第26話 強くなるということ
彼はゆっくりと私を下ろし、服の汚れを簡単に払ってくれる。
落ちていたカバンを拾い、私に「はい」と差し出す。何も言わずにそれを受け取った。
まだ訳が分からずボーっとしている私を見て苦笑する彼。
でもその顔を、今まで一度も見たことのない真剣な顔にすると、私の右肩を乱暴に掴んだ。
「咲さん、どうして?って聞いたけど。それは、こっちのセリフ」
肩を強く捕まれ、その痛さで我に返った私は、彼のその不機嫌そうな顔に怯んでしまう。
「翔平くん、肩……痛いんだけど」
「それぐらい我慢してよ。僕のここは、もっと痛いんだから」
そう言って、自分の胸をぎゅっと掴んだ。
なんで胸が痛いんだろう?それは私のせい……だよね、きっと。
「怒ってる?」
私のその言葉を聞き、呆れたように大きく溜息をつくと、肩から手を離した。
しばらく黙り続ける彼。
嫌われたんだろうか……目の前に彼がいるのに、どうしてこんなに胸が苦しくなってくるんだろう。
何も話してくれない彼を見てとてつもなく悲しくなり、目に涙がじゅわっと溜まってきてしまった。
私の変化に気づいた彼は、もう一回溜息をついてから、重い口を開いた。
「その涙の訳は?」
「…………」
「また何も言わないんだ。そんなんじゃ、いつまでたっても変われないよ、咲さん」
「だって……言わなくたって分かってるんでしょ?」
今だって、彼は私の涙の理由を絶対に分かっている。
なのに、そんな意地悪を言うんだ。
「前にも言ったよね。分かってても咲さんの口から聞きたいって。でも、この話はまた後でゆっくりするとして……」
そこで一旦、話を切ると、私に携帯電話を出すように促した。
首を傾げて携帯を見つめていると、「兄貴に電話」と言われてハッと気づく。
「やっと気づいたみたいだね。みんな、どれだけ心配してるか分かってる?」
「ごめんなさい」
「僕はいいから、早くかけて」
すぐに坂牧の携帯に電話をかけた。
ワンコールでた坂牧は突然大きな声で「バカかお前はっ!!!」と怒鳴りまくり、切り際には「帰ったら覚えとけよ」と耳を塞ぎたくなるような恐ろしい言葉を残した。な、なんか、さすがは兄弟って感じだ。
「……はぁっ……くしゅんっ!」
うぅ〜寒い……。長い時間ここにいたからか、身体がかなり冷えていた。
すぐ隣から「しょうがないなぁ」と声が聞こえると、両腕がすっと伸びてきて私を包み込んでくれた。
「こんなに身体が冷えるまで、何してんだよ。まったく……」
抱きしめ方は優しいのに、その言葉はまだ怒っているような口ぶりだ。
そりゃそうだろう。彼も今はとても忙しい時なのに、ここにいるって言うことは……。
仕事、途中で抜けてきてしまった訳だよね。
「迷惑かけて、本当にごめんなさい。こんな情けない30過ぎた女のことなんかより仕事……っ」
(パシッ!!!)
話してる途中で、彼に頬をおもいっきりひっぱたかれてしまった。
あまりにも突然のことで、ひっぱたかれた頬を押さえ呆然としていると、彼はとても悲しそうな目をして佇んでいた。
「咲さん、もうそれやめない?前にも言ったと思うけど、僕は咲さんの歳のことは気にしてないって言ってるでしょ。でもね、年下だってことで負けたくないから、僕だってこれでも一応頑張ってるつもりなんだよ。歳の差はどうやったって埋められないのに、そんなことばかり言うなんて……」
そこまで言うと彼は俯いた。ぎゅっと握っている手と肩がブルブルと震えている。
叩かれた私より、彼の心のほうが傷ついている……そう思ったら、今すぐに彼を抱きしめたくなった。
そっと手を伸ばし、彼のやわらかい髪に手を差し入れ包みこむと、それを自分の胸にへと導き入れる。
30過ぎだと歳に事を気にしているのに、実際は彼に甘え助けてもらってばかりだった。
でも今はっきりと気づいた。歳は関係なく、私はもっと強くならないといけないって。
そして私も彼を守ってあげたい、助けたいって……。
「ねえ咲さん。僕の事、嫌い?」
「何言ってるのっ!そんなことある訳……」
「だったら好き?」
「当たり前でしょ。……大好きだよ」
「だったら、それでいいよね?お互いに大好きってことだけで、僕達はこの先ずっと一緒だ」
私の胸から顔を上げ、少し赤くなった目で私を見つめ、そっと唇を重ねる。
ほんの数秒しか唇は重なっていなかったのに、それだけで私の心は満たされてしまった。
でも身体は正直で、まだ満たされていないのか、彼から離れようとしない。
「咲さんには、まだ聞かなくちゃいけないことたくさんあるし、今日は僕の家に来て」
「え?でも明日も仕事休むわけにはいかないし……。翔平くんも困るでしょ」
「僕は休みとってきたから大丈夫。って、上司には文句言われたけどね」
そう言って、笑いながら私の顔を覗き込んできた。
「で、咲さんもお休み」
「え?」
「兄貴がね、もう一日休ませてやるから元気とヤル気、充電してこいって」
「でも……」
「咲さんが今のままだと、兄貴に咲さんを奪われちゃうでしょ?だから一晩かけて咲さんを元気にしてあげる」
その意味をすぐに理解した。
だって、ここに一人できた理由は寂しかったから……彼に触れたいのに触れられたいのに、そう出来なかったから。
その想いが限界に達してしまい、心と身体が勝手にここに連れてきてしまったんだ。
だから、その病を治せるのは彼しかいない。特効薬だ。
「よろしくお願いします……」
少し照れながらそう言うと、彼は驚いたように目を丸くさせた。
しかしそれも一瞬のことで、私と目が合うといつものフワッとした可愛い笑顔を見せてくれる。
「翔平くん……大好きっ!!」
愛おしい気持ちが込み上げてきて、まるで小さな子供のように彼の腕にしがみついた。
そして……。
その夜の彼は、今までで一番の快楽を私に与えてくれた。
もう気持ちや言葉だけでは足りない私の身体を、愛しむように抱いてくれた。
彼と一つに繋がると、今までのそれとは比べ物にならない快感が私の身体を駆けめぐる。
手を伸ばし彼の頬に触れると、彼もその手を包んでくれた。
「……好き……翔平、が……大好き……」
幸せすぎて、知らない間に涙が頬を伝っていた。
大好きな彼に全てを委ね、私の心と身体は幸せで満ち溢れていった。




