11.養成学校と選抜試験
アルフィが最初に流に命じたのは、“さん”付けの禁止だった。
「だいたい、おかしくない? 何で喋り方まで変わっちゃうのよ?」
「解離性人格障害じゃねえか?」
「聞いたことない名前だけど、笑えないからやめて」
流は普段、面識がない相手に対しては、基本的に“さん”を付ける。
流自身、何故そのような習慣を付けたのかうろ覚えだが、相手を年齢や立場で計らないための、自分自身に対する戒めだった気がする。
「それから、その小物くさい喋り方もどうにかして。ついでにその目も」
語気を強くして、アルフィが言った。
「これで小物だと思ってくれるなら、しめたもんだろ」
「ワケわかんない屁理屈こねないで。一人称は『僕』、二人称は『キミ』! 表情は朗らかに!」
ウルス達にも指摘されたが、流の喋り方や顔つきはウィルクのキャラに合わないらしい。
彼は普段から柔らかい口調で、愛想よく話すのだろう。
しかし、流は育ちのせいなのか、言葉遣いがよろしくない。目つきについても同様だ。
今からこれを変えようと思うと、どうにもむず痒くて仕方ない。
だが、これもウィルクを演じるためだ。
「えー……、コんな感ジで喋っテたっケ、ボク?」
「……」
「何か言え、せめて」
「……わざと?」
捨て身のギャグが場を白けさせたような羞恥心。もっと救われないのは、アルフィがそれを冗談だと願っていることだ。
流は耳朶が熱を帯びていくのを感じ、目線を逸らすしかなかった。
「なあ、もう普段の立ち振る舞いは諦めようぜ……」
「今のがマジなら、仕方ないわね……」
凍り付いたアルフィの表情を、流はしばらく忘れることはないだろう。
喋り方などよりも、もっと大事なことがある。それは、ウィルクが知っていることを、流自身も知ることだ。
ハウネル王国の常識的な文化、養成学校でのしきたり、人間関係。
流が覚えるべきことは山ほどあるが、いずれについても深く掘り下げる必要はないだろう。
その代わり、旬な話題を多く知らなければ、他の学生に接触した際に会話についていけない。
「で、アンタは自分のことどれだけ知ってるの?」
腕を組みながら、半眼のアルフィが流を睨む。
「ウィルク・アルバーニア。今年で十八歳。ハウネル王国騎士団附王国騎士養成学校に二年前に入学。今現在のグレードは5。孤児院出身の苦学生で、第Ⅰ種特別待遇制度の対象生徒。成績優秀で首席卒業にリーチをかける。人柄がよくて、周囲からそこそこ人望がある。多分、世話好きな方で、他人に弱みをみせるのは珍しい」
「うわ……。自分で言ってて恥ずかしくないの?」
「これまでの経緯から、欠点が一つしかみつからねえ。辛辣な幼馴染みがいることだ」
「悪かったわね!」
『冗談だ』とアルフィをなだめ、逆に訊く。
「皆の証言からして、こんな感じの説明が一番無難なんだよ。認識、間違ってるか?」
「うーん。内面に言及するのは、この際置いておくわ。ただ、プロフィールが少なすぎる。本当にそれしか覚えてないの?」
流は即座に首を振った。事実を述べるなら、流は忘れている以前に知らないのだ。
「例えば――、【ホウリア】のことは?」
「誰だ?」
アルフィは両手を挙げて、降参のポーズをとった。
「人じゃなくて私達の地元。王都に隣接する小さな町なんだけど……」
そこまで言って、彼女は首を振った。
そして、仕切り直すように口を開く。
「まあいいわ。ちょっと記憶力を試す第二問ね。この世界は何と呼ばれている?」
その問いに、今度は流がお手上げをした。
「思い付きもしねえ。世界に呼称があるのかよ?」
「どういう基準でモノを忘れてるのか、全然わからないわ……」
「正解は?」
「【ア・ケート】」
「ア・ケートねぇ。名前に何か意味があるのか?」
「さぁ? 大昔から使われてる呼び名だから。もしかしたら、今の人が知らないだけかもしれない」
ア・ケートという言葉は、流の元いた世界でも聞き覚えがない。
『この世界』という表現が引っかかる。世界が複数あるような言い方だ。あるいは、まだ人類にとって未知の領域があるかのような。
もしかすると、この世界でも惑星という概念があるのかもしれない。自分達の住む星をア・ケートと呼んでいる可能性だ。月の存在は確認できたので、不思議ではない。
「ともかく、アンタが地理を忘れたのは確定っぽいわね……」
「その手の固有名詞は、多分全滅だな」
「でも物の名前……オムライスは覚えてるの?」
訝しむように、アルフィは流の顔を覗き込んだ。
「ハンバーグやカレーライスもな」
「それで、学校とか特待生とかの意味も、何故か理解してるわけ?」
「生徒手帳や修学の手引きが、俺でもわかるように書いてあったんだよ」
「それが読めて理解できる時点で、謎すぎる……」
アルフィは本当に流が学校の課程を理解しているか、いくらか設問形式で説明を施した。
流にとっては知らないこと、あやふやだったこと、意味を間違えていたことがあったので、非常に助かる内容だ。
まず、このハウネル王国騎士団附王国騎士養成学校については、流の認識で正しいものだった。流の知識云々より、その名の通りと表現した方が適切だろう。
ハウネル王国が王国騎士という国立兵を育成するための、王国騎士団に附随する機関だ。
ウィルクとアルフィは入学して二年目になる。二年目にして卒業を控えるというのは、最短のスピードだそうである。
ウィルクは第Ⅰ種、アルフィは第Ⅱ種の特別待遇制度の対象生徒で、入学時のグレードは2から始まる。
グレード2からというのは、特別な入学金を支払った、あるいはかなりの寄付金を贈呈している、格式の高い貴族達と同じスタートだ。
グレード昇格のチャンスは年に二度。昇格の倍率は高く、大抵の学生がグレードを留めてしまうという。そして、下のグレードにダウンしてしまう者も少なくない。
ウィルク達はこれまで三度あったチャンスで、三度ともグレードを上げたということだ。
卒業試験――王国騎士団の実質的な入団試験は、グレードが4以上の学生しか受験できず、例年百名近くの合格者が出る。
次に養成学校を卒業した後の話だ。
卒業した学生は、ほぼ全員がハウネル王国騎士団に入団する。より厳密にいうなら、王国騎士団に入団するための資格が、卒業と同時に与えられるそうだ。
資格を持った者は、その翌年度に限り、簡単な診査の後に≪入団の儀≫に参加することができる。
儀式を経た後、ようやく正式に王国騎士になれるという運びだ。
診査といっても、王国騎士全員が毎年受ける義務のある、身体測定を含めた簡単なテストと面談のみ。卒業試験をパスした者ならば全員が通るレベルのものらしい。
つまり、卒業後は実質的に全員が入団する権利を持っているということになる。
入団を拒否することは可能だが、卒業までの費用が馬鹿にならないため、これを蹴る者は最初から卒業試験など受けるはずがないという。
では、全員が必ず入団するかといえば、そうではない。
過去に何人かの例外がいたらしく、このままではおそらく、流も例外の一人になる。流の知識では確実に検査で引っかかり、王国騎士にはなれないとアルフィに判断されたのだ。
現在、ウィルクが卒業までに残すのは、流の悩みの一つである≪剣竜の現身≫最終選抜試験だ。
この試験に挑めるのは、卒業が決まっているグレード5の生徒のみ。
現在、三次試験が終了し、残った受験者はウィルクとアルフィを含めて四人だけである。
このたった四人から、さらに落とすというのだから、本当に理解に苦しむ。
「≪現身≫ってのが、超高倍率なのは理解した。……が、普通は入隊したがるもんなのか? 出世欲が強そうな連中は喜びそうだけどよ。それなりにブラックな仕事なんだろ?」
流の問いに、アルフィは逡巡する。
『ブラック』の意味に確信をもちかねたようだが、彼女は『微妙なところね』と答えた。
「確かに、入隊後の訓練は厳しいけど期間が短い。なのに、ハイリスクな仕事を回されることが多い。殉職率は伏せられてるけど、かなり高いって噂ね」
「とても孤児院出身のガキがなろうとは思わねえだろ。ワリィ、俺もガキだった」
物言いがよほど乱暴に聞こえたのだろう。アルフィは眉をハの字にして、ため息を吐く。
「もちろん、ここに入学した頃は、そんなこと夢にも思わなかったわよ」
『けどね』とアルフィは続ける。
「私もアンタも、【奇手】としての才能がズ抜けてたのよ。一年目前期の成績から、≪現身≫入隊を現実的にさせたわけ。そしたら、どうしても夢見ちゃうじゃない」
――パチッ、と流の目前で火花が散る。
流の脳がクリアになっていくのがわかった。
アルフィの微かな笑みと、それから漂う哀愁から、流は彼女のいう『夢』が何を指すのか悟る。
「夢ってのは、孤児に対する有利な政策か?」
流の言葉を聞いた途端、アルフィは驚きに眼を見開いた。
「思い出したの?」
「ただの当てずっぽうだよ。そうまでして王国騎士のエリートになりたいなら、相応の目的があるはずだろ。孤児出身だし、福祉関係の制度について不満があるんじゃねえかと思っただけだ」
ハウネル王国の政治体制がどうなってるのか、流は知らない。
しかし、≪現身≫が王国騎士団におけるキャリア組であるならば、将来的には官僚、閣僚クラスのポストが視野に入ってくるのだろうと想像できる。
「それも、アンタが言い出したことなんだけどね……」
アルフィの瞳に切ないものが映った。
今の流の発言が、ウィルクと共有している思い出や希望に、彼女の胸を締めさせたのだろう。
それと同時に、流も頭が痛くなる。
ウィルクをアルフィに返してやりたいものだが、上手くいかなかったとき、彼女はどれだけ傷つくことか。
彼女が協力してくれるのは大変喜ばしいことだが、そのことが流に妙な義務感を背負わせてしまったようだ。
「いい話に水差すようでアレなんだけどよ」
流は仕切り直すように口を開いた。
「さっき、『奇手』? とか言ったよな?」
アルフィは腕を組む。苦い表情である。
「そっか。それも……、でも口で説明するよりも……」
迷うようにぼやくアルフィに、流は首を傾げる。
アルフィはチラリと掛時計を見た。流もつられて確認すると、時刻はもう十時半になろうとしている。
「もう時間切れね……」
アルフィは肩をすくめた。
寮の決まりはわからないが、アルフィの都合もある。
本当は徹夜してでも詰め込んで欲しい流だが、今夜は見送るしかなさそうだ。
第一、若い娘を男の部屋に長々置いておくのも、一般的によろしくなさそうなものである。
「明日はどうすんだ?」
「朝六時頃に、またここに来るわ。それまで、アンタはできる限り人と話さないこと」
「了解」
アルフィはガラス戸に近づき、手をかけた。一瞬だけ、彼女はその動作を止め、流を振り返る。
「ウィルク……。思い出しなよ」
悩ましげな彼女の呟きは、静かで儚く中空に溶ける。向けられる瞳は、憐憫を誘うほどに弱々しい。
「アンタがずっとそのままなんて、絶対嫌だよ……」
わななく彼女の唇が、流の目に焼き付く。
彼女にとって、ウィルク・アルバーニアがどれほどの存在かを確信した。
彼女の心が、どれだけウィルクに依っているか。ウィルクが自分の人生を、どれだけ彼女に捧げてきたか。
アルフィはガラス戸の向こうに出ると、一瞬にして闇夜に消えた。まるでウィルクのいない彼女の人生を彷彿させるように。
開かれたガラス戸から風が入り、カーテンが揺れる。
僅かに擦れた音さえも、流が背負ったものの尊さを胸に刻みつけた。
何故だろうか。その美しさに痛みさえ感じるほどだというのに、
――楽しいな。
流はゆっくりと笑みを浮かべた。久々に気分が高揚する。
知らない世界で地に足がついていない不安感。他人の命運を預かった重み。
こんなに緩くない日を人生で再び迎えられたことに、
――バチバチバチッ!
流は感謝さえしていた。




