわけにはいかないんだけど?」


 並外れた妖気が、エンジュの細身からオーラのように溢れかえる。


 ――シロノ。


「頼むぞ!」


 リュウはルアノの手を引いて駆け出した。


「リュウ!?」


「行くぞ! ルアノ!」


「どこにー!?」


 ――ある。


 やがて現れる警備隊から、逃れる脱出方法が。





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