18.シージャック
馬鹿げた爆音と共に、≪ウルトラシング≫は大きく揺れる。
そのあまりの大きさに、リュウは逆に己のバランス感覚に不安を感じてしまう。
「ンだぁ? この揺れは……」
誰にでもなく、そうごちた。
この異世界にはとんでもない規模の地震が、こんな風に起こるのだろうか?
まずあり得ない。アルフィは特にそんなことを話していなかったし、リュウがこれまでの旅路で見てきた限り、耐震性に気を遣った建物などそう多くはなかった。
ならば大嵐にでも出くわしてしまった可能性を考えたが、窓から外の景色を見る限り、少なくとも雨は降っていない。
そして、何よりあの爆音。
リュウは事態に直面してから、反射的に考慮を後回しにした非道の可能性に目を向けた。
この揺れは、人為的なもの。それも結構な爆発をもって為し得る荒業だ。
――襲撃。
そんなリュウの推測を裏付けるように、
『ポーン』
という放送開始の電子音が、船内に鳴り響いた。
『船内の、皆様に、お知らせいたします。ただいま、≪ウルトラシング≫内で、大きな揺れが発生いたしました。警備部より、調査を行います関係で、みなさ……ザ、ザーッ……よう、お願い申ザーッ―――』
――お願い申ザー?
肝心な部分がノイズにより全く聴き取ることができなかった。このノイズは、爆発のダメージによる影響を受けたものなのか、それとも……。
『――ご乗船下さいました皆様に、大変ご迷惑をおかけいたしておりますこと、心よりお詫び申し上げます』
放送の声が変わった。
先程までの機械的な女性の発音ではない。もっと流暢に、艶やかに言葉を操る女性の声は、船内の皆に向けた“放送”などではなく人に対面したかのような喋り方である。
すなわち、放送に関して素人である者による発声だ。
加えて言えば、リュウはそれに大きい違和感を覚える。
この声の主にとって、まるでその謝罪が当たり前であるかのような印象を受けたのだ。すなわち、この異常事態がさも予定通りだとでも言わんばかりの、平然とした、もっと強い言葉を使うなら――、
『先程、≪ウルトラシング≫に設置した爆弾を、一つ爆発させました』
――悪意の籠もった、喋り方だった。
***
クロード・ロイドは想定外の事態に、歯をきつく食いしばった。
『今の爆発は警告のようなものであり、クジラが沈まない程度に位置も爆破量も抑えておりますので、ご心配なく』
――どうなっている?
麻薬の“運び”、そしてたまたま重なったはずのルアノ王女の家出騒動、それに加えてシージャックが起こった。
この一連の出来事は偶発的にタイミングが被っただけのことなのだろうか。
それは少し考えにくいが、是非を判断するための情報を、クロードは持っていない。
何にせよ、クロードがルアノの存在をハーゼに報告した以上、間もなく≪現身≫が乗り込んだ海上警備隊が≪ウルトラシング≫に接触するはずである。
問題は、放送の主――犯人が、それに対してどういったリアクションを取るかだ。これは、犯行の動機に依存するだろう。
クロードは放送に注意する。
『私共はブリッジの占拠に成功しました。突然ですが、このクジラはルネには向かわず、領海基線をまたいでシェイリス王国の海域へと向かいます。お急ぎの方々には多大なるご迷惑をおかけいたしますこと、重ねてお詫び申し上げます』
その放送に、クロードは眉間に皺を寄せた。
それだけ聞けば、密輸とは無関係のようではありそうだ。
こんなシージャックが起こされてしまった以上、シェイリスに≪ウルトラシング≫が捕らえられた際には、クジラの腸を総ざらいにされるに決まっている。
故に、このシージャックの犯人と麻薬の密輸との繋がりは薄いと考えた方がいい。
クロードにとって不利なのは、シェイリスの領海に入ってしまえば、その時点でハウネル側の捜査権限が完全に失われてしまうということだ。
犯人の目的は何かはわからないが、このクジラで行われている細々とした不正行為の数々は、シェイリス王国によって暴かれるか握られるかしてしまうことになる。
クロードは考える。
もし、密輸されている麻薬がシェイリスの手に渡り、その捜査権を横取りされてしまえばどうなるか。
基本的に他国は信用できない。
シェイリス側がハウネル公安局と連携して、麻薬の捜査を行ってくれればいいが、いちいち他国の問題に手を貸してくれるはずもないだろう。
流石に、国際検問所があるルネに麻薬が運ばれそうになったと知れれば、向こうもそれなりの捜査はすることになるはずだ。ただし、それは国境を越えたルートを潰す捜査であり、ハウネル内のルートや売人の取り締まりなど、向こうからすれば知ったことではないのである。
そう考えれば、クロードの取るべき選択肢は一つに思える。
すなわち、≪ウルトラシング≫がシェイリスの領海に入ってしまう前に、麻薬の在処を突き止めることだ。その上で、じきに到着する海上警備隊と連携をとり、シェイリスの手に渡る前に麻薬を回収してしまえばいい。
――しかし。
クロードの脳裏に、ルアノの顔がよぎった。
この非常時に、彼女を放っておいていいものか。
――構わない。
それがハウネル王国騎士団における、暗黙のルールだ。
王国騎士団は王立兵ではない。国立兵なのだ。このような時代になっても、王族達の身分は当然尊いものとされている。しかし、王族が絶対的存在であるという文化は、とうの昔に形骸化されてしまっていた。
それを忠実に守る上層の人間は、ロイヤルガードくらいなものだろう。
事実、王族が指示を下せるのはロイヤルガード――しかも専属の――だけであり、他の王国騎士に対して命令を下そうが、究極的な話、正規の取り付けをしない限りは従う義務は発生しない。
すなわち、王国騎士は各々の仕事が最優先されるべきなのだ。
実際、十数年前に自らの任務を優先することで、結果的に王族を死に追いやった≪現身≫が存在したが、裁判の判決は“お咎め無し”だ。
王族という存在は、悪く言えば邪魔なのだ。
≪現身≫ひいては王国騎士団が仕事をするにあたり、どうしても王族に対して割かれてしまう人員が発生する。しかも、本来そのような義務がないにも関わらず、相手を立てるという意味合いで無碍にするわけにはいかない。
ときには、今回のクロードの任務とルアノの脱走のように、バッティングしてしまうことさえある。
こうなってくると、どうしようもなく目障りな存在だ。
クロードは周囲から陰鬱と称される顔を、右手で覆った。
そうして、ルアノのことを思い出す。
クロードの上司であるミストレイは、ロイヤルガードの一人だ。
彼が担当するラアル・ルクターレ王子は優秀だ。率直に言って、ロイヤルガードとして彼のような人物に仕えることは至上の栄誉といっても差し支えない。
ハーゼと情報共有やフォローアップ、その他諸々の目的のために、クロードが上層いた頃――、それは一年も昔の話だ。
その時期が始まって間もなく、クロードはラアルの姉であるルアノ=エルシア・ルクターレと出会った。
小さな体躯に幼い顔立ち。どこか気品があるが、天真爛漫といった風情を決して崩さない、陽気な笑顔。
かと思えば、お付きのヴォルガに説教される毎日。ラアルが宥めに入り、クレイスが肩をすくめる。希にハウトが姿を見せて、笑いながらルアノをからかうも、≪現身≫から逃げる健脚を絶賛する。最後にはヴァネッサがヴォルガをぶちのめし、崩れたルアノの髪を手入れしようと、彼女の手を引いて“紅姫”の部屋へと連れて行く。
そんな眩しいまでのルアノの姿を見たクロードは――、
彼女のような粗野な少女を王族として決して認めはしないまでも、彼女を含めてその場の全員の安寧を願ってしまった。
――そう。思ってしまったのだ。
ルアノはクロードのかつての恋人に似ている、と。
悪意蔓延る王城の中、ルアノはそれを理解できないほどの年の頃ではない。
なのに、たとえそれが仮初めであっても、≪フロアセブン≫に笑顔をもたらしてみせたのだ。
――比喩するならば、太陽か。
王族の各人が腹に一物を抱えた、殺伐とした王城における太陽。
クロードはそんな彼女に、あのような辛い顔をさせたくなかった。何故彼女があんな表情をみせたのか、何故自分に対して警戒心を剥き出したのかは、クロードにはわからないが。
クロードがみるに、ルアノは酷く怯えていた様子だった。
彼女がどうして王城を飛び出たのかわからない。一見すれば馬鹿げた暴挙であり、どんな目に遭っていても自業自得といえる。
だが、彼女があのような顔をすることを、クロードは認めていいとは思えなかったのだ。
『警備部の皆さん、――黒服組、制服組問わず、この事態を重く受け止めて行動される方もいらっしゃるかと存じますが――』
クス。と声が漏れる。
そんな笑いを堪えきれないような女の放送。
『もしよろしければ、お気軽にブリッジまでどうぞ――』
その美しい声色は、どこか冷めたものから、熱の籠もった色っぽいものへと様相を変える。
『穴だらけにしてあげる』
まるで、毒棘のある真紅の薔薇を咲かせたかのように。
――さあ、だからどうする。
長考を中断したクロードは、二択に迫られていた。
一つ。ルアノが王城を出た事情などよそにして、自分の任務に戻る。この任務、クロードにとっては過去の因縁との絡みもあり、是非とも自分の力で挙げたい気持ちが非常に強い。
もう一つ。そんな執念めいた――もっと言えば、復讐に起因する己の感情を殺し、陽のあるルアノの身の安全のために動くか。
後者を取る義務はない。クロードはただ、上司の一人であるミストレイから、非公式の指令を下されただけなのだ。
優先度的には、別の上司が正式に下した本来の麻薬捜査が上である。そして、クロードは己がようやく就くことができた麻薬捜査の任務のことを思う。これにしくじれば、クロードの評価は落ち、任を解かれる可能性さえあるのだ。
クロードは考える。ほんの僅かな暇だけ。
――本来の、自分の任務に戻るべきだと。




