05.邂逅(前篇)
大した食いっぷりに、リュウは唖然としてしまう。
テーブルを挟み、リュウとシロノの対面に座る赤髪の少女は、チキンの定食から始まり、サラダ、クラブサンド、スープ、そして今度はビーフの定食と、見ていて胸焼けするほどに大量のカロリーを摂取している。
リュウが伝票を改めると、彼女一人でもうそろそろ五〇〇シーンに届こうという勘定である。
「酒抜きでこの値段はスゲえな。たかが定食屋だぞ、ここ」
「たかが定食屋で悪かったわね」
若い女性店員が、海鮮定食を少女がありついている皿の横に置く。
そして、店員は空になった皿を下げる。
「アタシが言うなって話だけど、あなた大丈夫?」
店員は困惑したように、気の強そうな眉を垂らしながら少女に訊いた。
「いくらなんでも食べ過ぎじゃないの?」
少女は噛んでいたビーフを飲み込むと、少し恥ずかしそうに頭を掻いた。
「いやあ、ここ丸三日、ろくすっぽご飯食べれなくて……。あ、もちろん味わって食べてるよ? 美味しいね、ここの定食」
「そりゃどうも……。ってそういう問題じゃない気がするけど……」
女性店員は少し引き気味である。芯の硬そうな蒼い瞳が、目前の珍客に揺らいでいる。
彼女の反応からして、おそらく赤髪少女ほどの大食らいが来店した経験がないのかもしれない。
「確かに味の問題じゃねえな。チビがそこまで飢えちまう、冷めた世間が問題だな」
「それもそうだけど、そんな世知辛い話の前に、このコの胃袋の心配をしてあげなさいよ……」
至極真っ当なことを言って、女性店員は頬を引きつらせたものだった。
「リュウ。オーマルティというのを、食べてみたい」
既に海鮮定食を平らげ、メニューを眺めていたシロノであるが、唐突にそんなことを言い出した。
彼が自分から要求するのは初めてのことだ。
「ん? じゃ、俺も久々に喰っとこうかな」
そして、オーマルティはウィルクの好物だ。そのせいかはわからないが、リュウがオーマルティを食べると、不思議と身体が喜ぶ。
「じゃあ、オーマルティ二つ」
「三つ下さい」
赤髪の少女が勝手に注文をする。もちろん、支払いはリュウだというのに。
その図々しさに、リュウはいっそ清々しさを覚えてしまう。
「かしこまり」
女性店員はため息を一つ吐き、ガーリーな茶髪のポニーテールを揺らして去っていった。
***
賭場の男二人を沈めたリュウは、シロノに組み敷かれてダウンしている少女に、昼食を施すことに決めた。
彼女の事情は知らないが、あそこまで盛大に空腹を訴えられては、放っておくのも気が咎めたのだ。
「ごちそうさまでした」
最後の皿を空にすると、彼女は少しクセのある赤髪を垂らして、リュウにお辞儀した。
「満足したか?」
「うん、ばっちり。ごめんなさい。好き放題食べて」
そう言うと、彼女は右手で首の後ろを押さえた。
「いや、そりゃいいんだけどよ。これからどうする気だ? 文無しなんだろ?」
だが、この質問はあまりに馬鹿げているとリュウは自分で思う。
答えは『ノーアイデア』に決まっているはずだ。何せ、彼女には先立つものが何もないのだから。
「そうなんだよねぇ……。こんなハズじゃなかったのになあ」
ということは、元々はあった充分な資金を、何らかの理由で失ってしまった可能性が高い。
詐欺か何かか。そうリュウは想像をする。
「そ、そんな怖い顔で睨まないでよ」
そう言って、彼女は水の入ったコップに口をつける。
こくん、と水を飲み干し、少女は改めてリュウに視線を向ける。
そして、何かを言おうとしたのか、口を開きかけたとき、
――彼女は何かに気が付いたように、顔をしかめた。
「? どーしたよ、チビ」
「ね。もしかして、おにーさん、どっかで会ったことない?」
そう尋ねた赤髪の少女は、おそらく家出娘であるとリュウは思った。
それも、貴族クラスの裕福な家庭の。
リュウは彼女の食べ方が気になっていた。
確かに早食いではあったが、一口一口の丁寧さを損なうような食べ方は決してしていなかった。そのマナーから、育ちの良さが覗えたのだ。
「会ったことがある? 俺らはここ数年、ハウネルの上層にいたんだぞ?」
「ないね! 全然ないね! 初対面でした! あはははは!」
そのリュウの指摘に、彼女は己の失言を自覚したのか、慌てたように手を顔の前で振って否定を示す。
そんな彼女の様子に、もうリュウは苦笑いするしかない。
「なあチビ。奢ってやったんだからって言う気はねえけど、事情くらい教えてくれてもいいんじゃねえか?」
「色々助けてくれたことには感謝するけど、その『チビ』っていうの、やめてくれる?」
赤髪の少女はジロリと半眼でリュウを睨む。
「つっても、名前知らねえし」
「……エルシアだよ」
「エルシア、ねえ」
一瞬だけ名乗るまでに間があったことから、おそらく偽名だろうとリュウは推測した。
「エルシア。いい名前じゃねーか。品があってよ」
「え? やっぱり、そう思っちゃう?」
彼女は少し照れたように頬を緩めた。
癖なのだろう。右手で首の後ろを掻いている。
「ああ、似合ってるぜ。チビ」
「似合ってるなら呼んでよ!?」
「ジョークジョーク」
眼を逆三角にしてツッコミを入れる自称エルシアに、リュウは軽く笑った。
「で? エルシアさんはどうして文無しになっちまった? やっぱ、詐欺か?」
「げ、何でわかるの? そういう奇跡?」
「ただの推測……、当てずっぽうだ」
「うへえ、言っちゃなんだけど、それ相当悪趣味だよ?」
顔を歪めたエルシアだが、ややあって口を開いた。
「実はさ。わたし、シェイリスに行かなきゃいけないんだ」
「旅行って雰囲気じゃねえな。亡命か?」
「ンなワケないでしょ……。届け物だよ」
馬鹿げたことを言い放ったエルシアに、リュウは今度こそ笑ってしまう。
「届け物だ? 冗談だろ? 国際便がある世界だぜ?」
「手渡しじゃないとダメなんだよ」
「なら密輸か」
「違法なものじゃないよ!?」
声を荒げたエルシアに、リュウは冗談だって、と再度言う。
「そのための資金はどうしたんだ?」
「護衛を雇おうとしたら、ご推察の通り詐欺に遭いまして……」
語尾に力がなくなり、ついにエルシアは恥じ入るように顔を伏せた。
そんな彼女をみて、リュウはつい言ってしまったものである。
「血も涙もねえ連中だな。大金騙し取ったら、人殺しも同然だ」
「……わたしのこと、バカだとは思わないの?」
エルシアは窺うように顔を上げた。
「いや、オメーがバカなのは最初から確定だが、詐欺に関しちゃ話が別じゃねえの? 情けねえ思いしてんのはわかるけど、ンな卑屈になることじゃねえだろ」
もちろん、エルシアの不注意が招いた事態だという考えもできるだろう。
『しっかりしなさい。世の中、悪人だらけなのだから』
そう彼女に言って聞かせるのが、常識的な大人だという者もいるかもしれない。
リュウとしては、そんな常識などどうでも良いので、特にエルシアに対して説教することなどないが。
「ま、スッた金は残念だけどよ。その届け物だののこと考えなきゃな」
「お金……。この辺で魔物退治とかの仕事ないかな……」
そのエルシアの発言に、リュウは彼女の獲物に視線を向けた。
それに気が付いたのか、エルシアは得意げに鼻を伸ばしてみせる。
「わたしさ、こうみえて、結構腕に自信があるんだよね。今日みたいにおなかすいてなければ」
おそらく、それは戯言でも何でもない。
実際、彼女は倒れる寸前の空腹状態で、ギルドの構成員と追いかけっこを成立させていた。
そして、リュウが彼女を捕らえようとしたときの身のこなし。ヴェノの制御に相当な覚えがなければ、真似できないような瞬発力だった。
エルシアが持つ大振りの剣も、きっと伊達ではないはずだ。
彼女は強い。もしかしたら、リュウよりも。
「あー……、こっからルネに行くんだよな?」
そうリュウはエルシアに訊く。
「うん」
と彼女は頷いたが、その顔に渋面を作っている。
「まあ、お金を工面してからだけど……」
リュウはジャンパーのポケットから、筋肉男から奪ったチケットを取り出した。
そのうちの一枚を、エルシアの前に差し出す。
「こいつは明日の十八時に出航する、≪ウルトラシング≫ってクジラのチケットだ。行き先はルネ。何か知らねーけど、パーティもやるらしいぜ」
エルシアは目を見開き、リュウの顔を見る。
まさかという表情。
リュウの意図がわかりつつも、それを信じることができない様子だった。
「売るほど余ってんだ。持ってけ」
「……なんで?」
「? なんでって何で?」
「えー、何その返し……。このチケット、それなりに高いんでしょ? 何で譲ってくれるの?」
リュウは腕を組んで考えた。
自分はそんなにおかしいことをしているだろうか?
「それだけじゃない。わたしの敗け分を肩代わりしようとしたり、ご飯を奢ってくれたり。わたしが訊くなって感じだけど、どうしてここまでしてくれるの?」




