11.巫女の苦悩
「でもま、偶然だろ?」
からからと笑っていたリュウは、ふいにそう言い放った。
「品のある名前だ。上層に同じ名前の奴がいてもおかしかねえや。一国の王女が、こんなところで“かくれんぼ”してるワケねーしな」
リュウは脚を組んで、組んだ両手に後ろ頭を預けている。
「リュウ……」
うそぶいてみせた。
ルアノの正体がわかっても、彼は騒ぐことなく空とぼけてみせた。
詮索はしない。そうルアノに告げるように。
――いい人だ。
リュウはやはり、善人なのだ。
ルアノは微かにその目元が腫れるのを感じた。
≪剣竜の現身≫最終選抜試験で彼のしでかした暴挙を思い出す。自分の票を他の受験者へと譲渡することを条件に、投票者を務めたグレード5の生徒達から大金を巻き上げたのである。
『大金を奪ったら、人殺しも同然だ』などとほざいておきながら、自分は思い切り金をふんだくっている偽善者。あるいは、善悪の振り幅が激しく、自分の業を自覚できないサイコパス。
そんな風に、彼を思った瞬間があった。
だが、最終選抜試験で見せたアレは、幼馴染みの自信を取り戻させるための演技。わざと悪ぶっていたのだ。
そうルアノは確信する。
――この人なら。
自分の進退を懸けた一戦を、幼馴染みのために台無しにすることができる、この人なら。
ルアノが賭場で敗けた十万もの大金を、肩代わりしてくれると言ってくれた、この人なら。
文句の一つも言わず、行き倒れたルアノに当然のように昼食を奢ってくれた、この人なら。
高価なクジラのチケットを譲ってくれた、この人なら。
――もしかすると、助けてくれるかもしれない。
そう考え、ルアノは笑みを浮かべた。
「そうだよ。“エルシア”なんて、よくある名前だって」
自分の淡い期待を打ち消す、諦観の笑みを浮かべたのだ。
駄目だ。やはり、甘えることは許されない。
危険すぎる。
下手をすれば、ルアノを捜索する≪現身≫と対峙する可能性があるのだ。
ルアノはいい。たとえ、サレイネの手先の≪現身≫と揉めることになっても、流石に命を取られることはないはずだ。
だが、ルアノの共犯まではわからない。
仮に生け捕りにされたとしても、投獄処分を受けてしまう可能性が大である。
そんな危険な旅路に、恩人を巻き込むわけにはいかない。
「シケた面だな」
「え? いやいやいや、良い気分だよ? 海が綺麗だなー」
彼の発言に不意を突かれ、ルアノは間抜けな声を出してしまう。
その後、窓の外から見える景色が、すっかりと暗くなってしまっていることに気が付いた。暗黒めいた景色に心奪われるのは病み人だけだ。
シロノもとっくに窓から視線を外し、ルアノとリュウの様子を伺っているようである。
「ハ。これが姫様だったら、この国終わりだろ」
「ちょっと?」
リュウの聞き捨てならない暴言に、ルアノは目を三角にする。
何てことを言うのだ、この男は。
「名前もロクに覚えてねえのに、人に指さして呼ぶようなガキが王女なんて、有り得ねえだろうがよ」
うぐ。とルアノは口をつぐんでしまう。
せせら笑っているリュウの態度が、気に入らないのに言い返せない。やはり、意地が悪いのだけは間違いではないらしかった。
「――ウィルク」
ぽつりとリュウが言った。
「ウィルク・アルバーニア。ウィングじゃねえ」
ルアノは目を見開いた。
そして、確かに最終選抜試験の彼は、そんな名前だったと今度こそ思い出す。
「ま、ワケありで今は“リュウ”って名乗ってるけどよ」
そう言って、リュウは天井を見上げた。
「どうして、王国騎士にならなかったの?」
ルアノはそんな疑問を、遠慮なく素直にぶつけてしまう。
本当なら、彼は養成学校を卒業し、≪現身≫ではないものの、王国騎士団の新人騎士をやっているはずだった。
にもかかわらず、彼は仲間達から得た大金で、人助けをしながら旅をしている。
「≪摩天楼≫を探さなきゃならねえからだ」
そう言って、彼はルアノの顔を見る。
ニヒルだが、どうしてかその表情から、穏やかさや優しさが伝わってくる。
「自分の将来を変えてでも?」
「うーん……、ソイツを自信持って肯定するのは、流石に見栄張りすぎか」
リュウの頬が若干引きつった。やはり、心のどこかに後悔に近い気持ちがあるのだろうか。別に恥じることではない。王国騎士は名誉ある称号なのだから。
「人生賭けてるなあ。……≪摩天楼≫に何があるの?」
だからこそ、ルアノは不思議でならない。
何がリュウをそこまでさせるのだろう?
「俺もそれが知りたい」
そんなリュウの答えに、ルアノは絶句してしまう。
彼は自嘲しながら続けた。
「驚いたか? そりゃそうだ。何があるかもわからない、何処にあるのかもわからない。そんな処に行くために、王国騎士の座を棄てたんだ」
二の句が継げないルアノを見て、リュウは言い放つ。
「話してみると、スッキリするもんだな。楽ぅーになるぞ? シロノ?」
「キミの力になれそうな情報……。私が握ってる秘密――」
そう呟いて、シロノは目を伏せた。
――いいなあ、まつ毛長い。
彼女が思案する様子は、とてもセクシーだとルアノは思う。
「――ごめん」
「つまんねー冗談だ。謝んな」
何故か謝るシロノと、苦笑いを浮かべるリュウ。
二人の今のやり取りは謎だ。ただの恋人のそれではない。
「ま、ウィルクの話はとりあえずおしまいだ」
そう言いながら、リュウは懐中時計を取り出した。
「オイオイ。腹減ったと思ったら、晩飯の時間じゃねえか」
『レストランでも行くか?』リュウはそうシロノに問うている。
そんな二人の様子をみているうちに、
――ああ、羨ましいな……。
ルアノの中で寂寥感が膨れ上がった。
次の瞬間、二人を巻き込まないという決意が、あっという間にルアノの中でぐらついていた。
リュウにはシロノが、シロノにはリュウが。
どんなに途方もない旅路でも、二人は二人でいる限り、孤独ではない。
ルアノは『ただシェイリス王国に行くだけだ』と心の中で一人旅を軽んじていた。
≪赤の預言≫で提示された未来を防ぐ。あるいは、そんな使命感さえあれば、どんなに辛かろうと乗り越えられると信じていた。
しかし、現実はどうだろう。
たかだか港町に着いた時点で、もうルアノはボロボロだ。
世間知らずな自分が悪い、そんな風に日頃怠惰な自分を呪ったり、とっさの判断力のなさに嘆いたり。理想と現実の乖離に対する、己の無力さに途方に暮れた。
何より、一人でいることが辛かった。
どの馬車に乗るか、食事はどうするか、どこに泊まるか。買い物をどうするか、そもそも何処でいつ買うか。わからないことがあれば、どうやって調べるか、誰に訊ねればいいのか。
そんな些細な選択を、ルアノは自分で決めなければならない。
その度に、ルアノは自分が独りだけであることを思い知らされるのだ。
王城にはラアルがいた、ヴォルガがいた。ついでにクレイスもいた。
そのありがたさを思い知り、泣いた日もあった。
世界が滅ぶ未来に震える日も、責任感に押し潰される日もあった。
――もう少し。
ロイヤルガードのヴァネッサとの合流地点まで、もう少し。
そう心の中で、己を励ましながら、空元気でここまで辿り着いたのだ。
空腹で倒れそうな折に、あまりのひもじさで入った賭場で敗けたとき、
――ああ、もうダメだ。
ルアノは諦めかけた。
世界の未来は自分に掛かっているというのに。
そこで救われた安堵感と、久々に交わした会話。
その中で生まれた自分の笑顔。
それを思い出したとき、まるで砂の城のように脆い心に、優しい水が浸透してしまうようにして、ルアノの自負心が崩れ去った。
自分は限界だったのだ、などと容易く認めてしまう。
そうやって、ルアノの疲弊は露呈した――、
「≪赤の預言≫」
――言葉として。
リュウとシロノが、ルアノに視線を向けた。
「ハウネルが抱えるア・ケート最高の預言者が、年に一度だけ起こす奇跡。それが≪赤の預言≫って言って、その年に起こる災厄を提示してくれるんだ」
――バカ。何言ってんだ。
ルアノは自分を叱責しながら、どうしても止めることができなかった。
「それを未然に防ぐことによって、ハウネル王国は代々その安寧を保ってきた。けど、今年の預言は規模が違った。ハウネルに留まらず、ア・ケートが滅びる未来が出た」
リュウは訝しげに、シロノは無表情で、ルアノの顔を見ている。
「滅亡の条件は、上層に≪傾国の魔剣≫が管理されていること。だから、わたしはソレを持ち出してシェイリス王国に運んでる」
――ああ、言ってしまった。
ルアノは顔が赤くなるのを自覚した。
最後の方は涙声になっていたかもしれない。鼻の奥がつんと痛むのだ。
恥ずかしさ。そして、どうあっても受け入れられないだろう恐怖に、ルアノは俯いてしまう。
「エルシア――」
そんなリュウの声が聞こえたとき、
『ポーン』
という電子音が、船内に鳴り響いた。
ルアノは我に返り、はじかれたように顔を上げる。
『ご来客の皆様。十九時より、一階、パーティ会場にて、≪ウルトラシング≫の処女航海記念パーティを、開催いたします。パーティでは、フード、ドリンクが――』
ダメだ。
もうこの二人には関わってはいけない。
「ごめん! 忘れて!」
ルアノはそう叫んで席を立つ。
「オイ、ちょっと待て――」
そんなリュウの制止を振り切り、ルアノは駆け出した。
どこでもいい。この二人から離れないと。
――『奮って、ご参加下さい』。
そんな船内放送を聞き留める余裕など、ルアノにはなかった。




