自由と束縛
「妃教育を受けなくても構わないが、その場合、この部屋から出ることを許可しない」
朝食を取り終わったタイミングでフレデリック殿下は国王陛下に呼び出され、部屋を出ていった。
バタリと音を立てて閉まった扉の両側に騎士が配置されている。
こんな状態のままでは、せっかく王城内にいるのに何の調査もできず、本当にただ助けを待っているだけになってしまう。
そんなの、性に合わない。
ある程度の自由を手に入れるためには妃教育を受けるしかないか。
フレデリック殿下の思惑通りになるのは何だか癪に障るけれど。
何気なく窓の外に目をやる。薄いレースのカーテン越しではあるが、見えないこともない。
色とりどりの薔薇が咲き誇っている庭園が少し見下ろすような角度で見えた。
(この部屋は――三階くらいかな。薔薇だけしかない庭園ってことはあれがロイヤル・ローズガーデンか)
王家の紋章にも組み込まれている薔薇の花はこの国にとって、魔法石や鉱石に匹敵するほど重要視されている。
王城内にはいくつも庭園はあるが、唯一、王家の者だけが入ることを許された特別な庭園――ロイヤル・ローズガーデンと呼ばれる薔薇だけで造られた庭園がある。その庭園の存在はたとえ貴族であっても知る人は少ない。
なぜ私がそんなに特別な庭園の存在を知っているか、といえば、もちろん物語に出てくるからだ。
妃教育を開始したアイリーンは未来の王妃としての重責を感じ、根を詰めすぎてしまう。
徐々に笑顔が減っていくアイリーンを心配したフレデリック王子は、少しでも気晴らしになればとアイリーンを秘密の庭園へ招待する。
薔薇でできた廻廊の中心にあるガゼボで、二人きりの小さな茶会が開かれ、アイリーンの憔悴していた心を少しずつ溶かしていく。
少しだけ笑顔が戻ったアイリーンに、王子様は優しく微笑む。
『君の笑顔が私の一番の幸せだ。これから先もずっと君が笑顔を失わないように、私が護ると約束しよう』
(そう言って、王子様はアイリーンの指で輝く薔薇の指輪に――)
そこまで、物語の内容を思い出したところで、私は重大なことに気がついた。
身体中からサーッと血の気が引いていく。
私は恐る恐る自分の右手に視線を落とした。
そこには――あの本の挿絵に描かれていた指輪と同じものが、高くなり始めた日の光を映し、赤く輝いていた。
最近、手元に戻ってきたばかりの愛読書。それから毎晩のように読み直していたのだから、間違いない。
唐突に指輪をはめられたことに怒りしかなく、極力見ないようにしていた。
だから、全然気がつかなかった。この指輪に薔薇が象られていることに。
指輪の色とは正反対に私の顔は青ざめていく。
背後からノック音が聞こえ、躊躇なく開かれた扉に振り向くこともできず、ただ呆然と庭園を見下ろしていた。
背後に人の気配を感じる。
「その庭園はロイヤル・ローズガーデンという」
返事をすることもなく、窓の外に目を向けたままでいると、フレデリック殿下は私の隣に並んだ。
「王家の者だけが入ることを許された、特別な庭園だ」
(そんなの、もう知ってる)
不貞腐れたように黙っていると、私に視線を向けたフレデリック殿下は小さく息を吐いた。
「ずっと部屋にいては気分も晴れないだろう。今から行ってみるか」
「…………」
部屋からは出たい。この物語の崇拝者としてはあの庭園も実際にこの目で見てみたい。
でも今のこの状況でフレデリック殿下と一緒に行くのは危険だ。
「いつもの、用意してくれるか」
「畏まりました」
心の中で葛藤している間にフレデリック殿下は従者に指示を出し、私に腕を差し出した。
「さあ、行こうか。案内しよう」
私は差し出された腕に触れるか触れないか程度に手を添えると、歩幅を合わせるように歩き出した。
そんな私の対応に、殿下は少々苦笑いを浮かべた。
◇
庭園の前には先ほど何かを頼まれていた従者が、私たちが来るのを待っていた。
「殿下、こちらを」
「ああ、ありがとう。急に、すまない」
「いえ」
殿下は従者から大きめのバスケットを受け取ると、庭園の入口にある頑丈そうな扉にそっと手で触れた。
ギギーッという重厚な音を立てて扉が開く。
私たち二人が庭園に足を踏み入れると、再度大きな音が聞こえ、扉が閉まった。
薔薇の廻廊を抜けると、読んで想像していた通りの美しいガゼボが見えてきた。
殿下が腕に添えていただけの私の手を取る。
「…………!?」
殿下の指輪と私の指輪が触れた瞬間、頭の中に何かが流れ込んでくる。
私は思わず、ぎゅっと目を瞑った。
「大丈夫か、アイリーン!」
殿下は私を支え、ガゼボのソファーへと座らせた。
そっと目を開けると、目の前には美しい碧眼が心配そうにこちらを覗き込んでいた。
(綺麗な瞳……まるでアクアマリンみたい)
「アイリーン?」
「……大丈夫です」
あまりの美しさに吸い込まれるように見入ってしまったことに気がつき、慌てて返事をした。
殿下はホッとしたように肩を下げると、テーブルにバスケットを置き、立ち上がった。
私も一緒に立ち上がろうとするが、手で制し、「君は座っていて」とにっこり笑った。
殿下はバスケットからティーセットなどを取り出すと、慣れた手つきでお茶の準備を始める。
「さあ、どうぞ」
手際良さに驚いて言葉が出ないでいる私に、殿下はクスリと笑った。
「ここには、よく一人で来る。その時には今のように用意だけしてもらい、自分で淹れている」
「一人で……」
「ああ、ここなら一人でも許されるからな」
寂しそうに目を伏せた殿下の表情に、なぜか胸の奥がドクリと鳴った。




