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この異世界の救いよう  作者: 山葵たこぶつ
第二話 行き倒れ王女と信疑の鯨
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11.巫女の苦悩

「でもま、偶然だろ?」


 からからと笑っていたリュウは、ふいにそう言い放った。


「品のある名前だ。上層に同じ名前の奴がいてもおかしかねえや。一国の王女が、こんなところで“かくれんぼ”してるワケねーしな」


 リュウは脚を組んで、組んだ両手に後ろ頭を預けている。


「リュウ……」


 うそぶいてみせた。

 ルアノの正体がわかっても、彼は騒ぐことなく空とぼけてみせた。


 詮索はしない。そうルアノに告げるように。


 ――いい人だ。


 リュウはやはり、善人なのだ。

 ルアノは微かにその目元が腫れるのを感じた。


 ≪剣竜の現身(けんりゅうのうつしみ)≫最終選抜試験で彼のしでかした暴挙を思い出す。自分の票を他の受験者へと譲渡することを条件に、投票者を務めたグレード5の生徒達から大金を巻き上げたのである。


 『大金を奪ったら、人殺しも同然だ』などとほざいておきながら、自分は思い切り金をふんだくっている偽善者(ペテン師)。あるいは、善悪の振り幅が激しく、自分の業を自覚できないサイコパス。

 そんな風に、彼を思った瞬間があった。


 だが、最終選抜試験で見せたアレ(・・)は、幼馴染みの自信を取り戻させるための演技。わざと悪ぶっていたのだ。

 そうルアノは確信する。


 ――この人なら。


 自分の進退を懸けた一戦を、幼馴染みのために台無しにすることができる、この人なら。

 ルアノが賭場で敗けた十万もの大金を、肩代わりしてくれると言ってくれた、この人なら。

 文句の一つも言わず、行き倒れたルアノに当然のように昼食を奢ってくれた、この人なら。

 高価なクジラのチケットを譲ってくれた、この人なら。


 ――もしかすると、助けてくれるかもしれない。


 そう考え、ルアノは笑みを浮かべた。


「そうだよ。“エルシア”なんて、よくある名前だって」


 自分の淡い期待を打ち消す、諦観の笑みを浮かべたのだ。


 駄目だ。やはり、甘えることは許されない。

 危険すぎる。

 下手をすれば、ルアノを捜索する≪現身(うつしみ)≫と対峙する可能性があるのだ。


 ルアノはいい。たとえ、サレイネの手先の≪現身(うつしみ)≫と揉めることになっても、流石に命を取られることはないはずだ。

 だが、ルアノの共犯まではわからない。

 仮に生け捕りにされたとしても、投獄処分を受けてしまう可能性が大である。


 そんな危険な旅路に、恩人を巻き込むわけにはいかない。


「シケた面だな」


「え? いやいやいや、良い気分だよ? 海が綺麗だなー」


 彼の発言に不意を突かれ、ルアノは間抜けな声を出してしまう。

 その後、窓の外から見える景色が、すっかりと暗くなってしまっていることに気が付いた。暗黒めいた景色に心奪われるのは病み人だけだ。

 シロノもとっくに窓から視線を外し、ルアノとリュウの様子を伺っているようである。


「ハ。これが姫様だったら、この国終わりだろ」


「ちょっと?」


 リュウの聞き捨てならない暴言に、ルアノは目を三角にする。

 何てことを言うのだ、この男は。


「名前もロクに覚えてねえのに、人に指さして呼ぶようなガキが王女なんて、有り得ねえだろうがよ」


 うぐ。とルアノは口をつぐんでしまう。

 せせら笑っているリュウの態度が、気に入らないのに言い返せない。やはり、意地が悪いのだけは間違いではないらしかった。


「――ウィルク」


 ぽつりとリュウが言った。


「ウィルク・アルバーニア。ウィングじゃねえ」


 ルアノは目を見開いた。

 そして、確かに最終選抜試験の彼は、そんな名前だったと今度こそ思い出す。


「ま、ワケありで今は“リュウ”って名乗ってるけどよ」


 そう言って、リュウは天井を見上げた。


「どうして、王国騎士にならなかったの?」


 ルアノはそんな疑問を、遠慮なく素直にぶつけてしまう。

 本当なら、彼は養成学校を卒業し、≪現身(うつしみ)≫ではないものの、王国騎士団の新人騎士をやっているはずだった。

 にもかかわらず、彼は仲間達から得た大金で、人助けをしながら旅をしている。


「≪摩天楼≫を探さなきゃならねえからだ」


 そう言って、彼はルアノの顔を見る。

 ニヒルだが、どうしてかその表情から、穏やかさや優しさが伝わってくる。


「自分の将来を変えてでも?」


「うーん……、ソイツを自信持って肯定するのは、流石に見栄張りすぎか」


 リュウの頬が若干引きつった。やはり、心のどこかに後悔に近い気持ちがあるのだろうか。別に恥じることではない。王国騎士は名誉ある称号なのだから。


「人生賭けてるなあ。……≪摩天楼≫に何があるの?」


 だからこそ、ルアノは不思議でならない。

 何がリュウをそこまでさせるのだろう?


「俺もそれが知りたい」


 そんなリュウの答えに、ルアノは絶句してしまう。

 彼は自嘲しながら続けた。


「驚いたか? そりゃそうだ。何があるかもわからない、何処にあるのかもわからない。そんな処に行くために、王国騎士の座を棄てたんだ」


 二の句が継げないルアノを見て、リュウは言い放つ。


「話してみると、スッキリするもんだな。楽ぅーになるぞ? シロノ?」


「キミの力になれそうな情報……。私が握ってる秘密――」


 そう呟いて、シロノは目を伏せた。


 ――いいなあ、まつ毛長い。


 彼女が思案する様子は、とてもセクシーだとルアノは思う。


「――ごめん」


「つまんねー冗談だ。謝んな」


 何故か謝るシロノと、苦笑いを浮かべるリュウ。

 二人の今のやり取りは謎だ。ただの恋人のそれではない。


「ま、ウィルクの話はとりあえずおしまいだ」


 そう言いながら、リュウは懐中時計を取り出した。


「オイオイ。腹減ったと思ったら、晩飯の時間じゃねえか」


 『レストランでも行くか?』リュウはそうシロノに問うている。


 そんな二人の様子をみているうちに、


 ――ああ、羨ましいな……。


 ルアノの中で寂寥感が膨れ上がった。

 次の瞬間、二人を巻き込まないという決意が、あっという間にルアノの中でぐらついていた。


 リュウにはシロノが、シロノにはリュウが。

 どんなに途方もない旅路でも、二人は二人でいる限り、孤独ではない。


 ルアノは『ただシェイリス王国に行くだけだ』と心の中で一人旅を軽んじていた。

 ≪赤の預言≫で提示された未来を防ぐ。あるいは、そんな使命感さえあれば、どんなに辛かろうと乗り越えられると信じていた。


 しかし、現実はどうだろう。


 たかだか港町に着いた時点で、もうルアノはボロボロだ。

 世間知らずな自分が悪い、そんな風に日頃怠惰な自分を呪ったり、とっさの判断力のなさに嘆いたり。理想と現実の乖離に対する、己の無力さに途方に暮れた。


 何より、一人でいることが辛かった。


 どの馬車(ラクダ)に乗るか、食事はどうするか、どこに泊まるか。買い物をどうするか、そもそも何処でいつ買うか。わからないことがあれば、どうやって調べるか、誰に訊ねればいいのか。

 そんな些細な選択を、ルアノは自分で決めなければならない。

 その度に、ルアノは自分が独りだけであることを思い知らされるのだ。


 王城にはラアルがいた、ヴォルガがいた。ついでにクレイスもいた。

 そのありがたさを思い知り、泣いた日もあった。

 世界が滅ぶ未来に震える日も、責任感に押し潰される日もあった。


 ――もう少し。


 ロイヤルガードのヴァネッサとの合流地点まで、もう少し。

 そう心の中で、己を励ましながら、空元気でここまで辿り着いたのだ。


 空腹で倒れそうな折に、あまりのひもじさで入った賭場で敗けたとき、


 ――ああ、もうダメだ。


 ルアノは諦めかけた。

 世界の未来は自分に掛かっているというのに。


 そこで救われた安堵感と、久々に交わした会話。

 その中で生まれた自分の笑顔。


 それを思い出したとき、まるで砂の城のように脆い心に、優しい水が浸透してしまうようにして、ルアノの自負心が崩れ去った。

 自分は限界だったのだ、などと容易く認めてしまう。


 そうやって、ルアノの疲弊は露呈した――、


「≪赤の預言≫」


 ――言葉として。


 リュウとシロノが、ルアノに視線を向けた。


「ハウネルが抱えるア・ケート最高の預言者が、年に一度だけ起こす奇跡。それが≪赤の預言≫って言って、その年に起こる災厄を提示してくれるんだ」


 ――バカ。何言ってんだ。


 ルアノは自分を叱責しながら、どうしても止めることができなかった。


「それを未然に防ぐことによって、ハウネル王国は代々その安寧を保ってきた。けど、今年の預言は規模が違った。ハウネルに留まらず、ア・ケートが滅びる未来が出た」


 リュウは訝しげに、シロノは無表情で、ルアノの顔を見ている。


「滅亡の条件は、上層に≪傾国の魔剣≫が管理されていること。だから、わたしはソレ(・・)を持ち出してシェイリス王国に運んでる」


 ――ああ、言ってしまった。


 ルアノは顔が赤くなるのを自覚した。

 最後の方は涙声になっていたかもしれない。鼻の奥がつんと痛むのだ。


 恥ずかしさ。そして、どうあっても受け入れられないだろう恐怖に、ルアノは俯いてしまう。


「エルシア――」


 そんなリュウの声が聞こえたとき、


『ポーン』


 という電子音が、船内に鳴り響いた。

 ルアノは我に返り、はじかれたように顔を上げる。


『ご来客の皆様。十九時より、一階、パーティ会場にて、≪ウルトラシング≫の処女航海記念パーティを、開催いたします。パーティでは、フード、ドリンクが――』


 ダメだ。

 もうこの二人には関わってはいけない。


「ごめん! 忘れて!」


 ルアノはそう叫んで席を立つ。


「オイ、ちょっと待て――」


 そんなリュウの制止を振り切り、ルアノは駆け出した。

 どこでもいい。この二人から離れないと。


 ――『奮って、ご参加下さい』。


 そんな船内放送を聞き留める余裕など、ルアノにはなかった。





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