36.観戦の姫
最終選抜試験開始より三十分ほども前から、ルアノは会場のスタンドの奥にある小部屋で待機していた。
朝早くから化粧やドレス、装飾品など、十全なコーディングをメイドに施してもらい、鏡で自らの外見が完璧な王女であることを、ルアノは確認したものだった。
椅子に座ったルアノは、両脚をぶらぶらとさせることで退屈さを紛らわしている。
「お召し物が崩れます、ルアノ様」
うるさい口を開いたのは、お付きのロイヤルガードのヴォルガである。
普段崩している制服の襟元は、彼のワイルドな顔立ちをギルドの構成員のようなチンピラチックなものとして印象付けていた。
しかし、今日のように公的な場でピシッとすると、さあどうだろう。
「ヴォルガ。弁護士みたいじゃん。ギルドが抱えてそうな」
「軽口が聞けて、安心でございます。今日に限ってどうなされたのか、心配しておりました」
慇懃な言葉遣いは彼には似合わない。慇懃無礼がせいぜいだ。
彼がお付きになって七年経つが、ルアノは未だにそう思う。
「朝早く起きてるでしょう? 文句も無しに身支度を済まされたでしょ? あくび一つ漏らさないだろ? マジでどうなってんだ姫さん」
ヴォルガは右手の指を畳みながら言う。
「不思議だなあ? どうして勘ぐられてるかなあ? 当たり前のことしただけなのに?」
尖らせた唇から、フーフーと情けない音がした。
「吹けてないです」
「ほっといてくれない!?」
自分のわかりやすさを自覚し、ルアノは赤面したものだった。
確かに、ヴォルガが疑念を抱くのは無理もない。自分がこのように気合いを入れるのは、ラアルとの模擬試合くらいなものなのだ。
――ラアル。
今頃、彼は自主トレだの勉強だのでもしているのだろうか、とルアノは思う。
ラアルは今日、十二連盟の出資者――つまりは管理員会の一人に会いに行く。
姉が弟の代わりというのも変だが、今日の最終選抜は大事なイベントだ。留守を任された以上、ここでしっかりしなくてどうするのか。
――ただでさえ、ラアルはサレイネ特務大臣のことで気を揉んでるしね。
ルアノはチラリと眼鏡の男性をみる。ラアルのロイヤルガードの一人、クレイスだ。
「ヴォルガ。殿下に対して、悪ふざけが過ぎます」
彼は眼鏡を右手でクイと押し上げると、ヴォルガを宥めた。
――流石、気が利く。
そうルアノが考えた瞬間、『いくらルアノ様とはいえ』と余計な言葉を続けたのを聞き、考えを改める羽目になる。
ラアルがクレイスではない別のお付き、ハーゼ・ミストレイを連れて行くものだから、やきもちでも焼いているのだろう。
もっとも、それはハーゼに特殊な任務があるからであり、クレイスに対する信頼の問題では決してないのだが。
「賑やかですね」
クレイスがヴォルガに対し小言を連発する中で、爽やかな声が聞こえた。
金髪で色白、少し垂れた眼に、その右側の下に泣きぼくろ。
スマートな身体と気品のある動きが、もう只者ではないことを物語っている。
そして、そんな優男風の彼は、事実として只者ではない。
「ハウトじゃん。おはよう」
「ご無沙汰しております。従姉妹様」
ルアノの従姉妹、ハウトはそう言って、ルアノに深々と礼をする。
ハウトの陰から姿を見せた、制服姿の美しい女性もそれに続く。ハウトのロイヤルガード、マーディラだ。
「殿下、ご機嫌麗しゅう存じます」
「マーディラも、おはよう」
と挨拶しつつ、ルアノは苦笑を浮かべる。
「よそうよ。爵位のあった時代じゃあるまいし……」
「恐れながらルアノ様、それが伝統と格式というものでございます」
そうクレイスが口を挟んだとき、
「ははは。最初の最初くらい、礼を尽くすものだよ。ルアノ」
ようやく、ハウトは口調を崩したものだった。
ハウトはルアノの義母の姉の息子である。つまりは、従兄弟に当たる。
ルアノとは七つ違いの兄のような存在だ。ルアノがまだ幼い頃、よく遊んでもらったものである。彼が成人の儀を済ませる前から、それもめっきりと減ってしまったが。
そんなハウトとは、最近は顔を合わせるのが珍しい。同じ≪フロアセブン≫に住んでいるというのに。
「ラアルは来ないの?」
「今年はわたし達だけだって。去年は皆集まったのにねえ。おかげで結構殺伐としてたけど……」
「皆、忙しいんだ。最近は王城で揉め事が多いみたいだし、何だかせわしないね」
そう言って、ハウトはルアノの横に座った。
「ルアノがこんなに綺麗で可愛くなったのを見れば、細かいことなんて、どうでもよくなるはずだけどな」
「あはは、お世辞はいいよ」
内心で喜びながら、ルアノは笑い飛ばす。
万が一、婚約者に振られたとき、ハウトが拾ってくれないだろうか。
「ロイヤルガードはこの三人だけですか……」
「自信がねえのか?」
若干不満げな声を上げたクレイスに、ヴォルガは茶々を入れた。
「本音を言えば、誰かさんが余計なくらいなのだけど?」
辛辣なマーディラ。
「王子にフラれて、ふて腐れながらこっち来てやんの」
追い打ちのヴォルガ。
「私はラアル様の命でここに居るのです!」
「わたしは別に護衛ナシでも大丈夫だけどね」
珍しく声を荒げたクレイスと、自らの力を信じるルアノである。
「あはは……。私にはルクターレの碧い血が流れてないし。ロイヤルガード三人なんて心強く思いますよ」
何かのフォローのつもりなのか、ハウトがそんなことを言った。
「何で碧い血って云うのかな?」
ルアノは思わず、積年の謎を漏らす。
「なんか、人間じゃない……、てかカビ生えてるみたいじゃん?」
『ただいまより、≪剣竜の現身≫最終選抜試験を執り行います!』
――ぞく。
室外から聞こえたはずの声に、ルアノの背筋に悪寒が走る。
それはハウトも同様だったようで、
「この声は、ゴルドー団長だね……」
苦笑を浮かべて、そう呟いた。
「両殿下、お時間でございます」
クレイスがそう呼び掛ける。
『ルアノ=エルシア・ルクターレ様、ハウト=ミゼル・ローガン様の御台覧!』
「それじゃ、行こうっ!」
何だ、結構楽しみにしているのではないか。
朗らかな表情をしているであろう今の自分が、さっきまでの義務感に捕らわれていた自分を嘲笑う。
今から、最も≪現身≫の地位に近い学生騎士達の最終選抜試験――≪決戦≫が始まるのだ。
眩しい朝日が差し込むスタンドへの入口に、ルアノは声を弾ませて進んでいった。
***
観客席に五人の男女が現れるのを、流は見上げていた。
白を基調とした清楚なドレスの少女。そして、緑色のマントを纏った、金髪の貴族風の若い男。
おそらく、この二人が王族だろう。
少女の方は明るい赤髪。メイクされているであろう今でこそ、神秘的で綺麗な顔立ちをしていた。化粧が映えるあたり、悪い骨格はしていないのだろう。
流には外見よりも実年齢が幼くみえる。おそらく十代半ばだ。
金髪マントの男は文句なしのハンサムだった。
この外見に加えて王族というのだから、人類の運命力は偏っているという生きた証拠だ。他に考察することなど、ある余地もない。
他三名は、おそらく現役の≪剣竜の現身≫だ。
流がアルフィから教わった知識によると、王族達は王国騎士の先鋭中の先鋭である部隊から、数名を自らの私兵として置く権限を持っているのだ。それが≪ロイヤルガード≫と呼ばれる存在である。
チンピラ風な強面の男と、眼鏡と長髪が厭味さを醸し出す男、そして敢えて窮屈な制服を纏っているのか、身体のラインがよくわかるセクシーな女。
それぞれが観客席に姿を見せた後、王族らしき二人だけが席に着いた。
「次に、此度の試験を監督する、十二連盟≪決戦≫監督官をご紹介いたします!」
髭男の怒声。
それに捕らわれたのを言い訳にできるだろうか。
流はその男がその場に現れた瞬間に、気が付くことができなかった。
この王城に留まらず、上層における異端者、
「十二連盟、ベール・ロイド氏でございます!」
黒いスーツ。黒服組だ。
「ハウネル王国王国騎士団団長、ダルアス・ゴルドーがここに宣誓いたします! 最終選抜試験の内容は≪決戦≫! 全てをロイド氏に信任いたす!」
――十二連盟。
超級の大企業が出資し合って成立した、国を超えた巨人の中の巨人。
「ご紹介に預かった、ベール・ロイドだ」
青色の髪を八二切りにした壮年の男は、落ち着いた低めの声で挨拶を述べた。
「此度の≪決戦≫、私が監督させて頂く。この戦果が、つまりは最終選抜試験の結果となる」
流はその身をひりつかせ、壮絶な笑みを浮かべたことだろう。
――バチバチッ!
思い出す。
自らの魂を、ゲームタワーに決死の想いで残そうとした、あの勝負の数々を。




