01.フォールド
――ゲームタワー。
そこは無作為に選ばれた者達が、どういうわけか様々なゲームをプレイさせられる謎の施設である。
ゲームを重ね、黒星が三つつけばゲームタワーから退場し、白星が十に達すると願いが一つ叶えられる。退場においてデメリットは何もない。強いて挙げるならば、願いを叶えるチャンスを失うことだけだ。
神坐流は練炭による自殺を図り、死ぬはずだった。
しかし、ゲームタワーにその命を救われ、そこの職員の口車に半ば乗せられる形で、ゲームをプレイすることになる。
これは流の人生において、信じがたいほどの珍事である。
「ならアナタは、そのサングラスの職員の言うところの“哲学”を追って、ゲームタワーでゲームを続けているの?」
流は妖艶な女性と、ポーカーテーブルを挟んで向かい合っていた。
ゲームは“課金ホールデム”。
“リアルマネー”と“プレイマネー”の二種類のチップを使用する、一対一の特殊なポーカーである。
プレイヤーはベッドやチェック、コール、レイズ、フォールド等のアクションに加えて、さらにフロップ、ターン、リバー等のコミュニティカードの参照に、逐一“リアルマネー”を支払う必要がある。その名の通り、課金制度を盛り込んだルールだ。
“リアルマネー”が尽きれば、破産となり敗けてしまう。これを防ぐには極力レイズの回数やコミュニティカードの開示を控えなければならない。
一方で、賭けで奪い合うチップである“プレイマネー”が一定量に達すれば勝利。
つまり、課金量を減らして延命を図るか、逆に大量課金することで一気に“プレイマネー”を稼ぐかの選択が鍵となるポーカーなのだ。
「お金には興味はないの? 最大で十ケース積んでくれるらしいけど?」
女性は両肘を机の上につき、組んだ両手の甲に形の良い顎を乗せた。彼女のドレスの胸元は大胆に露出しており、覗かせる谷間が目に毒だった。
「全くねえと言ったら嘘になる」
流は自らの手札に視線を落とした。
「もし白星十になったら、改めて考えるさ」
流は“リアルマネー”を支払い、フロップの参照を要求した。
流の手札と併せて、既にJのワンペアが出来ている。
悪くない。スリーカードまで狙える。
「チェック。あんたはどうなんだよ?」
流は“リアルマネー”を支払い、同じ質問を彼女に問い返した。
「そうね、私は新しいヒールが欲しいわ」
そう言いながら、彼女は“リアルマネー”を支払う。両者がフロップを参照したため、伏せられていた三枚のコミュニティカードがオープンされた。
「ヒール? そりゃ靴のヒールか?」
「ええ、そうよ」
何かの符丁かと疑ったが、彼女の様子をみる限り、何の捻りもなくヒールを指しているようだ。
まさかの回答に流は首を傾げた。
「そりゃ、十ケース貰ってから、好きなだけ買えばよくねえか?」
「お金は幾らでも手に入るわ。お金で買ったヒールより、ここでの賞品として貰った方が、自分の中での価値が遙かに違うと思わない?」
眉を垂らして問うた流に、彼女は優美な笑みを浮かべて答えた。
それでも流は納得できない。
「記念品かよ。何でヒールなんだ? 別にドレスでも指輪でも、何でもいいだろ? つーか、そういうのって消耗品は避けるもんじゃねえのかよ?」
素直に疑問をぶつける流に、彼女は『わからないヒトねえ』とため息交じりで説明した。
「いい? ヒールは女にとって特別なのよ。脚を美しく魅せるために、あれだけ踵が高いにもかかわらず我慢して履く。そんな苦行がレディの間で習慣化されているのは、何故かしら?」
「まさか、シンデレラコンプレックスの親戚だの言い出しゃあしねえよな?」
「あら、わかってるじゃない」
「いや、わかってねーよ」
彼女はくつくつと笑う。
「男のヒトには、わからないかも知れないわね。ヒールを履きこなせるかで、女の品格は決まる。真の淑女は、何があってもヒールを脱がないわ」
「暴論じゃね?」
流にはいくら考えても理解不可能な理屈である。
それとも、目の前の女に担がれているのだろうか?
世の女性が全員同じ意見なら、正直男と女は一生解り合えないとさえ、流は思う。
「ところでアナタ、今話した感じだと、意外と学があるように思えるわ」
彼女は挑発するように言う。
「椅子獲りゲームのときは、悪運が強いだけのゴリラかと思ったけれど?」
厭味な言葉に、流は盛大にため息を吐いてみせた。
「今日び、ゴリラでも高校くらい卒業できんだよ。あんたの時代じゃどうだったか知らねえけどな」
そう流が年齢を皮肉った瞬間、室温が何度か低下したような錯覚に陥る。
目前の女性は、口元に笑みを貼り付けたまま目を細めている。
「MAXベッド」
彼女は“リアルマネー”を支払い、場に提出されているアンティと同じ額の“プレイマネー”を賭けた。
――アタマにきて、勝負をふっかけてきたか?
流はオープンされているコミュニティカードをみた。三枚のうち、ダイヤが二枚。
もし、彼女の手札が二枚ともダイヤならば、ターン、リバーと続けばフラッシュが完成してしまう可能性が十分にある。
一方で、流の役は良くてもJのスリーカード止まりだろう。
――この女、たかだか歳の挑発に乗るほど、安っぽい性根じゃねえ。
――熱くなった演技……。
流の中で疑念が肥大化していく。
勝算もないのに、このまま彼女に付き合って“リアルマネー”を支払っていくのは馬鹿げている。
「フォールド」
流は“リアルマネー”を支払い、手札をディーラーの元へと滑らせた。
ディーラーが場の“プレイマネー”を女性の元に移すと、彼女の口元が艶やかに三日月を形作る。
「いい分析力をしているみたいね。……けれど、観察力が足りない」
言いながら、女性は自らの手札を開いてみせる。
「私の身体を直視できないで視線を外していたら、せっかく高校を卒業した頭も、宝の持ち腐れよ? ゴリラ君」
流は目を見開く。
――不揃い。
五枚のコミュニティカードを併せても、彼女の役は流にきっと届かない。
ゲームの開幕は、流がものの見事に一杯食わされる形となった。
***
ゲームタワーを抜けた流は、再び何も変わらぬ日常へと戻っていったはずだった。
それからどれだけ経ったかは、もう記憶も興味もない。
だが、流は再び信じがたいほどの珍事に直面することとなる。
――ウィルク・アルバーニア。
流が住んでいた世界とは、別の世界の天才少年の肉体に、流の意識が宿ってしまったのだ。
「フォールド」
そう宣言し、手に持っていた手札をテーブルに伏せる。
――そして、神坐流は人生で二度目の大勝負に挑む。
テーブルを挟んで座る、ギャンブル相手の大男が歯茎を見せて笑った。
「たいした分析力だが、俺様のキレッキレの筋肉に怖じ気づいて、目を逸らしちまうようじゃ、宝の持ち腐れだぜ? 兄ちゃんよォ!」
――ウィルク・アルバーニアに乗り移ってしまった謎を解くのだ。
――彼の身体を借り、この異世界を旅する“リュウ”として。
「俺の役は“下層”だ! ヴァーカッ!!」
筋肉男は唾を飛ばして、自らの手札を開示した。
観戦していた隻腕の蜥蜴族の男がそれを認めると、テーブルに伏せられた共有カードを覗き見た。
「その結構な脳みそで、状況をよぉーく考えな、兄ちゃん」
筋肉男は得意げに解説を始めた。
「兄ちゃんはすでに“騎士”、“奇手”、そして今のフォールドで“兵士”の役を消費しちまった。一方で俺様は、まだ“奇手”、“狂信”、そしてこの“下層”しか出してねえ。残りの四回戦全部、俺が兄ちゃんの役を上回る可能性が大なんだよ!」
リュウはため息を吐いて、アンティを筋肉男へと譲渡する。
「もう分が悪い駆け引きなんざやめて、全降りした方がいーんじゃねえか?」
勝利を確信した筋肉男は、高笑いする。
「ま、残りの四回戦のアンティも馬鹿にならねえがな!」
「オヌシ、何を言っておる?」
そんな冷めた声を上げたのは、リュウではなく隻腕の蜥蜴族だ。
彼は捲ったコミュニティカードを、筋肉男に見せつけた。
「ホレ、共有カードは剣の5じゃ。オヌシの役は“剣竜”ぞ」
「ア?」
筋肉男は目を絞り、蜥蜴族が目前に突きつけたカードを改めた。
その顔からは笑顔が消え、徐々に真っ青に染まっていく。その巨大な身体を大げさに振るわせ、テーブルをガタガタと鳴らす。
「どーして俺の役が“剣竜”なんだよォ!?」
彼は両手を思い切りテーブルに叩き付け、立ち上がった。その顔を思い切り蜥蜴族のそれに寄せる。
「ワシが知るか。呆れた輩よ」
「ええい! こんなこともあらぁ!」
そう怒鳴って、筋肉男はリュウに向き直る。
「たかが最高役出しちまっただけだ。勝負はまだ! まだまだまだま」
「オイ、今の俺の役は“兵士”じゃなくて“下層”だぞ?」
「ゑ!?」
吠える筋肉男に、リュウは自分の手札を見せた。
その瞬間に、顔を一気に縦に伸ばして驚愕する筋肉男である。
「さて、テメエの言う状況と、立場があべこべみてえだが……」
リュウは薄く笑んで、震えている筋肉男を睨み付ける。
「もう分が悪い駆け引きなんざやめて、全降りした方がいーんじゃねえか? ま、残りの四回戦のアンティも馬鹿にならねえがな」
『この異世界の救いよう』
――第二話 行き倒れ王女と信偽の鯨




