最悪な展開
レオナルド視点です。
「幼い頃から、その記憶があったのか?」
「いえ、正確には馬車の事故にあった後、ですので――およそ、六歳頃からかと」
「充分、幼いではないか。やけに達観した子どもだと思っていたが……まさか、記憶持ちとは」
「信じていただけるのですか?」
「もちろんだ。自分の息子の言葉を信じない親がどこにいる」
(そんな親の元に生まれ変わったから、逃げ出したのですが……)
生みの親からは与えられなかったものをすべて育ての親が与えてくれた。
ガーネット伯爵家に引き取られたことで、僕は救われた。たとえこれが物語の主要人物だからこその補正だったとしても。
「それで――この世界が本で読んだ物語だというのは?」
「はい。アイリーンが主人公の物語で――」
物語の内容とこれまで実際にあった出来事を照らし合わせながら、話を進める。
「なるほど。ある程度、理解した」
馬車が速度を落とし、ゆっくり止まる。
「続きは、私の執務室で――」
父の言葉を遮るように、馬車の扉が叩かれた。
「旦那様、至急お伝えしたいことがございます。よろしいでしょうか」
「構わない」
「失礼いたします」
扉が開くと、普段は冷静な執事長がやや緊張した面持ちで父に報告した。
「アンドロス王国のアルキオネ侯爵閣下がお見えになっております」
「アルキオネ侯爵、だと? 先触れもなく、急に訪ねてくるなど……」
その名前を聞いた瞬間、胸の鼓動が速くなる。嫌な汗が背中を伝う。
「父上」
考えたくない。この先に起こることなど。
でも、向き合わなければ。未来のために。
「アルキオネ侯爵家が王妃殿下の遠縁で――物語の中でアイリーンと縁組した家門です」
「何……?」
僕らのやり取りを黙って聞いていた執事長が申し訳なさそうに口を開く。
「旦那様。早急に応接室へ」
貴族であれば、先触れを入れるのは当然のマナーであるはず。それは他国であっても同じだ。いや、他国だからこそ、礼儀は重んじるべきなのに。
突然、訪問し、執事を急かす貴族など――
「ああ。貴殿がガーネット伯爵か。突然の訪問、お詫びしよう」
応接室に入ると、まるで夜空のような濃紺の髪色をした端正な容姿の紳士が立ち上がり、胸に手を当てて浅く頭を下げた。
ろくでもないに決まっていると思っていたが、謝罪しているだけ、まだまともか。
仮にも物語の中でアイリーンの養父となる人物だ。まともでなければ困る。
しかし、続く言葉を聞いた瞬間、僕の中の彼の印象は一気に地に落ちた。
「早速だが――我が娘アイリーンとの婚約を解消していただきたい」
何を言っているのか、理解できない。
ここは現実で、物語の中ではない。この世界のアイリーンはアルキオネ侯爵家と縁組などしていない。
昨日の朝まで僕は確かにアイリーンとロードナイト伯爵家にいたのだから。
それに昨日、アイリーンは学園が終わった後、ルーナさんの書店を手伝いに行っているはず。
僕は家のことがあって行けないと、ルーナさんにもロードナイト伯爵家にも連絡しておいた。
今日は午後から一緒に書店の手伝いをする予定だ。足を怪我しているルーナさんの代わりに二、三日、店番をすると約束したのだから。
だから――アルキオネ侯爵が今、ここにいること、それ自体がおかしい。
「アイリーン嬢というのは、ロードナイト伯爵家の御令嬢のことでしょうか」
いつでも冷静な父は顔色一つ変えず、穏やかに問いかけた。
「元、だ。彼女は元伯爵令嬢で、今は私の娘、アイリーン・アルキオネ侯爵令嬢となった。私は娘に幸せになってもらいたいのでね。彼女にふさわしい婚約者を、と――」
「僕はふさわしくない、とおっしゃいたいのでしょうか」
思わず、口を挟んでしまった。父に向けられていた視線が僕に移動する。王妃様とよく似た青緑色の瞳が冷たく僕に刺さる。
「君が――レオナルド殿だね。気分を害してしまったなら、申し訳ない。君がふさわしくない、という意味ではなかったのだ。ただ、よりふさわしい人物がいる、というだけで」
「僕以上にふさわしい人物がいるとは思えません」
石と美しいものをこよなく愛する崇拝者で。勝ち気と思わせて、実は泣き虫で。
そんなアイリーンを知っているのは、この世界中で僕だけだ。
「ふ……っ、あ、はっはっは」
突然、応接室に笑い声が響き渡る。アルキオネ侯爵の冷淡な顔は崩れ、大きな口を開いて笑っている。
「君、面白いことを言うね」
目尻に滲んだ笑い涙を人差し指で拭いながら、アルキオネ侯爵は僕に言った。
「たかが伯爵令息が、王太子よりふさわしいわけないだろう?」
怪訝な顔をした僕に、アルキオネ侯爵は勝ち誇ったように笑った。
「今頃、娘は王城で妃教育を受けているだろうね」
「は……?」
「なんだ、君は知らなかったのか? 昨日、娘はフレデリック殿下から婚約指輪をいただいたのだよ」
「婚約、指輪……?」
心臓がけたたましい音を立てた。
(まさか、それって――)
何回も、何十回も、一緒に読んだのに。
――何で、気がつかなかったんだろう。
探していた魔法具と、あの本の挿絵に描かれていた指輪が同じものであるという可能性に。




