53.デュザの胸中(後篇)
コイントスは終わり、ようやくゲームが始まる。
そして、デュザは始まりのための礎に過ぎない。
デュザは、この≪リフリーラ審問会議≫で散るつもりだった。
どこで自分の人生が拗れてしまったのか、デュザには自分でもわからない。
片目の視力が衰え、能力に支障をきたし、王国騎士団を抜けたときからだろうか。
それとも、何の因果か自らの新たな奇跡――、預言を賜る能力に目覚めてからだろうか。
ヘルゼノスから接触され、彼らの悲願を知り、それに魅せられてしまったときだろうか。
だが、もうそのようなことは考えずともいい。
デュザの出番は終わったのだ。
「では、明朝、再びこの件についての裁判を――」
デュザが、もう何度目になるかわからないため息を吐きそうになったとき、
「いえ、彼の処分は、今ここで決定いたしましょう」
そんな、幼くも艶やかな声が聞こえた。
誰しもが抱える傷を愛撫するかのようなそれは、一度聞いた者を全て虜にしてしまうほどに慈しみに満ちている。
「は? ヨ……、ヨミア様!?」
しわがれた監督官の驚愕の叫びが響き渡る。審問官達が一斉に立ち上がった。
彼らの視線を集めたのは、高僧の法衣を纏った少女だった。
ルーセアノ教会総本山、【ヴェルハザード】大神殿の副神官長。そして、異教徒組織ヘルゼノス最高にして、ア・ケートにおいてすら五指に数えられる奇手、【五大神術士】が一人。更に、十二連盟管理委員会にも籍を置く。
――ヨミア・ヴェルハザード。
様々な字を冠する、たった十五歳の才媛は、二人の黒服を連れて審問所に突然に現れた。
「ヨミア様……。何故、このような場に……?」
審問官の一人が、震える声で彼女に尋ねる。
デュザもまた、彼女の来訪に驚愕を禁じ得ない。
ヨミアはヘルゼノス幹部連の一人であり、多くの団体で主要となるポストに就く、化物の中の化物。まだ稚い容姿とは、まるで相反するような存在だった。
「ラアル・ルクターレ王子殿下から、デートに誘われまして。ちょうど、私もハウネルにお呼ばれしていたのです」
腰まで伸ばした艶やかな黒髪を靡かせながら、ヨミアは監督官の隣まで移動した。
「ハウネル王国支部次席、デュザ殿。≪七曜剣≫が一人、“黒曜”のヨミアが貴方に【グルマ】を命じます。それをもって、この件は沙汰といたしましょう」
デュザは心中で舌打ちをした。
≪グルマ≫とは、背信行為が疑われる者に対し、その身の潔白を証明させる試練への挑戦である。もっとも、それは試練とは名ばかりの、裏切り者に対する粛清だ。
今回に限って言えば、もしデュザが無事に≪グルマ≫を乗り切ってしまえば、それ以上の咎がなくなってしまう。そして、異動こそあるものの、従来通りにヘルゼノスで任務を遂行することになるだろう。
デュザは除名ないし破門という形で処分を受けることで、この計画から抜けるつもりでいた。
少なくとも、ヨミアがそれを見抜いていたということはないはずだ。
だが、ヨミアはデュザを彼女のゲームから降ろさせるつもりはないらしい。
ヨミアはデュザに歩み寄る。
「今、貴方はとてもお辛いはずです。デュザ様」
彼女はデュザの右手を、その小さな両手で包み込んだ。
「あの方が幼少の頃から、貴方は傍でその成長を見守ってきた。それを、我らが悲願のためとはいえ、貴方は手放したのです。お心が甚のことを、赦して頂けるとは思っていません」
安い慰め。
だが、デュザはその言葉から、“アレ”との別れ際のことを思い出してしまう。
***
≪剣竜の現身≫最終選抜試験が終了した後、デュザは“ソレ”を自分の元へと呼び出した。
「一年ほどの短い間だったが、条件は揃ったようだ」
そう呼び掛けるが、“ソレ”からは返事はない。
「ウィルク・アルバーニアは養成学校を中退。奴がこれから選択する道は、一つしかない」
本当に、最後の最後まで、わけのわからない存在だ。
デュザは口元を僅かに緩めた。
「養成学校での、密偵の任を解く」
ずっと重荷に感じてきたお守りから、ようやく解放される。
――別れのときだ。
「貴様はこれより、ウィルク・アルバーニアの旅に同行するのだ」
加えて、デュザは“ソレ”に言いつけた。
「そして、これが最後の命令だ」
***
≪黒の預言≫がデュザに与えた導の通り、デュザは“アレ”を解き放った。
そういう意味で、デュザの証言は半分が本当だ。
「デュザ様。ヨミアは強く確信しております。貴方が≪グルマ≫に打ち克ち、その身の潔白を証明して、再びヘルゼノス様の御許にお戻りになると」
「勿体ないお言葉だ」
年の頃に似合わぬ落ち着きである。
化物じみた少女は、デュザの手を放した。
「エンジュ君。アスラー様。デュザ様をお連れして下さい」
「……ご同行願います」
アスラーと呼ばれた若い黒服女性が、デュザに言う。
『貴殿らがそのように扱うから、その子はそのように成ってしまうのではないですか?』
一年ほど前、学長がデュザに向けて言い放った言葉を思い出した。
――馬鹿な言葉だ。
“アレ”は彼が思うような存在ではない。
教育者のつまらない綺麗事。
そんな風に軽んじてきた。
今の、今まで。
『この子に情を移すと、貴方の為にならない。“コレ”はただの赤子ではありません。自らの子のように思えば、きっと“コレ”が成長する度に、貴方は恐怖と挫折を思い知ることになる』
そう、ある研究者は言った。
もとよりデュザはそのつもりであったが、それは大きな間違いだ。
隠していた。
ずっと自分の本当の気持ちに、蓋をしていた。
そんな自分に、今更になってこんなことを考える資格があるだろうか。
しかし、どうしてもデュザは思ってしまうのだ。
計画が始まるまで、ただの密偵として使われていた“あの子”は、いつだって顔を合わせる度に、何も言わず自分の元へ来た。リセットしたはずの“あの子”が、より強い力をつけていく度に、デュザは強い将来性を感じてしまわずにはいられなかった。
「くく……」
思わず、笑いが漏れてしまう。
「……何か?」
そんなデュザに、アスラーは不思議そうに眉根を寄せる。
たとえ自分が、その顛末を見届けることができないとしても、デュザは挑ませたくなってしまったのだ。
自分の元を離れ、ウィルク・アルバーニアの旅路に付き添うことで、あの“あの子”がより大きな存在となり、≪黒の預言≫さえも覆す可能性を。
そういう意味で、デュザの証言は半分が虚実だった。
『そして、これが最後の命令だ』
『私のことを、――もう忘れろ』
――親心か。
「いや、自らの愚かさに、つい呆れてしまっただけだ」
デュザはそう呟き、二人の黒服を促す。
そして、二人はデュザを間に挟み、審問所の外へ連れ出した。




