47.信条
「アンタ、バカなの?」
開口一番、アルフィはウィルクにそう言った。
「え、どうしたの? 突然……」
唐突に罵倒されたウィルクは、困ったように苦笑する。
ウィルクは他の生徒に任された備品整理の仕事を、代わりに引き受けたのである。
ウィルクは『手伝う』と言ったのだが、相手は『用事があるから』と言い、全てをウィルクに押し付けて帰ってしまったのだ。
そして、このようなことは一度や二度ではない。
ウィルクは自らこのように他の生徒達に歩み寄ろうとして、良いように利用されることが度々あった。
正直、アルフィは彼の馬鹿さ加減に、呆れ果ててしまう。
「どうして理解できないの? こんなことしても、一生連中の態度は変わらない」
アルフィはきっぱりと断言した。
「アンタ、陰で何て言われてるかわかってる? 『貧乏人がすり寄ってきてる』とか言われてるのよ?」
ウィルクは笑った。まるで、何てことのないように。
「それは、僕が授業料免除してもらってるからでしょ? 次の試験で結果を出して、免除にちゃんとした理由があることを示せば、皆の見方もすぐ変わるよ」
確かにそれはその通り。
入学してまだそう何日も経っていないが、この学校には成果至上主義的な風潮があるのを、アルフィは感じていた。
次の試験で高評価を得れば、ウィルクにしろアルフィにしろ、周囲の態度が一変する可能性は充分に期待できる。
「だったら、勉強や訓練に集中したら?」
アルフィはそう苦言を呈す。
ウィルクの努力は、明らかにベクトルが間違っているだろう。
「そんなことしてもしなくても、成績だけで周りを見返せばいいでしょうが。それとも、何かの伏線なわけ?」
「伏線か……」
ウィルクは顎に手を添え、考える仕草をみせた。
――一体何だというのだろう?
アルフィは今のウィルクがもどかしくて見ていられない。
空回りしている感じが痛々しいのだ。
どうして、自分がただのパシリにされていることに気が付かないのか。
よしんば彼がパシリの自覚があるにしても、それを続けることで何かが変わると信じているなら、余計に悪い。馬鹿の度を超している。
「いや、やっぱり、早く仲良くなりたいだけだ」
そう言って、ウィルクはやはり微笑む。愛想笑いでもなんでもない。
そんな彼の理解力の無さに、アルフィの苛立ちは募る一方だ。
「仲良くなる必要なんてないでしょ? あんな連中、放っとくのが一番なの」
「それはよくないよ。グレードの異動があっても、同じ学内にいるし、授業が一緒になることだって沢山ある。最低でも二年は顔を合わせるんだから、仲良くなっておいた方がお互いの為だし、健全でしょ?」
ウィルクの反論に、アルフィはついに血管がぶち切れる寸前まで、頭に血が昇るのを感じた。
「だ、か、らァ……!」
荒ぶってしまう、声。
「仮に! ほんっとうに仮に、仲良くなろうと努力するとして! それにはまず、連中にアンタのことを認めさせなきゃいけないでしょ!? アンタが今していることは、連中にとって何の評価にもならないの! どんだけ媚び売っても、アンタは認められないの! むしろナメられるの! わかるでしょ!?」
アルフィの激情に、ウィルクは目を丸くした。暢気なものである。
そして、ウィルクはフッと吹き出した。
「あはは」
「もういい。わかんないなら、無理矢理にでも止めるわ。最初にアンタを死の淵に追い込むことから試すけど、いいよね?」
「ごめんごめん。ちょっと、落ち着いてアルフィ、おちつ……、落ち着いてェええええ!?」
アルフィが魔弾を展開し、ウィルクにぶつけそうになった瞬間、彼は絶叫した。
そしてアルフィは、しばらく攻撃を避け続けるウィルクを、狙い続ける羽目になる。
「ぜぇぜぇ……、アルフィ、ちょっと聞いて」
などと、いよいよ息切れを起こしたウィルクが懇願する。
「何?」
右手のひらの上に、水の魔弾を保ちながら、アルフィは彼に猶予を与えることにした。
「確かに、アルフィの言ってることは、正しいかもしれない……。ふぅ、でも、だからといって何もしないのは、僕が自分で目指す人間には、ほど遠いんだ……」
「それは要するに、実は連中のためじゃなくて、自己満足のためにやってるってこと? 頭冷やしたら?」
そう言い、アルフィはウィルクに水をぶっかけようと――、
「そうだ」
したが、ウィルクの声に真摯なものを感じ、アルフィは止まってしまう。
「もちろん、目的は彼らと親しい存在になることだよ。でも、そのために僕にできることなんて、少なすぎるんだ。それこそ、さじを投げるのがベストってこともあり得る」
アルフィは目を細めて、ウィルクを見た。
呼吸が楽になってきたのだろう。ウィルクの顔に、次第に余裕の笑みが浮かんでくる。
「アルフィの言うように、僕のやり方は間違っているかもしれない。進んでパシリになって、陰でずっと笑われるなんて、どう考えても大バカだ。『相手を増長させる』って意味でも、よくないと思う」
「……」
「それでも、僕は何の努力もしない人間になりたくない」
アルフィにはとても理解ができない。
「だからって、結果が望めない努力をするわけ?」
「こういうのって、結果が出せる出せないだの、善い悪いだの、そういう問題じゃないと思うんだ」
そう、ウィルクは言い張った。
それが、自分の信念であり、誇れることだと主張するように。
「アルフィは自己満足だって言ったよね? その通りだよ。これは自分自身との戦いだから。僕は譲れない、譲りたくないものがあるのに、黙りしている人間になりたくないんだよ」
「……」
「だから、僕は皆に挨拶をする。誰かが仕事を振られたら、気にかける。陰で何を言われようと、僕は笑顔でいる」
アルフィはいつの間にか、魔弾をキャンセルしていた。
「そうまでして、アンタが目指すものって、何?」
「うーん……」
ウィルクは恥ずかしそうに、頭を掻いてみせた。
「僕が今していることが、『当たり前』でなくてもいい。せめて、『不自然ではない』光景である……。そんな世の中かな?」
アルフィは彼の馬鹿さ加減に、何も言うことができなかった。
呆れて毒気を抜かれてしまったのだ。
自分のことが大切で、皆が進んで苦労をしたがらない。
そんな世の中なのに、彼の言っていることはあまりにも壮大だ。
“きれい事”、“偽善”で片付けられてしまうのに。
卑怯な言葉で済ますような世の中を、変えたいとでも言うのだろうか。
「そんな世界を望んでるのに、自分がそれをしないのは間違ってる」
彼は、そうはっきりと言った。
「私は、アンタみたいなバカになれそうにない……」
アルフィは彼の夢物語に、はっきり言って気分が悪くなった。
「他の誰も、アンタみたいに強くない。……現実見なよ」
「別にそれでもいいんだよ。皆が皆、僕みたいになっちゃったら、世の中破綻しちゃうでしょ?」
ウィルクは笑った。彼はいつも、屈託のない笑顔だった。
「でも、僕はアルフィも他の誰かも、『何もできない』なんてあり得ないと思う。たとえ為す術がなくても、誰かに自分の気持ちを訴えるくらい、誰でもできる。もしかしたら、その声が相手に届くかもしれないよ?」
落日が彼の笑顔を、眩く照らす。
結局、そんな彼の表情に、アルフィは負けしてしまったのだ。
そして、試験など待つまでもなく。
「ウィルク君。これ、この前借りた小説」
ウィルクに男子が話しかけているのを、アルフィは見た。
「面白かった。他に何かない?」
***
「小切手の集計が完了した。これより結果を発表する」
そうロイドが宣言をした。
――終わってしまう。
アルフィの、学校生活での最後の大一番。
「アルフィ・アルバーニアに集まった金額は――」
アルフィの脳裏に、この二年間で作った、思い出の数々が蘇る。
遊ぶために、この養成学校に通っているつもりなど、微塵もなかった。
差別意識にあてられた屈辱。上手くいかない修練。嫌なことは数え切れない。
学友との思い出が蘇る。
それでも、なお。
いや、だからこそ。
――楽しかった、か。
「――七十二万シーンだ」




