第20話 二人からの思い
なんで?なんで彼がここにいるの?兄貴って?
頭の中が?だらけで、何がなんだか分からなくなってしまった。
どうしよう……。この状況についていけなくて呆然としていた。
すると坂牧が私の片腕をグッと引っ張って立たせ、自分の横に並ばせた。
そして、わざと彼に見せつけるように私の肩を抱いた。
「あぁ、お前に紹介する。野口咲さん。俺の彼女だ」
「は…はいっ!?」
誰が、いつ、どこで彼女になったんだっ!そう言おうと思って坂牧の方を向こうとしたが、
反対側に立つ彼の方向から、ただならぬ雰囲気を感じ、恐る恐る彼の顔を見た。
怒りに震えるその顔は、険しく引き攣っている。
それもそのはず。坂牧はいつに間にか私の身体を両腕で抱きしめていたのだから……。
「チーフッ!離して下さい。私、彼女じゃないでしょっ」
そう言って思わずチーフを突き飛ばしてしまった。
どんっと腰を床に打ち付け、ドサッと倒れこむ。
さすがにこれには彼もびっくりしたようで、坂牧のところに駆け寄る。
「お、おい、兄貴大丈夫か?咲さん、相変わらず力強すぎ」
「ごめん……。でもチーフが悪い……」
「まっそれはそうだけど」
二人でそう話していると、いつに間にか坂牧は起き上がっていた。
少し顔をしかめて腰をさすっている。
「なあ、お前たちって、今危ない状態なんだよな?」
危ない状態って……。
私はなんて答えていいか分からず、彼の顔を見る。
私と目が合うとサッと逸らし、言いにくそうに口を開いた。
「だ…だとしたらなんなんだよっ」
彼のその言葉に、目の前が真っ暗になった。
(あ……やっぱり彼は別れようと思ってる……)
そのことを今はっきりと突きつけられたような気がした。
自分から話をすることを先延ばしにしておいたんだ。その間に彼の気持ちが変わってしまっても仕方が無いことだった。
でも今、その言葉を聞いてしまった私の身体は、だんだん力が入らなくなっていった。
足がガクッと崩れ、その場に倒れ込みそうになる。
「咲さんっ!」
彼の筋肉質だけど優しく温かい腕が私を抱きとめてくれた。
その腕を手放したくなくて、思わずギュッとしがみついてしまった。
彼が私にしか気づかないくらい僅かにビクッと反応した。
「大丈夫?今日は助けられて良かった」
そう言って微笑む彼の笑顔を見ると、身体の中から何かがブワッと込み上げてくるのがわかった。
でもそれが何なのか分からず首を傾げていると、彼が私の頬をふわっと包み指先で何かと掬いとった。
「今日はどこもぶつけてないのになんで泣いてるの?」
え?私、泣いてる?今日はどこもぶつけてない?あぁ、旅館でのこと……。
そんなことを考えながら、自分で顔を触って確認してみると、確かに濡れていた。
この涙の理由は分からなかったけれど、今自分が幸せな気持ちでいることは分かった。
なんとなく彼に擦り寄ってみる。すると彼もその仕種に気づき、そっと抱きしめてくれた。
「おいっ!そこの二人。俺がいること忘れてないか」
おぉぉ〜そうだった。慌てて彼から離れる。
彼は(なんで離れるんだよ)というような顔を私にしてから、坂牧の方を向いた。
「ああ、忘れてた。悪いな」
「ったく、ほんと世話が焼ける弟と部下だ」
「何がだよ」
彼が坂牧に突っかかる。
そんな二人を見て、何か引っかかるものを感じた。
兄貴……弟……。
そうかっ!分かったっ!
「ちょっと聞いてもいい?」
二人に問いかける。
「なんで兄貴と弟なの?苗字、違うよね?」
そうだったのだ。引っかかるものは、兄弟なのに苗字が違ったからだ。
坂牧が「あぁ…」と小さく頷いてから説明を始めた。
「俺達は3兄弟なんだけど、両親が結構前に離婚しててな。で、その時に俺は父親に引き取られ、妹とこいつは母親に引き取られたんだよ。だから苗字が違うわけ」
「そうだったんだ。すみません、余計なこと聞いてしまって」
でも、よく見ると何処と無く似てるかも……。そう思うと少し可笑しくて笑顔をこぼしてしまう。
「ねぇ咲さん。そこ笑うとこじゃないし」
「あっ……ごめんなさい」
しまった。今はそんな笑ってられる状況じゃなかったんだ。
彼の口調、ちょっと怒ってる感じだし。
少しだけ居心地の悪い気分でいると、坂牧がいつものように豪快に笑った。
「別にいいじゃないか笑っても。翔平もちょっと肩の力抜け」
そう言ってソファーに座り込んだ。
「お前たちも、さっさと座れ」
そう促され、二人並んで座った。
肩と肩がぶつかっている。彼は私にピタっとくっついているのだ。
それを見て苦笑する坂牧。
「なあ。二人に何があって今の状況になったのかは知らないが、まだお互い好きなんだよな?」
「当たり前だろっ」
「花田、お前もか?」
少し間をおいてから、コクンと頷いた。
「そうか……分かった」
坂牧の顔が寂しそうに歪んだ。でもそれも一瞬で、すぐにいつもの顔に戻った。
「仲直りの話は後で二人でやってくれ。でも翔平、これだけは言わせてもらう」
翔平がごくんと生唾を飲み込む音が聞こえた。
「俺は花田のことが好きだ。お前よりもずっと前からな。まあ、俺がぼやぼやしてるからお前にさき越されちまったけど」
そう言って頭を掻きながら笑う坂牧。
知らなかった。長い間そんな気持ちでいてくれてたなんて……。
叱るのも褒めるのも真剣で、その行為にいつも甘えていた。恋愛の相談に乗ってもらったことだってある。
私はただ単に後輩だから、部下だから、親切にしてくれているんだとばかり思っていた。
申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまう。
坂牧の顔を見ていられなくなって俯いた。
「おいおい。花田、お前が俯いてどうする」
そう笑ってはいるが、やはりどことなく寂しそうだった。
「翔平。もし今後お前が、花田を泣かしたり不安にさせるようなことがあれば、俺は遠慮なく花田を奪う。それだけは覚えとけよ。分かったな」
「分かった、覚えてはおくよ。でももう二度と咲さんにそんな思いはさせない。それに兄貴には悪いけど……」
そう途中まで言って私の肩を抱き、グッと引き寄せる。
私は驚いて顔を上げ、彼の顔を見た。
あ……ヤバい。この何かを企んでる笑顔。私はこの笑顔を知っている。
この後、良からぬことが起きるんだ……きっと。
嫌な予感がする。そう思った瞬間……。
彼の熱い唇が、私の唇を奪った。
小悪魔、久々の登場ーっ!
ちょ、ちょ、ちょっとぉぉぉぉっ!!!!! 予感的中。
眼の前には坂牧……じゃなくて、あなたのお兄さんがいるんですけどっ!?
慌てて唇を離そうと身動ぎしたけれど、貪るようにキスをする彼の力は驚くほど強く、びくともしない。
彼が目を開き私の目と合うと、その奥底に何やら黒いものを感じる彼の瞳が怪しく細められた。
その目を見た私の脳は、一瞬にして危険を察知。次の瞬間、自分でもびっくりするような力で彼の身体を突き飛ばす。
「いいかがんにしてぇぇーーっ!」
そう怒鳴ると一瞬だけ目を見開いたが、すぐにいつもの小悪魔な顔に戻し笑みを作る。
その顔からは全く反省の色は見えない。
全く、何考えているんだか……。
呆れながらも、尻餅をついて倒れている彼の近くに行き、手を差し出す。
私の手を握り起き上がりながら、彼が小さな声で囁いた。
……この続きは後で……
その言葉に呆れるやらドキドキするやら、思わず手を離し彼はもう一度尻餅をつく羽目になった。
そんな二人を見て、坂牧が苦笑していたのは言うまでもない。




