15.鎖の奇手
「ルアノ様。その二人は?」
「この二人は関係ないよ!」
クロードの注意がリュウとシロノに向いた。間髪入れず、ルアノはリュウ達との関与を否定する。
――何に関係ないんだよ。
「ルアノ……」
「リュウ、ちょっと黙ってて」
「ワリーんだけど、完璧に無関係って言い切れねえのかもしれねえ」
「何言ってんの!? 捕まっちゃうよアンタら! それだけはダメ!」
ルアノは形相を変えてリュウに怒鳴った。
だが、“サレイネ”という名前を聞いてしまった以上、リュウも『はい、そうですか』と引くわけにはいかない。
「クロードさん。アンタ、任務の最中なんだろ? コイツの身の安全は俺らが保証するから、とりあえずアンタは戻ったらどうだ?」
「何ナメたことほざいてんのこの人!?」
リュウの挑発的な発言に、ルアノは顔を真っ青にして叫んだ。
そして、クロードは眉をひそめる。
「ルアノ様。その男は色々と大丈夫なのですか?」
「え? 大丈夫だよ? 大丈夫のハズだよ? ちょっとぶっ飛んでるけど、ちゃんと親切な人だよ? ね?」
ルアノは狼狽えながらリュウを見る。
――どうしたものか?
何とかしてクロードを退かせたい。だが、ここでリュウがあれこれ言ったところで、到底見逃して貰えそうにないようだ。
リュウからすれば、むしろクロードの方が危険だ。
彼は強引にでもルアノをしょっ引くつもりだろう。そうなれば、ルアノが何故サレイネを危険視しているのか、それを訊くチャンスを失ってしまう可能性が高い。
「待て」
リュウが思案していると、クロードは鋭い声を上げた。
「そこの長髪の男。貴様、デュザレイド殿の部下か?」
「――え?」
リュウは胸中で舌打ちをした。
マズい。今のルアノの反応は、デュザのことを知っているそれだ。
「本当……なの?」
ルアノがそう問い掛けながら、一歩後ずさった。
その瞳に浮かび上がっているのは、裏切りに対する恐怖心。
――やられた!
今のでルアノからの信頼をごっそり失ってしまっただろう。
「その長髪の男は……。一年ほど前に私が上層を離れる直前、デュザレイド殿が養成学校に連れてきた異教徒です。その二人、ヘルゼノスと通じているのでは?」
ルアノはリュウを見つめている。
事実か否かを問うている表情だが、おそらくここでリュウが誤魔化しても、ルアノの疑念を晴らすことはできない。
――仕方がないか。
「事実だ」
とリュウは渋々と認める。
「だが、異教徒はシロノだけだ。そのシロノも、ワケありで記憶をなくして、今じゃ自分の目的さえ理解していない状態だ」
その言葉を放った刹那――、
「ルアノ様、その二人から距離を」
「ちょっと……」
クロードの右袖から、一本の鎖がジャラジャラと音を立てながら禍々しい姿を現した。
しかしながら、リュウが制止を呼びかけたのは、薄暗い闘志を放つクロードではなかった。
「ルアノ、落ち着いて考えろ」
「警告だ。大人しく私と共に来い。ルアノ様に近づいた理由を聴くだけだ」
――チリチリッ!
ほんの一秒にも満たない暇、リュウは考える。
リュウにとっては、ルアノが≪現身≫に捕まってしまうという事態は避けたい。
それは、クロードがサレイネの手先か否かは関係ない。ルアノから引き剥がされるのが問題なのだ。
一方で、ルアノにとって最悪のシナリオは、彼女を保護したクロードがサレイネの手先だったパターンだと思われる。
逆に、クロードを使っているのがルアノが信用できる人間であれば、彼女の事態は好転する可能性がある。
リュウの眼前で、閃光が強く明滅した。
ルアノがクロードに見つかっていた以上、クロードは仲間に報告している可能性が高い。どんなに遅くとも、クジラがルネに到着すれば、クロードの仲間がルアノを押さえるだろう。クロードが彼女の味方か否かは、そのときまでにルアノが判断すればいい。
リュウ視点でルアノのリスクが一番高いのは、ここであっさりとリュウ達が捕まり、ルアノも保護されてしまうこと。
――ならば、ここは投降せずに凌ぐべきだ!
「闘るぞ! シロノ!」
その号令の瞬間、シロノは一気にクロードに肉薄した。
ほぼ同時にクロードが右手を振るうと、鎖がしなりシロノにその体躯を絡ませようと躍りかかる。
そのシンプルな攻撃を、シロノは宙を舞いひらりと躱す――が、
クロードの右袖から伸びた二本目の鎖が、彼の顔面目掛けて放たれたシロノの脚に巻き付いた。
あまりに不自然すぎる鎖の動き、リュウはそれがクロードの能力であると悟る。
だが、鎖が運動エネルギーを失った今、クロードの身体はがら空きだ。
リュウはシロノの二秒弱遅れでクロード目掛けて跳躍。
そんなリュウの攻撃を阻んだのは、クロードの左袖から伸びた三本の鎖だった。まるで巨大な三本の鎌のごとく、縦にしなり鋭い爪となってリュウを襲う。
――なんだそら!
リュウはあっさり三本の鎖にぶち当たり、ハエ叩きの要領で地面に叩き付けられる。
「ごふっ!」
背中を強打し、そのまま地べたを転がる。
そんなリュウの上に、黒い質量が容赦なく叩き付けられた。
「があっ!!」
「――ッ!!」
それは空中で脚を捕らえられ、リュウ目掛けて鎖で投げ飛ばされたシロノだった。
――鎖の運動を自在に操る奇手。
激痛の中、リュウの脳裏にそんな安直な答えが浮かぶ。
鎖での薙ぎ払い等の攻撃の直後、どうしても生じてしまう致命的なまでの長い硬直。
だが、その一本一本が触手のように筋肉を持っていたとするなら、その弱点をカバーできる。
それだけではない。伸縮や巻き戻り、軌道の変化。
一直線であるはずの攻撃が、途端に立体感を得て、予測不能、変幻自在の業へと昇華する。
リュウとシロノは捻りを加えた跳ね起きの要領で、一気に鎖の射程外へと逃れる。
――危険だ。
空間を歪めるかのようなクロードの術は、まるで時間まで前後させている奇妙な錯覚さえも与えてくる。
クロードの右袖から三本、左袖から三本、鎖が伸びている。
各々さらに鎖を隠している可能性もあれば、下手をすれば脚からも繰り出される可能性さえある。
緊迫した状態の中、
「止めてよ!!」
そんなルアノの叫びが聞こえた。
「どっかに逃げろ! ルアノ!」
「ルアノ様! こちらへ!」
リュウとクロードの声が重なった。
「だから止めてって! 話し合おう!?」
そんなルアノの制止も聞かず、シロノが再びクロードへと突撃する。リュウはそれを補助する形で、シロノとは反対側からクロードへと接近した。
リュウが思うに、クロードの能力には三つ弱点がある。
彼の鎖は制御するには多すぎる。ヴェノで数本もの鎖を同時に操るなど、よぼどの持久力があっても、戦いが長期化すればいつか息切れするだろう。
加えて、もう一つの弱点は、鎖のサイズにある。複数の鎖を袖の中に隠していたのだ。一本一本はたいした太さではなく、故に捕縛からの投げ飛ばしに注意すれば、対した威力は望めないはず。
シロノはクロードによる右手の鎖の襲撃を、まるで超人的なダブルタッチのように、小さい跳躍と前傾によってギリギリの回避を魅せる。
一本、二本――、
三本目がシロノの右手に絡み付く、
瞬間、シロノは右手に巻き付いた鎖を掴み強く引いた。
緊張した鎖を、シロノは左の手刀で切断。
シロノは右手三本の鎖を攻略した。
一方のリュウは敢えて三本全ての鎖をその身体に引き受ける。
――激痛。
その直後、身体が一気に重力に反して浮上するのを自覚した。三本の鎖が、リュウの身体を易々と持ち上げたのだ。
「ァラアアア!!」
三本の鎖をかいくぐり肉薄したシロノに対し、クロードが蹴りと引き戻した鎖で迎撃する。
そんなコンマにゼロを二つ三つ加えた一秒という時間とも呼べない一片らを、ウィルクの天才的なセンスが捕らえた。
リュウは思い切り己を縛り浮かせる鎖を引っ張った。
「――ッ!」
綱引きに負けたクロードの身体が、その動きを致命的に狂わせる。
――三つ目の弱点。
それは制御しなければならない鎖の多さから、注意を散漫されたときに対応しきれないこと。たとえ自分の指のように鎖を操れても、連携が取れた複数人による攻撃により、彼のテンポが崩されてしまうのだ。
「かはッ!」
シロノの蹴りが、クロードの胴体に入った――、が。
そのタイミングは、シロノの腕に巻き付く切断したはずの鎖が、生きているかのようにシロノの腕を回転しながら解くようにして暴れ出した瞬間と重なっており――。
勢いよく円を描く鎖の断片が、シロノの頬を掠り、彼の蹴りの威力を微妙に緩めさせた。
シロノの攻撃はクロードから能力を解除させるまでに、微妙に至らなかったのだろう。
シロノに対して巻き戻った二本の鎖が、彼の背中に命中。
そして、鎖に縛られ浮いたリュウは、地面に思い切り叩き付けられた。
「ごッ!」
結果として、この一瞬の攻防で、三人共が地に這いつくばる事態に陥った。
「何やってんのさぁ……!」
そんな三人を、ルアノは泣きそうな声で怒鳴った。
――これ以上、ルアノの制止を無視できない。
そうリュウは判断した。
彼女は先程から、双方に争いを止めるよう訴えている。これは、彼女の中でどちらを信じていいかわからない迷いがあるからだ。全員の話を聞いて判断したいという願望が、彼女に争いを止めさせるのだ。
裏を返せば、リュウ達にはまだ弁明の余地がある。まだ、彼女に信じて貰える希望がある。
問題はクロードだ。
今の攻防で、クロードが不利を感じて退いてくれるのを期待するしかない。
だが、もしクロードに続行の意思があるならば、ルアノを戦いに引きずり込むというのも一つの手段だ。もしかすると、その場しのぎとしては、それが一番効果的かもしれない。
「それ以上戦うなら、わたしも黙ってみてられない!」
そのルアノの宣言に、リュウはアバラが痛む胸の内で、拳を握る。
――よく言った。お前格好いい!
「待て! 俺達はもう降りる!」
リュウは上半身を起こし、ルアノの制止を受け入れた。まるで彼女の参戦だけは、避けたいかのように。
クロードより早くそれが言えたのは大きい。もしこれでクロードがやる気ならば、半信半疑のルアノは彼と対立するだろう。我ながらセコい。
「おい! 何の騒ぎだ!?」
警らをしている第三者の声だ。
――マズいな。
こんなに派手に暴れていれば、いずれは見つかるだろうと思っていたが、相手が制服組なら事態は更に悪化する。
クロードの仲間なら、殊更に。
リュウは声のした方を見やると、ダークスーツの男が視界に入った。
幸いなことに黒服組の警備員のようである。
クロードの方に顔を向けたが、彼の姿はもうなかった。おそらく、黒服組に問い詰められるのを嫌ったのだろう。
何とか凌げた。
リュウは仰向けに倒れ込み、大きく息を吐いた。
だが、これからしなければならないことを考えると、こんなことで安心してはいられない。
「何があった? 揉め事か?」
黒服の男の声が近づいてくる。まずは、この状況を弁明することが第一だ。
――パチッ!
そこで、リュウの脳裏で火花が弾ける。
ふと気が付いたのだ。
それを避けたということは、少なくともクロード自身は、ルアノの事情を知らない可能性が高い……かもしれない。




