04.他人の値段
リュウとシロノは、筋肉男から巻き上げた≪ウルトラシング≫のチケットを捌くべく、紹介された転売屋に向かっていた。
ホガロは王都に負けず、活気のある街だ。
港町というだけあり、水産物の市場への人の出入りが激しく、街の中心部は早朝はもちろん昼間でさえも喧噪に包まれている。
「寒くねーか?」
リュウはシロノに気を利かせて尋ねるが、特に反応はない。
季節はすっかり春になったところだが、海が近いという地理上、潮風が強くて人によっては寒かろう。まして、この日は曇っており気温が低い。
もっとも、リュウもシロノもつい先日まで山にいたため、寒さには基本的に慣れっこなのだが。
リュウは懐中時計をジャケットのポケットから取り出し、パカッと蓋を開く。
時刻は十三時を回っており、リュウは空腹に気が付いてしまう。昼前から賭場に入り浸っていたため、昼食を取り損ねていた。
「ダフ屋行く前に、飯食うか?」
そうシロノに尋ねると、彼はこくりと頷いた。こうして意見を示してくれただけでも、出会った当初と比べれば大した進歩だった。
リュウは微かに笑みを浮かべると、『なら適当に店入るか』と呟く。
――そこで、
『アブねっ』『オイコラ!』『キャ!』『ごめんなさい!』
などと、正面から不穏な騒ぎが迫ってくることに気が付いた。
「オイ、ソイツ捕まえてくれ!」
「ゴメン! ちょっと道開けて!!」
喧噪の正体がリュウの視界に入る。
赤い長髪を振り乱し、小柄な少女がリュウ達に向かって突進している。その大分後ろに二人の男がくっついていた。
彼女達は通行人達を器用に躱しながら、かなりの速度でこちらに近づいてくる。おそらく、リュウ達に接触するまで、あと三、四秒といった猶予しかない。
男がしきりに『待て』を繰り返していることから、リュウは赤髪の少女と男二人が何をしているかの当たりをつけた。
――追いかけっこか。
通行人達は、赤髪の少女を捕らえようとするどころか、譲るようにして道の両脇に移動する。
「こういうところは異世界でも変わらねぇな、オイ」
リュウは身構えて、少女の衝突に備えた。
「ちょっと、どいて!」
そんな少女の警告など、聴くはずもなく。
リュウは彼女を捕らえようと、ラリアットの要領で広げた右腕でその小柄な体躯に、
――彼女は大きく跳躍し、あっさりとリュウを飛び越す。
しかし――、
「シロノ!」
リュウが怒号を上げた瞬間、シロノは空中の赤髪の少女に飛びつき、地面に叩き付けた。
「ぶ!」
そのまま、シロノは少女を押さえつける。
呻き声を上げている彼女を、リュウは冷たく見下ろした。
――躱しやがった。
リュウは彼女が只者ではないことを悟る。
よく見れば、彼女は背中に不釣り合いな大振りの獲物を背負っており、それに加えて布で十分に保護してある“何か”も、同じように担いでいた。
「ぜーっ、ぜーっ、兄ちゃん達……、助かった、ぜ……」
遅れてきた男二人のうち、一人が息も絶え絶えといった様子で礼を述べた。
彼らは二人して中腰になり、両膝で手を支えながら息を整えている。
「この、クソチビ……。すばしっこいの……、なんのって……」
「うぅ、はなせぇ」
二人の男の風貌は、明らかに堅気ではない。
そんな二人に追いかけられるということは、余程のことをしでかしたに違いなかった。
「何やったんだ?」
「踏み倒しだ」
リュウが男の一人に尋ねると、彼は大きく息を吐いて、リュウに向き直り答える。
「このガキ、ウチの賭場で七万敗けて、とんずらこきやがったのよ」
「そりゃ命知らずだな」
リュウは力なく抵抗している少女をせせら笑った。
どういう事情か知らないが、金に困ってギャンブルに挑んだのだろう。賭金もなければ、勝てる見込みもないまま。
「見るからに金がなさそうじゃねえか。止めてやりゃよかっただろ」
「ウチは特に年齢制限設けてねえし、敗け分は肉体労働で支払うってことで、オーケイしてやったんだよ。逃げるのは警戒してたんだが、あまりに逃げっぷりが見事でよ」
「こりゃ、下手に売り払っぱらうより、ウチのギルドで働かせた方がいーんじゃねえか?」
ちょっとしためっけもんだぞ。そう男は呟いた。
リュウも同感である。彼女の運動能力は卓越している。それなりのワケがありそうなのも、この少女ならば不思議ではない。
「待った。俺が敗け分を肩代わりする」
しかしながら、この少女を自業自得と見捨てるのは、少し抵抗があるリュウである。
“義を見てせざるは雄なきなり”という言葉を信じるべきか。リュウは気が付けば、彼女の敗けを補填することを決めていた。
『ア!?』
男二人は度肝を抜かれたように、リュウの顔を見た。
「マジで言ってんのか?」
「マジだ。七万シーン、俺が払う」
少し背が低めの男が、もう一方の顔を伺うように視線を向けた。それを受けた年上であろう男は、リュウを訝しむように凝視しながら、考えている様子である。
「……一〇万だ」
「その三万は何だよ?」
「手間賃だよ。こんだけ走らされて、俺らに金入らなきゃやってらんねぇ」
リュウはため息を吐いた。
「わかった。一〇万シーンだな。払うから、コイツは見逃してやってくれ」
別に構わないリュウである。
先の選抜試験で得た大金のせいか、少々金銭感覚が麻痺しているのを自覚しているが、払える額であることに変わりはない。
「本気かよ、テメエ」
「信じられねえ。一〇万だぞ? こんなチビガキにそんな価値あるか?」
「その金で連れのコに良い思いさせてやれよ。何他の女に大金使おうとしてやがる」
「すげえ美人侍らせといて、とんでもねえヤローだ。ロリコンの類いか」
「金の力で堂々浮気かよ? マジで腐ってんな」
上乗せに承諾したリュウに、二人は代わる代わるに四の五の言い始めた。
しかも、誤解にもかかわらず、彼らが言っていることが真っ当過ぎる。
リュウは『え? いや、違……』などと狼狽しながら情けない否定の言葉を漏らしていた。
『ねえ、ヤバくない?』『通報した方が……』
ざわめきが拡張され、大衆の危機感が飽和していく。それはやがて、分散されたはずの責任でさえ、“通報の義務”にまで到達する。
「あ、どうぞどうぞ、通報して下さい」
「こっちにやましいことないんで、全然通報されても大丈夫っす」
強気に周囲に主張するチンピラ二人に、リュウは――、
「あ、お騒がせしてすいませんっす。どもども」
――などと、彼らの演技に合わせるように、往来する人々に気を付けの姿勢で主張していた。
これだけ堂々とすれば、端からみて問題があるのは少女の方だと思ってくれるだろう。
「やめてぇ。通報だけはやめてぇ……」
一方で、後ろ固めで組み敷かれながらも、警備隊の到着を嫌う少女。
一見すれば渾沌としているが、何のことはない。少女を悪とみてくれれば、大衆にとっては簡単に筋が通る光景。技ありも同然だ。
『なんか、問題なさそうじゃありませんか?』『てか、女の子が悪いとか?』『超イケメン。マジタイプ』
通りの緊張した空気は弛緩していった。道行く人々は、再びまばらに散り、今一時の事件を忘れて自分の人生に戻ることだろう。
冷たい現実だが、今だけはありがたいと思うリュウである。
「ふ。兄ちゃんわかってんじゃねーか」
「さては、慣れてやがんな? 悪いヤローだ」
そう、チンピラ二人はリュウの働きを認め、へへっと鼻の下を指でこすった。
共闘して、危機を脱した。そんな謎の一体感が、リュウの心を満たしている。おそらく、それはこの二人も同じだろう。
だから、リュウは笑って言った。
「んじゃ、金払うからコイツ見逃してくれんだろ? 腹減ってんだ。あんたら、この辺でウマい飯屋――」
途端、男二人の空気が明らかに剣呑なものに変わる。
「テメエ、もしかしておちょくってんのか?」
「ハァ? 何でそうなるんだよ?」
「コイツ、乗ってやがる」
――今、わかり合えそうになった空気はどこいった!?
驚愕の手のひら返し。背の低い方がリュウを指さして年上の方をみていた。
刹那、目前に迫る拳を、リュウは一歩退きスウェイバックで回避した。
「あっぶねぇ! 払うっつってんだろうが!」
「その前にボコらせろや!」
――ああクソ!
元の世界にいたころから、リュウはずっとこの調子だ。
因縁をつけられ、どうにか丸く収めようとしても、どうしても喧嘩に発展してしまう。
リュウは背の低い男の遅いパンチを受け止め、彼の腕を掴んで持ち上げる。そのまま、もう一人の男にジャイアントスイングで投げつけた。
二人はまとめて数メートルはぶっ飛び、壁に仲良く激突した。
「何でこうなっかな……?」
大衆の注目を浴び、リュウは気まずい思いをしながら呟いた。
もっとも、その原因が他人をムカつかせる己の薄ら笑いであることを、リュウは内心でわかっているのだが。
リュウは赤髪の少女に視線を移す。
彼女はシロノの下で、力なく沈黙していた。
おかしい。
先ほどまで、あれほど元気に飛び回っていたのに。
「オイ、生きてるか? チビ」
捕まえた昆虫が、虫かごに入った途端にぐったりしたときのような罪悪感を覚える。
リュウは少女に応答を求めた。
――ぐうううう。
などと、立派なだけに情けない腹の音が聞こえた。
「おなかすいた」
消え入りそうな声で、そう赤髪の少女は言ったものだった。




