07.陰謀
「姐サン。ブツの運びが上手いこと済んだと、業者から連絡がありました」
ホガロで一番とされる高級宿泊施設の最上階。
そのロイヤルスイートの一室で、テレサ・ライトネルは爪を磨きながら、部下の報告を聞いていた。
黒いスーツに身を包んだ坊主頭の部下は、元制服組の軍人ということもあり、背の後ろに腕を組んだ鬱陶しい体勢をしている。
「それ、いい加減やめなさい。疲れないのかしら? この木偶の坊は」
「お言葉ですが、これが休めの姿勢です」
テレサは部下に視線もくれずに注意するが、彼は頑として譲らない。
ハァ、とため息を吐いてしまう。
形式張った堅苦しい男だが、なまじ使い勝手と腕っぷしいいので、どうしても手元に置いてしまうのだ。
黒服組のしきたりに馴染めていない分、“形式張った”という表現は語弊があるが。
「もういいわ。それで、頭数の方は揃ったの?」
「それが、そちらを手配していたギルドで、問題が起こったようでして」
テレサは眉をひそめて、部下の顔を見た。
精悍な顔立ちの彼は、しかしながらその顔色を変えることなく報告を続ける。
「開いてる鉄火場が踏み倒しに遭ったそうです」
「おマヌケさんね」
「被害自体は十万にも満たない額だそうです。が、始末に負えないのが、舐めたアホ共がその話を聞きつけて、その賭場にハラスメントを喰らわせたとか」
シノギでしくじると、対抗しているギルドからちょっかいをかけられるのは、ギルドの世界ではままある話だった。そして、そのまま協賛者達に大変な落とし前をつける羽目になり、潰れてしまう弱小ギルドが幾つもある。
「それで?」
「リカバリーに人員を割きたいので、取引を白紙にして欲しいと。そうでなければ、契約の単価を――」
「わかったわ」
テレサは爪に向けて、ふうと息を吹きかけた。
「残念だけど、人手は諦めることにしましょう。 貴方たちだけで、できるわよね?」
組んだ脚をほどき、立ち上がった。
そのまま黒ドレスをなびかせるようにして、テレサは室外へと向かう。
協賛者として、テレサは処分を下さなければならない。
「そのギルド、粛清対象に加えるよう手配なさい」
「はい。……どちらへ行かれるので?」
テレサは扉のノブを握ると、口元を歪めて答えた。
「浮いた予算で、新しいヒールを買うの」
***
ハウネル王城で大事件が発生して、もう十日目となる。
上層公安局による特別対策本部の目前で、ラアル・ルクターレは腕を組み、瞑目しながら柱に背を預けていた。
「ラアル様」
と聞き慣れた声による呼びかけに応じ、ラアルは目を開いて声の主へと視線を向ける。
ラアルのお付きであるロイヤルガード、クレイスだ。
「やはり、ヴォルガの除名には時間が掛かりそうです」
「裁判はいつになりますか?」
「どんなに手順を飛ばしても、二日は必要でしょうね。もちろん、身柄送検してからです」
――ヴォルガを行かせてしまったのは失敗だった。
ロイヤルガードの一人であるヴォルガ・シンクェルには、要人が上層から脱走するのを幇助した疑いが掛けられている。
≪フロアセブン≫に仕えて十数年にもなる彼が、何故そのようなスパイまがいの行為をしでかした容疑者となっているのか?
その答えは、ラアルがクレイスに命じ、ありもしない罪をでっち上げて擦り付けさせたからである。
ひとえに、彼を王国騎士団から除名させる為だった。
おかげで、ヴォルガには完全に≪現身≫としての権限が取り上げられたが、ラアルはまだこれでは足りないと考えている。
――ヴォルガを完全に騎士団から追い出さねば。
そう心中でごちたラアルに、クレイスが更に報告を続けた。
「ヴォルガのこととは別件で、一つ気になることが」
「何でしょう?」
ただでさえ、声を潜め話していたクレイスは、その顔をラアルの耳元に寄せて呟いた。
その言葉を聞き、ラアルは顎に親指と人差し指をやった。
――まさか、と思う。
「それ、今まで握っていたのは誰ですか?」
そう訊いたラアルだが、クレイスは黙って首を横に振った。
クレイスの反応に、ラアルはその人物に当たりをつける。
――サレイネ特務大臣だ。
そして、今のクレイスの報告が本当ならば、ようやく次の方針を定めることができる。
まだ十日。おそらく間に合うだろう。
「クレイス。貴方はシェイリスに在中している貴方の密偵に、ルネからの入国者を監視するよう手配して下さい。今からでも」
「わかりました。ヴァン王子へのコンタクトはいかがいたしましょう? かなり危険かと思いますが」
「少なくとも、ヴァン殿御本人は信用できる方です。しかし、彼とのパイプはセキュリティの観点から頑健とは言えません。情報が漏洩する可能性が高すぎる」
脱走した者の行き先は、シェイリス王国第四王子、ヴァン・シェイリスの元でしかありえない。だが、クレイスの言うように、ヴァンに連絡を取ろうとするのは危険すぎる。何人かの密偵に橋渡しをさせなければならず、その中の誰かが、外部の者と通じている可能性がありえるからだ。
伝言ゲームの危険性は、始点と終点で情報の内容に差異が生じることだけではない。
今回のように、特に機密性の高い捜査では、情報が流されることを最も警戒する必要がある。
「ハーゼ達が追いつける可能性は十分あります。それに期待しましょう」
この王都からシェイリスに入国する場合、最も近い国境検問所はルネにある。
ラアルはそこから逆算して考えた。
ルネから王都への経路は二つだ。陸路か海路。
陸路ではちょっとした山を迂回する必要がある。
一方で、海路では港町ホガロからルネ直通のクジラが出ているはずである。おそらく、それが最短経路で間違いないだろう。
「二人をホガロに向かわせます。現地の≪現身≫にも協力を依頼しましょう」
そうラアルは判断を下した。
そもそも、脱走者はヴァンに協力を仰いでいる可能性が、非常に高い。
果たして、彼は脱走者の暴挙を諫めるだろうか?
――それはない。
今回の脱走事件の動機には、間違いなく先日の≪預言の儀≫が関与している。
ならば、脱走者の目的はヴァンへのSOSだ。
そして、ヴァンは≪赤の預言≫がもたらす恩恵の重大性を、よく理解しているはずである。つまり、彼には脱走者を保護するための、充分すぎる理由があるということになる。
ならば、ラアルのコネをもってしても、シェイリス王国内の協力がどこまで望めるかわからない。
「ラアル様。先程ご報告した件ですが、他のロイヤルガードに共有するのは避けるべきかと」
「そうですね……」
ラアルは小さくため息を吐き出した。
クレイスの忠告は、素直に聞き入れた方が良い。
現状、上層には本当の意味でラアルの味方となりうる者が少なすぎる。
もちろんそれは、身内である≪フロアセブン≫の面々を含んでさえも、だ。
「何としても、誰よりも早く接触しなくては……」
ラアルはついに眉間を指で押さえ、絞り出すように言った。
脱走者であるラアルの姉――、
ルアノ=エルシア・ルクターレを思いながら。




