13.異(い)なる者
――結局。
シロノはリュウがぶつけた独り善がり――今後の方針を、何も言うことなく肯定した。いつも通りに。
リュウは自嘲する。
――まあ、まだこんなもんだよな。そう思っていなければやってられ、
――ちょっと待て。
「オイ、何か俺がオメーの機嫌伺ってるみたいになってね? どういうことだコラ」
「――?」
「“ワケわかりません”みてえな顔すんな! どうしてお前にこれからどうするかの相談しなきゃならねえんだよ!」
リュウは身を乗り出して、対面に座るシロノの鼻を指先で摘まんだ。
考えてみれば、これほど筋違いな話はない。
シロノは勝手にリュウについてきているだけなのだ。それも、得体の知れない連中からの指示に従って、である。
おそらくリュウを監視するか何かの目的だろう。
そんな相手に、リュウが『これからこうしましょう』などと逐一話し合う義理があるだろうか?
「俺が決める。テメエはそうやってスカしてやがれッ」
そう言い切り、リュウはシロノの鼻を解放した。フン、と鼻を鳴らして腰を下ろす。
シロノの態度がいつか変わろうと変わるまいと、リュウには関係がない。たかだか二週間行動を共にしたくらいで、何をオトモダチになったように浮かれているのか。
リュウは途端に馬鹿馬鹿しくなり、頭を掻いた。
喉を潤そうと、グラスに手を伸ばしたとき――。
「ずいぶん楽しそうだね」
とテノールを彷彿させる若い声が降ってきた。
いかん。ちょっと騒ぎすぎたか。
ここは場末の飲み屋ではないのだ。わきまえるべきだった。
声を掛けてきた何者かに詫びるべく、リュウは視線を向けた。
――少年。
十五、六ほどの歳のころの少年が、柔らかな微笑みをリュウに向けていた。
容貌の特徴としては、長め茶髪によく似合う色白い肌だが、それよりも目に付いてしまうのは彼の服。白いワイシャツに、黒のネクタイ。そして黒のベスト。
彼は店の人間などではない。紛うことなく黒服組である。
「賑やかだなあ」
と少年は言いながら、リュウの横に腰掛けた。
「隣、いいかな?」
――もう座ってんじゃねえか。
その図々しさにリュウは呆気にとられてしまう。
「あ、僕のコーヒー代、キミで持ってくれる?」
などと隣のリュウの前に、領収書を勝手に置いた少年である。
「もちろんコーヒー代出すくらい、やぶさかじゃねえけどよ」
リュウは好戦的な笑みを返していた。
反射的にそんな受け答えができるのは、リュウが臨戦態勢に入ったときのみ。
バチバチと頭上で火花が散る音が聞こえた。
リュウにはわかる。
この少年、普通ではない。
リュウ達に話しかけてきたのも、単にうるさいから注意しようなどと、そんなまっとうな理由からではないだろう。おそらく、何かしらの意図がある。
「あのな、ガキ」
そんな己の萎縮を誤魔化すように、リュウはあえて小物ぶる。
それが、神坐流が身につけた、自分の弱さでもゲームタワーを勝ち残る自分流の術である。
「代わりに面白い話の一つでも、当然してくれるんだろうな?」
「話はできないけど、面白いことなら言えるよ」
リュウの条件を、少年は変わらぬ笑顔であっさり受け入れた。この類いの無茶ぶりに、これだけ自信満々に啖呵を切れるのなら、彼の話は相当期待して良いだろう。
「ほーん。まあ愛想笑いぐれーはしてや――」
「“ウィルク・アルバーニア”」
リュウの挑発に、少年は被せるようにして言った。
――その名を。
ぞわり。と鳥肌が立っていくのをリュウは自覚する。何か大切なものを握られているような、如何とも表現しがたい不安感に襲われた。
彼は識っている側の人間だ。
アルフィ達やエルシアとは違う、デュザに近しい臭いがする。
「参った。やるじゃねえか」
リュウは敗けを認め、少年の領収書を自分達のテーブルの伝票入れに納めた。
「シロノ。こいつ知り合いか?」
得意気な少年の顔を睨みながら、リュウはシロノに尋ねる。
「彼はエンジュ・スレイマン。異教徒の密偵だ」
***
異教徒団体である“ヘルゼノス”。
エンジュ・スレイマンは表向き――実のところ、その裏側でさえ――慈善的な活動に勤しんでいる組織の一員である。
この日、エンジュはたまたま、ある企業の暗部と連携をとりながら≪ウルトラシング≫での任務を遂行することになっていた。
エンジュは鬱陶しいパーティに辟易し、会場を離れてレストランでコーヒーを飲んでいると、何の因果か面白い二人組を見かけたのだ。
――まさかこのクジラで鉢合わせるとは。こんな偶然あるだろうか?
退屈な任務を命じられていたエンジュにとって、その二人組に絡まずにはいられない。
己の好奇心が、どうしても二人の卓に身を寄せてしまっていた。
「シロノ。こいつ知り合いか?」
そのアルバーニアの問い掛けに対し、“シロノ”などと気取った名で呼ばれた“ソレ”は、一丁前に喜んででもいるのだろうか、丁寧に返事をする。
「エンジュ・スレイマン。異教徒の密偵だ。その役職柄、肝要なプロフィールは、内部でも公開されていない」
その答えに、アルバーニアは興味を惹かれた様子で『へへぇ』と相槌をうった。
「で、スレイマンさん。俺らに何か用事か? まさか、知ってるヤツ見かけたから絡んじゃおうなんて、軽いノリで話しかけてきたワケはねえよな?」
「いや、そのまさかだけど?」
アルバーニアは一瞬表情を歪めたが、すぐに鋭い目付きを取り戻してエンジュを射竦める。その様子から判断するに、予想外にもアルバーニアはつまらない人間のようだった。
警戒すべき相手にいきなり声を掛けられ、動揺する様が手に取るようにわかる。誤魔化しているつもりなのか、彼は軽薄な笑みを浮かべているが、所詮は単なる強がりだ。
――少しからかってやるか。
エンジュの中で、悪戯心がふつふつと鎌首をもたげる。
退屈な仕事を割り当てられたのだ。これくらいのお楽しみがあっても罰は当たらないだろう。
「そんなに怖い顔しないでよ。コーヒー代のお礼に、ちょっとしたアドバイスをあげるからさ」
「アドバイス?」
「そう。あんたにとって、とても為になるアドバイスだよ」
アルバーニアは大きく息を吐き出し、頭を掻いた。
エンジュはただの暇潰しがてら、いいことを彼に教えてやろうとしているだけだ。にもかかわらず、うさんくさそうにエンジュを見るアルバーニアが滑稽でたまらない。
――馬鹿が。駆け引きでもしているつもりか。
嘘を吹き込んで陥れるほどの価値など、アルバーニアにはない。
「“ソレ”と随分仲良くしてるね」
「それ?」
「シロノ、なんて名前付けちゃって。結構気に入ってくれたんだ」
アルバーニアは眉をひそめた。
「なんつー言い様だ……。まさか外道か?」
その呟きには、若干の侮蔑が込められている。
エンジュの想像通り、どうやら彼は“コレ”に随分と入れ込んでいるようだ。
ガワだけは美しいので、同じ男として気持ちはわからなくはないが。
「コイツは一応お前の同志? みたいなもんなんだろ? あだ名さえ付けないってのは、どういう了見だ? テメエらからすりゃただの駒かっつーの」
「うん。まさにそれだよ。僕が言いたいのは」
エンジュは薄く笑みを浮かべた。
思わず漏れてしまった威圧感に、アルバーニアは身体を硬直させる。そんなに警戒せずとも、エンジュは彼に手を出す気はない。
「“ソレ”に情を移さない方がいいよ」
「何?」
「“ソレ”はあんたが思っているような存在じゃないってこと」
アルバーニアの頬が引きつったのがわかる。余裕ぶった態度を必死に保っているようだが、もう一押しで一気に崩れ去るだろう。この言葉はそれほど利いているはずだ。
彼の反応から鑑みるに、“ソレ”の危険性は彼も承知の上なのだろう。だがどうしても“ソレ”を疑いたくないという甘い感情が、そんな当たり前のことからも目を背けさせている。
「シロノ。コイツの言ってることはどーなんだよ?」
アルバーニアは“ソレ”には視線を向けずに問い掛けた。
どこまでも愚かしい男だ、とエンジュは思う。まさか、“ソレ”がリセットしていることに、気が付いていないわけではないだろうに。
そうでなくても、その質問を本人にする神経がエンジュには信じられない。
エンジュは噴き出しそうになった。
「覚えていない」
“ソレ”はシンプルにアルバーニアの問いを切って捨てた。
「ね? もう今の返事だけでヤバイってわかるでしょ? 僕達みんな“ソレ”のことを、何ていうか、……人間扱いできないっていうか?」
エンジュがそう言ってやると、アルバーニアはため息を吐いた。
その眉間に寄せられた皺を見るだけで、彼の中で猜疑心が肥大化したのがわかる。そのとき、エンジュの胸の奥から悪いものがすっと抜けてくような、不思議な恍惚を覚えた。
――やはり、人に親切を施すのは、とても気分がいい。
「ワケがわからねーな」
「は?」
彼は目頭を指で押さえながら言う。
「コイツはデュザが強引に押しつけてきた野郎だ。にもかかわらず、そいつのことを信用するなとか、どんだけ人をナメ腐った発言してんだよ」
――ああ、しらける。どこまで馬鹿なんだ、コイツは。
エンジュはアルバーニアの言葉に、興醒めするほど呆れてしまう。
彼の言葉には、怒りが込められていた。
「シロノを信じるかどうか。そいつは」
彼は目頭から指を離して、その目を鋭くエンジュへと突き立てた。
本当に救いがたいのは、彼の怒りが――、
「俺が決める。テメエはそうやってスカしてやがれ」
――全く月並みで、パターンに嵌まっていることだ。
自分が信じる者を自分で決め。そして裏切られ、破滅しても“俺が決めたことだから本望だ”といった風に負け惜しみを言う、負け犬にありきたりな戯れ言だ。
エンジュはついに噴き出した。
「あははははは!」
――ダメだ。堪えきれない。
アルバーニアの間抜けな未来がありありとエンジュの脳裏に浮かび、笑いを抑えることができなかった。
「く……くく……」
よほど優位性を失いたくないのだろう。
アルバーニアはエンジュの笑いに合わせるように、自らも肩を震わせて笑ってみせた。その姿が滑稽で、エンジュはますます笑えてくる。
「いや、ゴメン。そうだよね……」
しまった。少しからかいすぎただろうか。
そうエンジュは笑いを沈めながら心中で反省する。
「うん。確かにそれはあんたの自由。僕が口を出すようなことじゃなかった」
だが、これで彼も少しは“アレ”に本当の意味で向き合うつもりになったはずだ。意地になり、疑うことさえも放棄するようなら、本当に救いようがない。
アルバーニアがそうなるかはエンジュにとって興味もないが、もし先程想像してしまった彼の未来は、彼の今後の考え方次第で変わってくれるかもしれない。
「もっと具体的な情報を提供してあげられたらよかったんだけど、ゴメン。やっぱり面白い話じゃなかったね」
エンジュは計画について具体的な内容は知らされていないが、もしかしたらウィルク・アルバーニアは、この碌でもない存在の供物にならずに済むようになっただろうか。
「――く、く。いやいや、……面白かったぜ。ホントに……」
アルバーニアはフゥと息を整え、言った。
「面白え連中だ」
――?
そんなアルバーニアの発言に、エンジュは違和感を覚えた。具体的に何がおかしいのか、上手く答えが出せない。
だが、はっきりしているのは、エンジュの周囲に漂う空気の匂いが一変したことだ。
――アルコールか?
ふと、思い付くが、やはり違う。
匂いというより、空気そのものに変化があることに、エンジュは遅れて気が付いた。
新月がエンジュの脳裏に浮かぶ。何故そのイメージが突如として現れたのか、自分でもわからないままだった。だが、その月の輝きが放つ妖しさに、エンジュは取り憑かれてしまったように硬直した。
「けどよ。“面白い”ってのと“飽きさせない”ってのは違う」
――何だろう?
何故かそう喋っているアルバーニアの顔を見ることができない。どうしても視線が彼の首あたりで止まり、それ以上は目が動こうとしないのだ。
月光は透き通った光のカーテンのように広がっている。だが、そこには純血や神秘といった尊さなど感じられない。引力によって人をおかしくする、禍々しさや狂気がそこにはあった。エンジュは身震いするほどのプレッシャーを、それに対して抱く。
「お前ら、これからも俺らに絡んでくるんだろ?」
そして、エンジュは思い出す。
この感覚に近しい感情を、エンジュはわかってしまったのだ。
――恐怖。
「頼むから、ウンザリさせるのだけは勘弁してくれよ」
アルバーニアが放つ威圧は、決して暴力的なものではない。これは、エンジュが密偵として任務をこなす中で感じ取ってきた、どんな危険とも比較ができない。
理解不能な妄執、この世の裏側でさえ存在しない純悪、深淵の闇のさらに奥、寝そべって見上げる夜空の底知れぬ果ての果て。
「“僕達みんな”によろしくな」
痛烈な悪臭を嗅がされたように、エンジュは思わずむせ返りそうになる。
これ以上、アルバーニアの隣に座っていたくない。
「……肝に銘じておくよ」
エンジュは立ち上がった。
――異常者。
そんな言葉で上手に彼を表現することができるだろうか?
エンジュは協力者達の部屋へと移動する。
その最中に考える。
最後にみせた、ウィルク・アルバーニアのあのオーラはこの世界のものとは思えなかった。エンジュはヨミアにさえ、あのような感情を抱いたことはない。
もちろん、アルバーニアの力が自分達より勝っているとは、決して思わない。だが、彼はエンジュが知っているいずれの人間とも、どこかが決定的に違うのだ。
その正体がわからないのが、薄気味悪い。
エンジュの登場に、必死になって格好を付ける無様な様子、旅路を共にする仲間を侮辱された陳腐な怒り。
あれらはアルバーニアの本質ではない?
ならば、最後に見せた魔物めいたアレの方が彼の本性なのか?
突然のアルバーニアの豹変。何の脈絡もない変化。
それとも、自分が見落としているだけで、何かしらのきっかけがあったのか。
エンジュは早足でレストランを抜けた。
己の歯を思い切り噛みしめながら。
――魔物めいた?
エンジュはそこで突拍子もない考えに思い至った。
ならば、あの男から垣間見た何かとは、かの邪神が宿していた怪と同じだとでもいうのだろうか。




