31.潜入(part1)
『計画は綿密に、行動は大胆に。そんな言葉を知っているかのォ?』
ゲームタワーで“老獪”と呼ばれていた男が、流にそう訊いた。
単に染め上げただけ、という白髪を長く伸ばした彼の外見は若々しい。その体躯からは漲るものを感じるほどだ。
しかし、実のところ年齢は、ゆうに五十を超えているらしい。
『聞いたことくらいはある』
と流はスコッチを舐めながら答えたものだった。
タワー内にはバーが存在し、プレイヤーは自由時間に好きに利用することができた。
流はたまたまカウンターで隣に座った老獪と話をしていた。もっとも、その日飲み過ぎたせいか、あまり記憶は残っていないが。
『しかし、現実は違う。想定外の事態は必ず発生するものよ。我々はときに、思い切りを棄て、しなやかな対応が求められる』
『俺だって真に受けちゃいねえよ、そんな格言。つーか、ここのゲームに適応すんのか?』
流の経験から言って、ゲームタワーで行われる勝負は、純粋な運否天賦に依存するものは少ないはずだ。
“こうと決めたらこう”といった度胸試しは、あまりに愚かな行為だ。そして時に、勝敗はその愚かささえも肯定してしまう。
『で、そんな当たり前の話の続きは何だ?』
『今のを当たり前と断ずることができる。ここのゲームに馴染んだ証拠じゃ』
老獪は不敵に笑った。
彼のグラスに、バーテンダーが琥珀色の蒸留酒を注いだのが印象として残っていた。
『お互い、白星十を狙う以上、我々は必ず当たる。それも近いうちにの』
『アドバイスでもくれんのか?』
流は鼻で笑った。
『応とも』
と老獪は頷く。
『私と戦うときは、初志貫徹で来い』
裏の裏。そのまた裏。
ゲームにおいて、相対する二人の作戦が同レベルまで洗練されたとき、決着はまるでジャンケンのようにして決まる。
『私は常に、お前の一手先を読んでいるからのォ』
運と読み。その違いは何だろう?
老獪に辛勝を納めた流は、その答えに近づいた。
どちらも結果が善し悪しを決める。だが、読みは何らかの根拠に基づくものだ。
勝てるも勝負、勝てぬのも勝負。
そう割り切れるのは、自分を信じることができたときだけ。
例えどんなに運任せでも、ちょっとした推測を添えることで、勝敗に趣を持たせることができる。流はまたしても、それを思い出すべき刻を迎えつつあった。
最終選抜試験の前々日、二十三時半。
今、流は黒の棟の前に、高さ数メートルもの鉄柵を隔てて立っている。
「始めるか」
異世界の住人、ウィルク・アルバーニアに憑依してしまった謎を探るため、流はこれから黒の棟に忍び込む。
運任せだが、完全にそうであるつもりは微塵もなかった。
流はデイバックから大振りのナイフを取り出し、ベルトに差し込んだ。
下手をすると、戦闘にまで事が及ぶ可能性がある。
決して無理をしたいわけではないが、何かしらの成果なしで逃げるわけにはいかない。覚悟の証のつもりだった。
ついには泥棒にまで身を落とした。
――悪いなウィルク、俺達もう犯罪者だ。
などと自嘲しながら、世の中から犯罪が消えない理由を識る流である。
プレートメイルは置いてきた。最近はアルフィとの訓練でも、着用することが少なくなったのだ。試験、そして日常における戦闘で、必ずしも武装が許されるわけではないという理由からだった。
流にとって、まさに今がそうであり、この作戦において防具は邪魔になる。
流はペンライトをポケットから出し、灯りが大きく漏れないように、片手でライトを覆いながら鉄柵の側面を歩いて行く。
――見つけた。
目印となる傷が、柵の内の一本に刻まれていた。
その鉄を中心にした数本は、流がここ数日かけて小まめに消毒剤を吹きかけた箇所である。
流はウィルクの力でも、鉄柵をひん曲げることができない(ということは、ただの鉄ではないのだろうが)ことを確認し、一部を腐らせて破壊することにしたのだ。
流はしゃがみ、錆び付いた部分をノックする。
鉄はポロポロと面白いように崩れ落ち、やがて地面から数十センチほどの高さを持つ穴ができ上がった。思ったより簡単に酸化したものだ。
デイバッグを鉄柵の内側へ投げ、匍匐前進で作った穴をくぐり抜けた。
内側に入ると、立ち上がって服に付いた土を軽く払う。
これで、敷地の内側への侵入は成功した。
だが、安心して、もたついてはいられなかった。
敷地の中は、木が生い茂る外側と違って、身を隠せる場所がない。巡回している兵隊の持つライトに照らされたら見つかってしまう。
流はペンライトの照明を消す。
深夜の暗がりが、流から視界を奪った。月明かりは、今日に限って雲に遮られてしまい、頼りない。
見えるのは黒の棟の窓から漏れる灯りと、裏口と守衛室周りの灯りだけだ。
守衛室に待機している二人を誘き出すための仕込みを、急いで作動させなければならない。
流は鉄柵に手を添えながら守衛室の方向へ進みつつ、仕込みのある木を探す。
巡回のライトが見え、軽く心臓がはねる。
灯りは流とは反対の方向を照らして進んでいる。
――大丈夫だ。
流の背筋に冷や汗が伝う。
十メートルもないほどの僅かな距離を、流は慎重に進み、柵に刻んだ二つ目の目印をその指先で感じ取る。
たったこれだけの距離なのに、ここまで長く感じる。もっと近い位置に穴を作ればよかった。自分の計画の甘さに、流は思わず嘲ってしまう。
流はペンライトのレンズを限界まで絞ってレーザーモードにすると、柵と水平の方向にレンズを向けてライトを点けた。
柵に描いた第二の目印には、流がどの角度でライトを向ければ仕込みが働くかわかる、ガイドの役割も果たすように傷を刻んでおいたのだ。
瞬間、数十メートルも先の空中で、流のレーザーが狙った箇所がきらりと光った。
仕込みとは、流が毎日、黒の棟と守衛室を観察していた大樹の枝に置いた鏡だ。
流がこの鏡の位置から望遠鏡で守衛室を覗くと、兵隊の顔までよく見えるのだ。逆も然りで、流は一度だけ守衛室の窓越しに、覗きがバレそうになったことがある。
この鏡をレーザーで照らすことにより、派手にちかちかと反射した光を、室内の兵に見つけてもらう。
そして守衛室の二人の兵隊は、光の正体を探りに行く。そんな筋書きの誘導作戦。
これで上手くいかないならば、見つかってしまうリスクは上がるが、石を投げて誘導するしかない。
――ほれ、何か光ってるぞ。
室内の二人が光を見つけて調べに行くことを願いながら、流はライトを点けたり消したり、揺すったりする。
しかし、兵はなかなか外に出てこない。
流は自分が見当外れのことをしているのではないかという焦りを、久しぶりに味わった。
――まだか。
流は焦燥感に駆られながら周囲を警戒すると、守衛室とは反対の数十メートルほど向こうから、灯りが近づいていることに気が付いた。
もう一人の巡回だ。
ライトの灯りはこちらの方を向き、徐々に近づいてくる。
あと十秒しないうちに、流は照らし上げられる。
――中断してやり過ごすか?
――いや、もう少しだ。
もう室内の兵隊は光を見つけ、様子を見に行こうとしているはずだった。
ただでさえ上がっていた心拍数が、更に跳ねる。
巡回のライトはすぐそこだ。
あと五秒もつか。
四、三……。
流が切り上げようとしたのとほぼ同時、守衛室から兵隊二人が出て行った。
彼らが視界から消えないうちに、流は守衛室に向かって駆け出した。




