07.最終選抜試験
「いや、それも全然聞いたことない。どこで仕入れたの?」
「……ただの作り話だよ」
あっさりとそう答えるタオイェンに、流は首を振った。
タオイェンとデュナスに寮へと案内させた流は、そのまま二人を夕食に誘った。
なにせ、食堂の場所もシステムもわからない。
流が食堂に訪れた途端、ウルスの予言通りに大量の学生が声をかけてきた。
ただ苦笑いするだけの流をみて、タオイェンが上手に追い払ってくれたものだが、想像以上の野次馬ぷりに疲弊してしまった。
やっとの思いで注文窓口まで到着すると、全く財布を取り出す様子のないデュナスを確認したのち、流はホワイトソースのチーズオムライスを注文した。
さりげなくデュナスに探りを入れると、どうやら学内は完全フリーでサービスを利用できるらしい。どうりで財布を持ち歩かないわけである。
問題はそこからだ。
流はここで、最低限必要な情報を、二人から自然に引き出さなければならなかった。
三人揃って大テーブルに座り、食事にありつき始めたタイミングで、流はジャブ代わりに怪談話を繰り出した。流の世界では、世界的に有名な都市伝説だ。
「おっそろしい女だな!」
「デュナスは他人事じゃないね……」
流が話し終えると、二人は一笑。
その反応は、言葉とは裏腹に、完全に落語のオチに対するそれだった。
続いて、童話を始め、神話、昔話、歌詞と色々な話を手短に聞かせたのだが、
「似たような話は聞いたことあるけど」
「ウィルク、本でも出す気か?」
――似たような話がある、か。
と流は心中でごちる。
流の世界でよく知られている話は、ここには存在しない。つまり、過去に流と同じ世界から来た者は、近辺には存在しないということだろうか。
ホワイトソースが絡んだチーズは濃厚な味わいだが、それ故にバクバク食べるとしつこくなってしまう。
流は水を飲み、舌をさっぱりさせた。
学食とは馬鹿にできないもので、流が普段口にする食事よりも、ずっと味がいい。それとも、この世界の料理はいずれも美味しいのだろうか。
などと、ゆっくり舌鼓を打っていて良いわけもなく。
「ところで、俺が倒れたときのこと、詳しく教えてくれるか?」
この質問はかなり勇気が必要だった。
様子がおかしいと散々言われた上でこんなことを尋ねれば、流石に不審だ。だから、適当な話をはじめにばらまき、場を暖めたつもりだった。
しかし、勘のいい者なら、流――というよりもウィルクが“知っているはずのことを知らない”、と悟ってしまうだろう。
少なくとも、ゲームタワーに棲んでいた怪物達が相手ならば気付かれる。
とはいえ、この質問は避けて通れないのだ。流は内心冷や汗をかいていた。
「ああ、前後の記憶が飛んじまったか」
こともなげに、デュナスは言った。
それにタオイェンが続ける。
「ウィルクは初めてなんじゃない? 訓練中にダウンしたの、見たことないし」
はあ、と流は拍子抜けしてしまう。
「もしかして、よくあることなのか?」
「個人個人は片手で数えるくらいだろーけど、全体じゃよくあることだろ」
デュナスは半笑いで言った。
「つーか、お前はしょっちゅう介抱する側だからわかんだろ。イヤミか?」
――片手があれば、三十二まで数えられるだろ。
そんな無粋なツッコミをこらえ、流は続きを促した。
「訓練中の打ち合いで気絶して、記憶飛ぶ人はときどきみるけど、ウィルクは勝手に倒れてたよね」
「ああそうか。体調不良でも記憶飛ぶもんなのか? いや、ねーよ」
タオイェンがそう言うと、デュナスは眉毛を垂らして首を傾げた。
都合が悪いので、デュナスの疑問は黙殺することにする。
さしあさって問題になりそうなのは、『訓練中の打ち合い』という言葉だ。
記憶が飛ぶ可能性があるほど、激しい訓練を行うということか。
一応、格闘技の経験がある流だが、流石に記憶が飛んだなんてことはない。
ぞっとする。
まさか、それを毎日やらなければならないのか。その辺りの情報も、今日の経緯の話題を突破口にして聞き出さなくてはならない。
「そのときのこと、詳しく頼む」
「ん、オッケー」
タオイェンは軽い返事をしたのち、回想を語り始めた。
***
ウィルク(正確にはその時点では流だが)が倒れたのは、午後の訓練の最中だったという。
事が生じたのは、一対一を想定した模擬試合が開始される直前のことだ。
ウィルクは学生の一人から試合を申し込まれ、それを承諾したようだ。
指導教官立ち会いの下、双方が剣を構え、開始の合図が今にもなされようというタイミング。突然、ウィルクは構えを解き棒立ちになった。
目撃していた学生達や、教官、試合相手は、ウィルクが仕切り直しを申し出るのかと思ったが、どうにも様子がおかしい。目は虚ろで、口もポカンと開いていた。しまいには剣を落としてしまう有様だったらしい。
明らかに戦闘を行う姿勢ではないと判断したのだろう。教官はウィルクにその名を呼び掛けた。
返事はない。
すかさずアルフィがウィルクに近づき、肩を揺すりながら呼び掛けるが、ウィルクは崩れ落ちてそのまま嘔吐してしまった。
尋常ではないと感じたアルフィは、観衆にウィルクの救護を求めた。
男子数人がそれに応じて、ウィルクはそのまま医務室まで運び込まれたという経緯だ。
***
意識を覚醒する際の、金属音が脳裏に蘇った。
あれは、剣を落とす音だったのだ。そういうことか、などと流だけが一人納得する。
「模擬戦始まる前は、別に体調悪いとかなかったはずなんだけどよ……」
頭を掻いて、自分が倒れた原因に疑問を抱いている演技をしてみせた。
これで、流が乗っ取る直前のウィルクの様子が確かめられるはずだ。
「そうだよな。今日はやたら調子良さそうだったしな」
「うん。ここ最近に比べると、今日は元気だったよ」
デュナスとタオイェンは同意する。
だが、流にはどうもそれが引っかかった。
『今日は元気』ということは、昨日までウィルクは調子を落としていたということになる。
それが身体的なものなのか、心理的なものなのかはわからない。だが、流がウィルクになってしまった憑依現象と何か関係がありそうなものだ。
「最終選抜前だから、あえて立ち入らなかったけどよ。ウィルク、何かあったのか?」
先ほどまで、軽薄な印象さえ受けるデュナスだったが、今は神妙な顔つきで流を見据えている。
「ここんとこ、落ち込んでたみたいじゃねえか。お前、あんまそういうの表に出さないから、地味に皆気にしてたんだぞ」
じくり、と。
その言葉を聞いたとき、流は胸の痛みを自覚した。
「……いや、ただ将来のことに不安を感じてただけだ。もう吹っ切れたよ」
流には、このように身を案じてくれるひとは存在しなかったのだ。
流の記憶に父はなく、母はアルコール漬けで流をほったらかしにした。
流は荒れ、学生時代は周囲に人が集まることはなかった。当然、友人はできようがない。タチの悪い連中から因縁をつけられ、頻繁に暴力沙汰を起こした。
別に周囲の環境のせいにするつもりはない。
ただ単に、流は自分の力で勝ち取ることができなかったのだ。
友人と食事を共にするような青春を。今向けられているような愛情を。
――ああ、こんな感じなんだな。
胸の内で噛み締める。
もしも自分にあったら。そう夢想していた感情を。
それと同時に、痛いほど不憫になった。流をウィルクだと思い込んでる友人達を。
――ウィルク。どうしてこうなっちまったんだ?
――お前、帰ってきた方が絶対いいだろ。
「まあ、最終選抜前に気持ちの整理が付いたなら、良かったけど」
タオイェンの言葉で、流の意識が哀愁から引き戻された。
「まだ何かあるなら、話くらい聞くよ?」
「あー……」
先ほどから、聞き捨てならないキーワードが流の心臓を鷲掴みにしようとしていた。
「最終選抜? のことなんだけどよ……」
「おう、もう再来週だな。何か不安要素でもあんのか?」
――ウルス! あの野郎、主席卒業が確定したみたいな言い方しやがって!
――思いっきり山場が残ってんじゃねえかよオイ!




