02.チケット
――ドォン!
筋肉男が渾身の拳を机に叩き付けた。
大きく響いたその音に、賭場の喧噪は一気に静まりかえる。
「やってくれたな、兄ちゃんよぉ」
筋肉男の声が震えている。
「テメエ! イカサマしやがってんだろ!?」
「いや、そりゃオメーだろ」
ふーふーと息を荒くさせ、殺気立っている筋肉男に、リュウは椅子に座りながら冷然と反論した。
「オメー、俺が降りた瞬間に、役についてベラベラ何かほざいてたけどよ。あのとき、共有カードを見たのはこのオッサンだけだ。何でテメエの役を知った風に喋ってたんだ?」
「――!?」
筋肉男の言動は明らかにおかしかった。今、リュウが遊んでいる勝負は、共有カードが必ず役に絡むカードゲームだ。にもかかわらず、彼は上機嫌に、まるで互いの役がわかっていたかのように勝利宣言をしたのだ。
――もっとも、それはリュウの細工|(目印の上書きだ)によって外れることとなったが。
筋肉男の視線が中空を彷徨う。仕込みが空回りし、その上犯した自らのミス。焦りで上手く言葉が出てこない様子がありありと現れている。
「お、俺様ァー認めねえぞ……」
筋肉男はその巨躯を戦慄かせたまま、拳を強く握りしめた。
――暴力。
それが今にも行使されようとする瞬間、
「オヌシ、止めておけ」
そう蜥蜴族の男が言った。
「このアンさんは勿論じゃが、……後ろの別嬪さんを怒らせると、殊更に不味いことになりそうじゃぞ?」
無関係のはずである蜥蜴族の男でさえ、警戒するように殺気立った鋭い視線を、リュウの背後へと向ける。
まるでその存在を忘れそうなほどに、静かにリュウの背後に佇んでいた人物。
――シロノである。
シロノの徹底的なまでの無感情な眼を目の当たりにし、筋肉男の戦意はみるみると萎んでいく。やがて彼は、ちくしょうと力なく呟き、魂が抜けたように椅子に座った。
「で? どーすんだ? 残りの四試合全部降りるのか?」
そうリュウは放心状態の筋肉男に問いかける。
一応、耳に入ってはいたのだろう。
全身から血の気が失せ、肌が真っ白になって幾らか老け込んだ様子の筋肉男は、天井を見上げながら答えた。
「払えねえ……」
「んじゃ、七三〇〇〇シーンだな」
リュウは筋肉男の戯言を無視して計算した。
場末の賭場にしては、随分と儲かったものだ。正直、イカサマを警戒してなかなか賭場には足が伸びなかったのだが、今回に限って相手が弱くて助かった。
もっとも、場所が場所なら、賭場ぐるみで有り金を全て剥ぎ取られるような事態に陥りかねないので、決して気安く通っていいものではないはずである。
リュウがこの賭場まで来たのは、ちょっとした聞き込み調査のためであり、筋肉男のゲームに乗ったのはほんのついでだ。
「頼む兄ちゃん! 払えねえんだ勘弁してくれッ!」
そう叫び、筋肉男は再び立ち上がり、腰を九十度曲げてリュウに頭を下げる。
テーブルにゴチンと額がぶつかった。
「いや、払えるだろ」
そうリュウは冷たく言う。
「俺を賭けに誘うとき、大金見せつけてきただろうが」
事実だ。
筋肉男は大金をちらつかせ、それを餌にしてゲームに誘い込み、リュウを嵌めようとしたのである。
「コイツはオジキの金なんだよ!」
「なら別に問題ねえじゃねえか」
「大アリありありオオアリクイだーッ!?」
筋肉男は古い冗句を飛ばしながら、顔を勢いよく上げる。
「この金スっちまったら、オジキにどんな目に遭わされるかわからねぇ!」
「なら別に問題ねえじゃねえか」
「何か台詞巻き戻ってね!?」
リュウは周囲を見回した。
他の客がちらちらとこちらの行く末を盗み見ようとしている。無法者の吹きだまりのような賭場で、あまり目立って因縁を付けられたくない。
リュウはため息を吐いて、筋肉男に問う。
「んじゃ、どうすんだよ? バックレだけは勘弁しろよ」
「いや待て、ゲンブツで何とか頼む!」
そう言って、筋肉男はズボンの尻ポケットをまさぐった。
やがて筋肉男がリュウに差し出したのは、くしゃくしゃになった紙切れだった。
「コイツだ」
「俺かオジキさんか、ぶちのめされたい方を選べ」
「待て待て待て! コイツは≪シーリング≫が新造した豪華客船、≪ウルトラシング≫のチケットだ! 七枚合わせりゃ時価一〇万シーンくらいはするハズだ!」
筋肉男は必死な形相で力説する。
リュウは七枚の皺だらけのチケットを、筋肉男の無骨な指からひったくる。
――≪シーリング≫。
その名に、リュウは聞き覚えがあった。
「確か、クルーズ市場の最大手だよな? 十二連盟のグループ企業の」
「おう! そうだ! 詳しいじゃねえか兄ちゃん!」
「今のどこが詳しかったんだよ、ボケ」
訝しがりながらチケットを凝視するリュウに、筋肉男は声を弾ませて説明する。
「ソイツは≪ウルトラシング≫処女航海クルーズパーティの無料招待券も兼ねてんだ。マニアの間じゃ垂涎モンだぜ」
「……ホントだろうな?」
確かに、チケットの裏面には、筋肉男が説明した旨の内容が記載されている。
問題は――。
「明日の夕方には出航じゃねえかよ!?」
「おうよ! 丸半日以上かけて【ルネ】に到着だ!」
リュウは机越しに顔を寄せている筋肉男の胸ぐらを掴んだ。
「馬鹿野郎。俺はここで調べてえことがあるんだよ。つーか、まだうさんくせえな。マジでこんな辺鄙な港町から、大企業が新造した船が出航するってか?」
「いや、コヤツが言うのはホントの話よ」
口を挟んだのは隻腕の蜥蜴族の男だった。
彼の表情は種族の違いかよく読み取れないが、口振りはまるで旬な話題について喋るほどの気軽さだ。
「ハウネル上層がわざわざ代官まで寄越してまで企画した、≪シーリング≫とのコラボイベントじゃ。【ホガロ】の町興しの一環として、随分前から大々的に宣伝しとる」
「んな大層なもん、どうやって手に入れた?」
蜥蜴族の証言を得てなお、リュウは筋肉男を半眼で睨み付ける。
「おかしいよな? 何で七万ウン千でヒィヒィ抜かしてる野郎が、時価十万のチケット持ってんだよ?」
筋肉男はへつらうような笑みをみせた。
両の手のひらをリュウにみせ、自分に理由を喋らせるように促している。
「仕事のツテで手に入れたもんだ。俺様ァ、本当は子分二人と一緒に、そのクジラで仕事するハズだったんだよ……」
「仕事? 堅気じゃねえんだろ? すっぽかしていいのかよ?」
「オジキの金スって病院の世話になるまで小突き回されるより、仕事すっぽかしてテレサの姐御に穴開けられた方がマシだ!!」
「テメエの趣味までは訊いてねーよ」
リュウは筋肉男を突き飛ばし、彼の胸ぐらから手を放す。
そのまま舌打ちをして、頭を掻いた。
「のう、オヌシ。目的はさっき訊いて回っとった、【≪摩天楼≫】だのの情報じゃろう?」
蜥蜴族の男が、リュウを諭すように口を開いた。
「確かに港町であれば情報集めにもってこいじゃが、国境であればそれ以上よ。旅に慣れた者が何人も行き交い、加えて隣国の情報まで入ってくるからの。そう考えれば、検問所があるルネに向かうのも一つの選択肢ぞ」
蜥蜴族が説いたことには一理ある。
リュウはここ数日でホガロを周り、≪摩天楼≫に関する情報を集めたが成果は芳しくなかった。あっても、いまいち信憑性に欠ける不確かな情報ばかり。
そう簡単に手に入るような情報でもなさそうなので、アプローチを変えようかとさえ思っていたところだった。
ルネはハウネル王国と、隣国のシェイリス王国を隔てる検問所がある街だと聞いている。
蜥蜴族の言う通り、ホガロよりも有益な情報が集まっているという可能性は十分に考えられる。
「このチケット、ダフ屋に引き取ってもらえるか?」
「んなら、俺が紹介してやる! 商談成立だな!」
「オメーはこのオッサンに感謝しろや」
リュウの問いに揚々と答える筋肉男の腹を、軽く小突く。
この調子の良さに毒気を抜かされてしまい、日和った判断を下していなければいいのだが。
「酔狂な男がいるものよ」
筋肉男が転売屋の住所をメモに書いている間、蜥蜴族はぼそりと呟く。
「その≪摩天楼≫とやらが何処にあるのか、どのような処なのか、全く知らぬのじゃろう?」
「まーな。お宝があることぐらいしかわからねえ」
「呆れたの。夢追い人も、ここまで途方もなければ気狂いの類いよ。もはや夢現を倒錯させとるとしか思えぬわ」
確かにリュウ自身も、かなり無茶がある冒険だと自覚はしている。
「それでいて、これだけ腕が立つのだから質が悪い。そのお宝は、それでもなお稼ぎ切れぬ程のものなのだろうな?」
「まず、俺のことを買い被りすぎてるし、金じゃ手に入らねえものかもしれねえだろ」
――金ではダメなのだ。
≪摩天楼≫にあるのは、おそらくリュウがウィルクの身体を乗っ取ってしまった謎。つまり、リュウにとってのゲームの鍵だ。
夢だろうが現だろうが、遭難者が幻視する砂上の蜃気楼だろうが、追い求めなければ満足できない。
「それに、博打で倉を建てた奴はいねえぜ」
リュウはゲームタワーの最後の勝負で、敗北したことを思い出す。
死んでも勝つ。
そう考えて挑んだ戦いも、その顛末は壮絶ですらないかもしれないことを、リュウは識っていた。
「今日び、金塊を掘り当て倉を建てた者もおらんがな」
そう皮肉ると、蜥蜴族の男は瞑目した。
「シケた話してんじゃねえぜ。ホレ、ここで金に換えてくれるぜ」
声の方をみやると、筋肉男が眉をハの字に曲げて、メモをリュウに差し出していた。
リュウはそのメモを受け取ると、冷たい声で筋肉男に忠告した。
「俺がつべこべ言うことじゃねえけど、オメーはもうこのシノギは止めとけ」
筋肉男を目をしっかりと見据える。
「カードの目印に気が付かれねえとでも思ったか? そうでなくても、色々迂闊にベラベラ喋りやがって。いつかマジでヤバい奴に絡んじまったとき、ぶっ殺されるぞお前」
俺なんかよりよくわかってるはずだろ。そう言うリュウに、筋肉男は言葉を詰まらせた。
顔に縦線を作り、気まずそうに頬を歪めている。
「できればマトモな仕事に就けよ。人騙して金稼いでたら、せっかく死ぬ思いでデカくした筋肉が泣くぞ」
「兄ちゃん……」
筋肉男は感極まったように声を震わせた。そして、己の上腕二頭筋を確かめる。まるで今までの自分の行いを、その身体に恥じるように。
「アンタ、いい奴だな」
「マヌケが」
長居は無用。そう言うように、リュウは筋肉男に背を向けて歩き出した。
「行くぞ。シロノ」




