06.邂逅(後篇)
彼女の問いは、リュウからすれば哲学的なものだった。
――どうして?
――どうして、か。
だが、リュウにはその問いに対する、核心を突いた答えがすぐに用意できない。
それ故だろうか。思考がどうしても、“どう答えれば相手が満足するか”という方向性にシフトしてしまう。
「……理由は幾つもある」
「いや、どう考えてもそんなにないと思うけど」
「そうか? “困ってるガキを哀れんでる”、“格好つけたい”。そんな自分自身の人間性の観点からも幾らか挙げられるし、“もしかしたら好かれるかもしれない”だの、“見るからにお嬢様だし、まさかの恩返しも有り得る”だの、打算的な面からも挙げられる。“冷たい世間への反発”とかも理由の一つだ。ホレ、一瞬で五個も挙がったじゃねえか」
リュウはテーブルに置いたチケットを、エルシアの前へずいと勧める。
今並べ立てた理由は、きっと枝葉に過ぎない。それらの大元となる大樹は、たった一つの簡単でいて言葉にできない、リュウの人格に根差した“何か”なのだろう。
エルシアは呆気にとられていた。
その間抜け面が、どうしてもいつしかのアルフィと被ってしまう。
「あの、色々ツッコミたいことあるけど、それってほとんどこじつけだと思う」
「突然そんな質問されたら、どうしてもこじつけになるだろ……。こちとら何も考えてねーんだからよ」
リュウは頭を掻いた。
どうにも、まだ信用がないのだろうか? それとも彼女のプライドの問題か?
エルシアはうーんと唸っている。
確かにこれが逆の立場なら、今のエルシアのようにリュウも頭を抱えていたかもしれない。
他人からの施しを受けることは、想像以上に大きな決断力を要することなのだ。少なくとも、不自由ない生活をしてきた者にとっては。
リュウ自身、ゲームタワーで経験したことだが、人を欺くことと信じることは同等に大切なことであり、それ故に難しい。
信じるべき者を疑い、疑うべき者を信じる。
そんなあべこべな判断を下してしまい、負けていったプレイヤーを沢山見てきた。
それはきっと、ゲームタワーの外でも変わらない。
「悪いんだけど、わたし、やっぱり受け取れない」
「人間不信か?」
そう訊くリュウに、エルシアは静かに首を横に振る。
「そうじゃなくて、わたし自身の気持ちの問題。二人には十分すぎるほど良くしてもらった。だから、これ以上甘えたらダメじゃないかなって」
リュウは口元を緩めた。
――プライド。
きっとリュウでも、彼女と同じ理由で、同じ判断を下したことだろう。
「そういうことなら、尊重するぜ」
リュウはチケットに手を伸ばす。右手で掴んだチケットを顔の横まで持ってきた。
「念のため、コイツは一枚残しとく。明日の出航ギリギリまで波止場の切符売り場で待ってるから、気が変わったら取りに来い」
そう言って、リュウはチケットをジャンパーのポケットにしまった。
「何か、色々ありがとね」
そうルアノは力なく微笑んだ。
「何のお礼もできないけど、この恩は絶対忘れないよ」
そんなエルシアの常套句を聞いたとき、リュウは彼女に尋ねなければならないことがあるのを思い出した。
もっとも、彼女から面白い答えが貰える期待など、ほぼしていないに等しいが。
「お礼ってんなら、ちょっと訊きたいんだけどよ。≪摩天楼≫って場所に心当たりねえか?」
「≪摩天楼≫……?」
エルシアは腕を組んだ。
視線を中空に彷徨わせ、記憶を辿っているようである。
うーん。
とたっぷり五秒は唸っただろう。
「ごめん。わからないや」
そう彼女は答えた。
リュウは心中でため息を吐いた。
――やはりダメだ。
リュウはホガロを尋ねて回ったが、知っている者はいなかった。やはり、もうここにめぼしい情報は存在しないのだろう。
「残念だけど、その≪摩天楼≫ってハウネル王国にはないと思うよ」
「どういうことだ?」
突然もっともらしい情報を落としたエルシアに、リュウは視線を向ける。
「目付き悪!? そんな睨まないでって……」
「そりゃ悪かったな。で、何で国内にないって言える?」
何気に知られてない、ちょっとした豆知識なんだけど。
と前置きをしてエルシアは語る。
「“摩天楼”ってことは、それなりに背が高い建物を指すよね? ハウネルでは慣習として、高さの意味合いを含む呼称は、基本的に使われないんだよ」
「何でだよ?」
「この国では、“高さ”はすなわち“位”を表す。実際、ハウネルの王城だって、この国で一番高い位置に建ってるでしょ? これは初代から三代目までのルクターレのこだわりで、それに対する国民の遠慮は、今の時代も名残として存在しちゃってるわけ」
今度はリュウが呆気にとられる番だった。
エルシアの言うことは、リュウがアルフィから教わった知識と確かに符合し、かなり納得のいく内容だ。
それをすらすら述べる彼女は、ちゃんとした教育が施されていると思って間違いない。
「上層を差し置いて、そんな大層な名前で呼ばれる建物なんてありえない。符丁でさえもね。そんでもって、頂点のはずの上層自身にもそんな建物はありません。以上」
きっぱりと言い切ったエルシアに、リュウは尊敬の眼差しを向けてしまう。
この誤算は実に痛快だ。
「お前、スゲえな。あちこちで同じ質問したけどよ、これほど確信めいた答えは初めてだ」
「いやあ。どうでもいい知識だけは、ちょっと自信あるんだよね」
エルシアは右手を首の後ろに当てた。
自らの会心の回答に満足しているのだろう。にへら、とその頬を緩めている。
「どうやら≪摩天楼≫ってのは、王都ハウネルの企業に人員を送り込める位置にあるらしい。可能性が高そうなのは、どこだ?」
「シェイリスか、レーミルテスじゃない? どう考えてもハウネルと隣接してるでしょ。どっちかっていうとシェイリスかな。業界にもよるけど、一般的にシェイリスの企業の方が与信審査が通りやすい印象あるし」
ハウネル王国に隣接する国は二つある。
シェイリス王国と信仰の国レーミルテスだ。
シェイリスはハウネルと和平条約を結んでおり、昨今では軍事的な意味合いよりも、貿易等の外交に多大な影響を受けていると聞く。
対して、レーミルテスはその特殊な体制から、企業活動におけるルールが厳しいと聞いたことがある。エルシアの言う与信管理の観点で言えば、レーミルテスの企業との取引の方が難しそうだ。まして、異教徒のフロント企業などもってのほかだろう。
これは、エルシアの意見を支持する他なさそうだ。
リュウはシェイリス王国へと向かうことに決めた。
「ありがとな、エルシアさん。正直、アテがなくて困ってたんだ」
「……あの、いちいち失礼な言い方して悪いんだけど。ホントにどこかもわからないところに行こうとしてたの?」
「こっちも、色々ワケありなんだよ」
頬を引きつらせているエルシアに、リュウは苦笑いを返す。
だが、やがて彼女はぷっと吹き出し、そのまま愉快そうに笑った。
「変な人達」
「オメーに言われると、釈然としねえな」
そうしてリュウも、苦笑いを本物の笑顔に変えた。
数奇な話だ。
互いに事情を何も知らない二組が、こうして軽口を叩き合い、そして笑い合っている。
馬鹿みたいだが、リュウは彼女との対話に小気味の良さを感じていた。
しかし、それも一期一会。
まるで、そう言い切るように、エルシアは立ち上がった。
「わたし、そろそろ行かなきゃ」
彼女は大振りの獲物と布巻きの代物を担いだ。
「ねえ、名前教えてよ」
「俺はリュウ。こっちはシロノ」
そうリュウは短く名乗った。
「うん。やっぱり知らない人だ」
そう言って、エルシアは屈託なく笑ったものだった。
「せいぜい道中気をつけな」
「さよなら」
リュウが雑に手を挙げるのを見やり、エルシアはクセのある長い赤髪を靡かせて、去って行った。
――エルシア、ねぇ。
彼女の後ろ姿を見届けながら、リュウは魚の小骨が喉につっかえたような違和感を覚えた。




