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この異世界の救いよう  作者: 山葵たこぶつ
第一話 ハウネル王国騎士養成学校
31/182

31.潜入(part1)

『計画は綿密に、行動は大胆に。そんな言葉を知っているかのォ?』


 ゲームタワーで“老獪”と呼ばれていた男が、流にそう訊いた。

 単に染め上げただけ、という白髪を長く伸ばした彼の外見は若々しい。その体躯からは漲るものを感じるほどだ。

 しかし、実のところ年齢は、ゆうに五十を超えているらしい。


『聞いたことくらいはある』


 と流はスコッチを舐めながら答えたものだった。


 タワー内にはバーが存在し、プレイヤーは自由時間に好きに利用することができた。

 流はたまたまカウンターで隣に座った老獪と話をしていた。もっとも、その日飲み過ぎたせいか、あまり記憶は残っていないが。


『しかし、現実は違う。想定外の事態は必ず発生するものよ。我々はときに、思い切りを棄て、しなやかな対応が求められる』


『俺だって真に受けちゃいねえよ、そんな格言。つーか、ここのゲームに適応すんのか?』


 流の経験から言って、ゲームタワーで行われる勝負は、純粋な運否天賦に依存するものは少ないはずだ。

 “こうと決めたらこう”といった度胸試しは、あまりに愚かな行為だ。そして時に、勝敗はその愚かささえも肯定してしまう。


『で、そんな当たり前の話の続きは何だ?』


『今のを当たり前と断ずることができる。ここのゲームに馴染んだ証拠じゃ』


 老獪は不敵に笑った。

 彼のグラスに、バーテンダーが琥珀色の蒸留酒を注いだのが印象として残っていた。


『お互い、白星十を狙う以上、我々は必ず当たる。それも近いうちにの』


『アドバイスでもくれんのか?』


 流は鼻で笑った。


『応とも』


 と老獪は頷く。


『私と戦うときは、初志貫徹で来い』


 裏の裏。そのまた裏。


 ゲームにおいて、相対する二人の作戦が同レベルまで洗練されたとき、決着はまるでジャンケンのようにして決まる。


『私は常に、お前の一手先を読んでいるからのォ』


 運と読み。その違いは何だろう?

 老獪に辛勝を納めた流は、その答えに近づいた。


 どちらも結果が善し悪しを決める。だが、読みは何らかの根拠に基づくものだ。

 勝てるも勝負、勝てぬのも勝負。

 そう割り切れるのは、自分を信じることができたときだけ。


 例えどんなに運任せでも、ちょっとした推測を添えることで、勝敗に趣を持たせることができる。流はまたしても、それを思い出すべき刻を迎えつつあった。


 最終選抜試験の前々日、二十三時半。

 今、流は黒の棟の前に、高さ数メートルもの鉄柵を隔てて立っている。


「始めるか」


 異世界の住人、ウィルク・アルバーニアに憑依してしまった謎を探るため、流はこれから黒の棟に忍び込む。


 運任せだが、完全にそうであるつもりは微塵もなかった。





 流はデイバックから大振りのナイフを取り出し、ベルトに差し込んだ。

 下手をすると、戦闘にまで事が及ぶ可能性がある。


 決して無理をしたいわけではないが、何かしらの成果なしで逃げるわけにはいかない。覚悟の証のつもりだった。


 ついには泥棒にまで身を落とした。


 ――悪いなウィルク、俺達もう犯罪者だ。


 などと自嘲しながら、世の中から犯罪が消えない理由を識る流である。

 プレートメイルは置いてきた。最近はアルフィとの訓練でも、着用することが少なくなったのだ。試験、そして日常における戦闘で、必ずしも武装が許されるわけではないという理由からだった。

 流にとって、まさに今がそうであり、この作戦において防具は邪魔になる。


 流はペンライトをポケットから出し、灯りが大きく漏れないように、片手でライトを覆いながら鉄柵の側面を歩いて行く。


 ――見つけた。


 目印となる傷が、柵の内の一本に刻まれていた。

 その鉄を中心にした数本は、流がここ数日かけて小まめに消毒剤を吹きかけた箇所である。

 流はウィルクの力でも、鉄柵をひん曲げることができない(ということは、ただの鉄ではないのだろうが)ことを確認し、一部を腐らせて破壊することにしたのだ。


 流はしゃがみ、錆び付いた部分をノックする。

 鉄はポロポロと面白いように崩れ落ち、やがて地面から数十センチほどの高さを持つ穴ができ上がった。思ったより簡単に酸化したものだ。


 デイバッグを鉄柵の内側へ投げ、匍匐(ほふく)前進で作った穴をくぐり抜けた。


 内側に入ると、立ち上がって服に付いた土を軽く払う。


 これで、敷地の内側への侵入は成功した。

 だが、安心して、もたついてはいられなかった。


 敷地の中は、木が生い茂る外側と違って、身を隠せる場所がない。巡回している兵隊の持つライトに照らされたら見つかってしまう。


 流はペンライトの照明を消す。

 深夜の暗がりが、流から視界を奪った。月明かりは、今日に限って雲に遮られてしまい、頼りない。

 見えるのは黒の棟の窓から漏れる灯りと、裏口と守衛室周りの灯りだけだ。


 守衛室に待機している二人を誘き出すための仕込みを、急いで作動させなければならない。


 流は鉄柵に手を添えながら守衛室の方向へ進みつつ、仕込みのある木を探す。


 巡回のライトが見え、軽く心臓がはねる。

 灯りは流とは反対の方向を照らして進んでいる。


 ――大丈夫だ。


 流の背筋に冷や汗が伝う。


 十メートルもないほどの僅かな距離を、流は慎重に進み、柵に刻んだ二つ目の目印をその指先で感じ取る。

 たったこれだけの距離なのに、ここまで長く感じる。もっと近い位置に穴を作ればよかった。自分の計画の甘さに、流は思わず嘲ってしまう。


 流はペンライトのレンズを限界まで絞ってレーザーモードにすると、柵と水平の方向にレンズを向けてライトを点けた。

 柵に描いた第二の目印には、流がどの角度でライトを向ければ仕込みが働くかわかる、ガイドの役割も果たすように傷を刻んでおいたのだ。


 瞬間、数十メートルも先の空中で、流のレーザーが狙った箇所がきらりと光った。

 仕込みとは、流が毎日、黒の棟と守衛室を観察していた大樹の枝に置いた鏡だ。


 流がこの鏡の位置から望遠鏡で守衛室を覗くと、兵隊の顔までよく見えるのだ。逆も然りで、流は一度だけ守衛室の窓越しに、覗きがバレそうになったことがある。


 この鏡をレーザーで照らすことにより、派手にちかちかと反射した光を、室内の兵に見つけてもらう。

 そして守衛室の二人の兵隊は、光の正体を探りに行く。そんな筋書きの誘導作戦。


 これで上手くいかないならば、見つかってしまうリスクは上がるが、石を投げて誘導するしかない。


 ――ほれ、何か光ってるぞ。


 室内の二人が光を見つけて調べに行くことを願いながら、流はライトを点けたり消したり、揺すったりする。


 しかし、兵はなかなか外に出てこない。

 流は自分が見当外れのことをしているのではないかという焦りを、久しぶりに味わった。


 ――まだか。


 流は焦燥感に駆られながら周囲を警戒すると、守衛室とは反対の数十メートルほど向こうから、灯りが近づいていることに気が付いた。

 もう一人の巡回だ。


 ライトの灯りはこちらの方を向き、徐々に近づいてくる。


 あと十秒しないうちに、流は照らし上げられる。


 ――中断してやり過ごすか?

 ――いや、もう少しだ。


 もう室内の兵隊は光を見つけ、様子を見に行こうとしているはずだった。


 ただでさえ上がっていた心拍数が、更に跳ねる。


 巡回のライトはすぐそこだ。


 あと五秒もつか。


 四、三……。


 流が切り上げようとしたのとほぼ同時、守衛室から兵隊二人が出て行った。


 彼らが視界から消えないうちに、流は守衛室に向かって駆け出した。





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