45.本性
「何それ?」
気が付けば、アルフィはそんな言葉を漏らしていた。
「どういうこと? アンタが仕組んだの?」
「ああ、俺がやった。投票数がゼロになるようにな」
ウィルクは答える。
まるで、それが最初から謀っていたように。当たり前のごとく。
だが、まだアルフィは信じることができなかった。
ウィルクのあの笑みを思い返すが、それでもなお、これまでの彼との絆を信じる気持ちの方が勝った。
「なんだよ、それ……? オイ! どういうことだ!」
ゼルガが吠えた。
ウィルクは徽章をもう一つ摘まみ上げると、『ガーラント、もう一度だ!』と声を張り上げた。
ウィルクの投げた徽章がガーラントへと飛んでいく。
彼にぶつかりそうになる、その直前――、
「何――?」
徽章は障壁に弾かれることはなく、ガーラントの装備する胸当てにコツンとぶつかった。
周囲の生徒達が一様に騒いだ。
アルフィにも、何が起こったのか理解ができない。
先程の徽章は、ガーラントの障壁に阻まれた。霊石には外のヴェノに干渉する性質があり、ガーラントの障壁がそれを阻んだからである。
一方で、今回の徽章は障壁をすり抜けた。まるで、外のヴェノに干渉しない、無生物の石ころのように。
ウィルクを見ると、彼は手に小瓶を持っていた。
「これは、城下町の科学者に作ってもらった、特殊な液体だ」
そう彼は説明する。科学者とは、おそらくルッツェルのことだ。
「この液体は、体内で活性してるヴェノが外に干渉するのを、シャットアウトする膜みてえなモンだ。こいつを竜のバッチにぶちまけて、全部ダメにしたんだよ」
――ああ、そういえば、ウィルクは前にルッツェルさんに頼み事してたな。
そんなどうでもいい事を思い返しながら、アルフィは徐々に自らの視界が暗くなっていく錯覚を感じた。
そんな種明かしなど、どうでもよかった。
ただ一言、冗談だと言ってくれれば、それで、
「……何、それ?」
――いいわけが、ない。
「ウィルクがやった? ……ウィルクが、私をハメた?」
最初は緩やかに、アルフィの中で赤い感情が膨れあがる。
だが、膨張は加速度的に進み、いよいよアルフィは声量を抑えきれなくなった。
「どうしてよ!? アンタに何のメリットもないじゃない! ただ私を……、私を殺すためだけに、そんな子供みたいな悪戯したわけ!?」
止まらなかった。
怒り、悲しみ。
どう自分の感情を理解すればいいのだろう?
もう、自分でもわけがわからない。全てが崩壊してしまいそうだ。
「分け合えば良かったでしょ! 票を分け合えば、それで良かったじゃない!」
怒声で喉が千切れそうだ。
「『二人で勝とう』って約束したでしょ!? 何勝手にぶっ潰してんのよ!」
兄弟であり、親友であり、最も愛している人の、突然の裏切り。
それを受け入れることさえできず、アルフィは癇癪を起こす子供のように、ただひたすらに怒鳴り散らすことしかできなかった。
「わたし……、アンタにそんなに憎まれること、したっけ……?」
最後に出てきた言葉は、自分の魂を絞り出してしまうような声色だった。
「もういいか?」
アルフィの言葉を、過ぎ去った戯れ言扱いするように、ロイドは冷淡な口調で確認する。
「票の移動がなければ、≪決戦≫終了とするが」
――残酷すぎる。
アルフィは文字通り崩れ落ちた。
膝を地面に着けると、そのまま勝手に両手も地面に着いた。
暗くなっていくアルフィの視界が、やがて完全な闇に覆われる。
一気に吹き出した怒りの感情は萎んでしまった。
そして、心に空いたスペースを埋める感情が、湧き出てこない。
――ああ、これが失望というやつなんだ。
そう、アルフィは思い出した。
――私、何だったんだろ?
「ちょっと待て」
ウィルクの声がアルフィに届いた。
だが、アルフィはとても顔を上げられない。
ウィルクの足音が、徐々にアルフィに近づいてくる。
「俺の票を、全部アルフィに譲渡する」
そんなウィルクの声が聞こえた。
「そもそも俺は、合格する気なんて、毛ほどもなかったんだからよ」
『ハァ!?』
生徒達の驚愕の叫びが重なった。
「つーか、王国騎士になるのをやめる」
そう言い放ったウィルクに、今度は絶句させられてしまう周囲。
「だから、お前が≪現身≫になれよ。アルフィ」
ウィルクはアルフィに呼び掛ける。
しかし、アルフィは顔を上げる気になれなかった。
『譲渡する』という彼の言葉とは裏腹に、その声には一切の慈悲や慈愛が込められていなかったからだ。
やがて足音は止み、両手両膝を着くアルフィの前に、ウィルクは止まった。
彼の靴が顔を伏せているアルフィの視界に入る。
アルフィは完全に消沈してしまっていた。
――怖い。
アルフィは色々な恐怖を克服してきたと自負していた。
暴力、精神的苦痛、生理的嫌悪。
にもかかわらず、地に手を着けた自分の傍に近づいたウィルクの顔を、見上げることができなかった。
ウィルクの皮を被った『なにか』は、この世界のものとは思えない圧力を放っている。
アルフィには目前のウィルクの靴を眺めることしかできない。
「ただし、条件付きだ」
そして彼は言い放った。
「三十万シーンで、俺の票を全部売ってやる」
***
ざわざわ、と会場が落ち着かない様子をみせる中で、ルアノの胸中で不快な穢れが渦巻いていた。
「マジで何言ってんだ? アイツは」
そうヴォルガは呟く。
「≪現身≫の入隊資格を売る? たったの三十万でか?」
「これは……前代未聞なんじゃない?」
ハウトの声色が、先ほどまでのショーを楽しむそれではなくなった。
正直、ルアノももう御前試合を楽しむ気にはなれない。
ちょっと前まで、『つまらない』と評した≪決戦≫だが、この展開は非道過ぎる。
「ヴォルガ、行ってきて」
ルアノがヴォルガに強い命令を下したのは、初めてかもしれなかった。
「わたしが払う」
しかし、そんなことなど今のルアノにとってどうでもいい。
この胸糞悪さを、早くどうにかしたかった。
「落ち着いて、殿下」
そうヴォルガは言うが、
「――落ち着く? アンタら、落ち着いてあんなのを見過ごせるの?」
ルアノはウィルクの暴走に、全身の血が沸騰するような怒りを覚えていた。
もう少しで立ち上がりそうになるが、マーディラとヴォルガの二名によって、強く押さえつけられた。
この世界には、ああいうクズが存在するのだ。
同じ孤児院出身の女の子に、金を強請る?
そんなに金が欲しいのか。
それとも、ただ人を苦しめて楽しんでいるだけなのか。
いずれにせよ、ウィルク・アルバーニアはとんでもない悪魔だ。
「ヴォルガ、あのド畜生に三十万払ってきてよ……!」
「待てよ、姫さん」
ヴォルガの強い声だ。
「アイツらの試験なんだから、俺らが横槍入れるのはダメだ」
「殿下、我々に≪決戦≫を阻むような権限はありません。ここは監督官の裁量に任せましょう」
「これが、ウィルクの本性……」
そうマーディラは冷たく呟く。
「……危険すぎる。仮に彼が合格してしまっても、王国騎士にさせるわけにはいかないでしょうね」
「幸いにして、向こうから取り下げてくれるってよ」
ヴォルガは吐き捨てるように言った。
「善悪について、我々がどうこう言う資格はないんですがね」
クレイスは眼鏡を押し上げながら言った。
「≪現身≫入隊の資格を売る。その発想がもうアウトです。たとえこれが目的のためだろうと、犯してはならない最低限の秩序さえ破壊するタイプの人間にしか、思いつけない」
アルフィに三十万シーンという大金を払えるとは、ルアノにはとても思えない。
もう監督官であるロイドが、ウィルクの非道を止めてくれることに期待するしかなかった。




