12.ヴェノの恩恵
「やあああああっ!」
王城の稽古場で、王女であるルアノ=エルシア・ルクターレの怒号が木霊した。
その狂人めいた大振りの斬撃が、ラアル・ルクターレ目掛けて、丸めた新聞紙のような速度で降りかかる。
二刀流のラアルは、左手に持つロングソードの腹で、致命的破壊力の一撃を器用に受け流す。
落ちたルアノの剣撃が、稽古場の地面に小さなクレーターを創り上げた。
ルアノの馬鹿力には片手では及ばず、ラアルはバランスを崩した、――ようにみえたクレイスの寿命は、その一瞬で約一年は縮まった。
ラアルのよたついた脚は、その刹那に地を離れる。
曲芸じみた横回転のバク宙で、ルアノとの間合いをとったラアルは着地。同時に跳躍。
右手のショートソードが、超重量のクレイモアを振り下ろして硬直状態のはずのルアノに躍りかかる。
ルアノがラアルの剣撃に間に合わせるようにクレイモアを振り上げ防御したとき、クレイスは彼女が重力を無視していることを痛感する。
二人の剣がぶつかり合う。
物理法則を考えれば、地に足をつけ、大振りのクレイモアを持つルアノに軍配が上がるはずだった。
だが――、
「!? ――ッ!!」
吹っ飛ばされたのは、ルアノの方。
彼女は飛びながらも体勢を何とか整え、滑るようにして片膝立ちで着地する。
地面は彼女が突き立てたクレイモアによって削りに削られ、深さ数センチほどの傷跡が一直線を描いていた。
「一本!」
「ええええー!? ウソだー! 今の一本!?」
審判を務めていたヴォルガが判定を下し、ルアノが抗議の声を上げた。
ヴォルガはこれ以上の勝負は危険だと判断したのだろう。
クレイスとて、このような危険な打ち合いを長々と続けられては困る。
そもそも、この王子王女二人の剣戟はレベルが異常であり、いざというときに割って入れる自信が無いのだ。
「最後、私の能力を使わなければ、完全に姉上の勝ちでした」
腕で汗を拭いながら、ラアルは言った。
そう。最後のぶつかり合いで、ルアノの方が吹っ飛んだのにはカラクリがある。
詳しいことはクレイスにも知らされていないが、ラアルはあのような打ち合いになったとき、自分が受ける力を反作用に乗せることができるようなのだ。
それが、ヴェノがもたらす彼の“奇跡”。十分過ぎるほど恵まれた能力だ。
ラアルは能力を使うことができて、ルアノには対するそれがなかった。
今の打ち合いの結果は、ただそれだけの差だ。
逆に言えば、王女の方が恐ろしいとクレイスは思う。
純粋な剣の戦いならば、ロイヤルガードである自分でさえも、敗北を危惧してしまう。
歴代最強の剣士と称される、初代ルクターレの血を引いた、この二人には。
***
「するってーと何か?」
と流は右手に持ったブロードソードをくるくると回す。昨晩持ったときと同じように、ほとんど重さが感じられない。
「ヴェノってのは、大抵の分子原子に結合してる不思議物質で、人はそれを制御できるようになった?」
「そう」
とアルフィは肯定する。
「身体に取り込んだヴェノを上手く使えば、通常なら抑制されている筋肉だのを補助して、身体の潜在能力を引き出すことができる?」
「まあ、それが一番ポピュラーな説ね」
「つまるところ、体内のヴェノを制御すれば、奇跡的な運動能力を発揮できる。ってことでいいか? 今、俺が剣をぐるぐる振り回してても、重さを全然感じないみたいに?」
「ざっくり言えば、そんなもんよ」
アルフィに自らの記憶障害を打ち明けた流は、その翌朝にアルフィに連れられて第四修練場にやってきた。
曰く、早朝の第四修練場には、学生が一切集まらないらしい。
剣と防具を持ってついてこいとアルフィが言ったとき、ショック療法でウィルクの記憶を取り戻すつもりかと思ったが、彼女は前日の宣言通りにヴェノについての説明をしてくれたのだ。
そして、その説明をするならば、プレートメイルやブロードソードを軽々持てることを、流に確認させた方が実感しやすいというわけだ。
――なるほどねえ。
などと完全に納得できるわけでもないが、一旦ここでは飲み込むほかない。
そして、これでアルフィが四階にあるウィルクの部屋のバルコニーまで侵入できた理由が説明できる。
ヴェノの恩恵によって、アルフィは四階まで垂直に跳んだのだ。流石に、二階か三階は挟んだだろうが。
「けど、俺は記憶なくしちまったんだぞ。何でヴェノの制御ってヤツが無自覚にできてんだよ?」
「無自覚だからじゃないの? 私達は戦闘のために、身体能力のコントロールくらい呼吸レベルでやってたの。剣持ったら無意識のうちに力が入る。反射よ、反射」
流にはよくわからないが、身体が覚えているというヤツだろうか?
ウィルクの記憶は一切ないが、そういった記憶とは別の脳の部位でヴェノのコントロールを覚えている?
言われてみれば、手に持っているブロードソードもどこか馴染んでいる気がする。
流は剣を構えてみると、自然とサマになる体勢を取っていた。
「ふぅん……」
呟き、流は構えを解いた。
知らない文字が読めたり、言葉が喋れたり、ヴェノの制御までできるとは不思議なものである。
それだけみれば気が利いているが、どうにも流には謎が深まったような気がして、腑に落ちなかった。
「で、ただ剣を振り回して『軽い軽い』って言うぐらいなら、こんなとこまで来る必要なかったんじゃねえの?」
「何言ってんの? 実戦するに決まってるでしょ」
こともなげに言うアルフィに、流は絶句してしまう。
呆然としている流から、アルフィは距離をとる。
「手加減してあげるから。さっさと構えて」
「ああ、クソ……」
――喧嘩なんざ、とっくに卒業してんだぞ。
流はようやく悪態を吐くことができた。
――腹を括れ。
昨日から、流はずっと予感していた。おそらく、戦闘は避けて通れないだろうと。
流は再び剣を構えた。そのフォームを、何故か流は識っている。
十数メートルは離れたはずのアルフィの剣が、流の胸元に届きそうになるまで、一秒ちょっと。
そして流は、これまでウィルクが積み重ねてきた努力の大きさを識ることになる。
――おかしいだろ!
そんな悪態を、流は心中で吐き捨てようとする。
が、それが脳裏で言語化されるほどの暇に、流の装備するプレートメイルめがけて剣の切っ先が迫る。
アルフィの突進は、十分にあったはずの流との間合いを、文字通り瞬く間に縮めてしまった。
かつての自分が経験した、どんな喧嘩でさえもこのスピードはあり得ない。
呆気にとられる流を諫めるように、目前では白刃が煌めいている。
その軌道は、流の胸目掛けて半円を描くように――、
などと事態を理解しているんだかしていないんだか、思考が追いつく前に異変は起きた。
キィン……!
と甲高い音が、まるで朝焼けの神々しさに共鳴するように響く。
――ウソつけよ……!
流の持つブロードソードが、アルフィの剣撃を捌いていた。
何が起こっているのか、流は自分でも理解ができない。
しかし、アルフィの二合目を、流はこれまた綺麗に剣の腹で受け止めた。
アルフィがバックステップで三歩分の距離をとる。
――来る!
直感した瞬間には、アルフィは既に距離を詰めていた。
目が慣れたのだろうか。今度は繰り出される斜め斬りの軌道が見える。
流は反射的に上半身を反らすと、剣の切っ先が鼻先を掠める。
寸でで攻撃を躱されたアルフィは、それでもなお剣を軽やかに操り、流に追撃をかけた。
流に反撃の余裕などあるわけもなく、ただアルフィの剣を受け止めるだけだ。
二合、三合を経て、なお徐々に速くなるアルフィの剣。
それでも、流は凌ぐ。
――凌ぐ、凌ぐ、凌ぐ。
もちろん、流に剣術の経験など無い。
まるで、流の頭ではなく、ウィルクの骨肉がどうすればよいのかを覚えているかのように。
体感で、十数秒ほど打ち合った頃だろうか。
結局、流の剣はアルフィのそれに追いつけなくなり、あっけなく弾き飛ばされた。
流はというと、驚愕の体験に、息を弾ませながら呆然と飛ばされたブロードソードを見つめていた。




