『愛』の意味
(これって……やっぱり――)
何度も、何度も、眺めていた。
まさか、その場面が目の前で見られるなんて思ってもいなかったけれど。
それも、主人公目線で。
今、周囲を取り囲む人たちからは、まるで本の挿絵のような美しい光景に、目が釘付けになっていることだろう。
一読者だった私がそうだったように。
間違いなく、物語が軌道修正している。
豊石祭で心の距離が近づいた二人。
その後、アイリーンはディアーナから命を脅かされるほどの加害行為を受け、聖女として覚醒し、その力でフレデリック王子の側近であるアラスターの問題を解決したことで、さらに距離が縮まる。
婚約者であるディアーナよりも、聖女としての働きが認められ、王妃様からの絶大な信頼を得ているアイリーンのほうが時期王太子妃にふさわしいとの声が高まる中、フレデリック自身、アイリーンに特別な感情を抱いていることに気がつく。
アイリーンに危害を加えたことを皮切りに、ディアーナは今まで行ってきた数々の悪事が暴かれ、フレデリック王子との婚約は破棄されたうえ、断罪された。
その後、アイリーンへの溢れ出す愛おしさを隠しきれなくなったフレデリック王子は、アイリーンに求婚する。
『アイリーン嬢。どうか、私の妃になってほしい』
自分の前に跪いたフレデリック王子に、アイリーンは戸惑う。
今の自分の身分では王太子妃にはなれない、と心のまま素直に頷くことができなかった。
『大丈夫。問題はすべて解決しているから』
そういってフレデリック王子はアイリーンの指に、豊石祭で贈ったペンダントと揃いの指輪をはめる。
『今回は“友愛”という意味ではないから』
小さく息を吸い、瞳を瞬かせたアイリーンにフレデリック王子は優しく微笑みかける。
そんな二人の挿絵が美しすぎて、何度も、何度も、眺めていた。
「アイリーン嬢。どうか、私の妃になってほしい」
今、その場面が目の前で起こっている。
ただ物語と違っているのは、彼には婚約者がいないが、私には婚約者がいるということ。
「え、どうして……」
いつの間にか、物語通り、私の指には濃桃色の宝石がついた指輪が光っていた。
「石言葉は知っているだろう?」
挿絵で主人公アイリーンに向けられていた、優しく美しい微笑み。
「どうか、私と愛を結んでほしい」
ずっと憧れていたはずの微笑みが、恐怖に変わる。
私は左手で胸元にあるペンダントをギュッと握りしめた。もうすでにその意味でこのペンダントを贈ってもらっている。世界で一番、愛する人に。
今のこの状況に恐怖を感じるが、それより違和感のほうが強い。
急に変わったフレデリック殿下の真意が読めない。
「フレデリック殿下」
私はやや強引に右手を引き、包み込む彼の手を振りほどいた。
「場所を変えてお話しいたしませんか」
「ああ、かまわない」
こんなにギャラリーがいては、話したいことも話せない。何より言いたいことを言って不敬などと騒がれても嫌だし、変な噂話をされるのも嫌だ。
まあ、今の時点で時すでに遅しでしょうけど。
フレデリック殿下が了承したので、私たちは以前、カイルスに案内されたクリスタルガーデンへと移動した。ガゼボの中央にあるベンチに向かい合って座る。
「先ほども言いましたが、どういうおつもりでしょうか」
やはりフレデリック殿下は私の質問の意図がわからないようで、首をかしげる。
「どういうつもりも何も……先に言った通りだ。アイリーン嬢、君と結婚し、二人でこの国を治めていきたいと思っている」
「それは――殿下、あなたの本心でしょうか」
「もちろんだ」
まっすぐに私を見つめる碧眼は、嘘偽りを感じさせない。
でも――何かがおかしい。
「ディアーナ様を、愛しておられたのでしょう?」
「…………」
「今までの私への態度は、彼女を護るためだったのではなかったのですか?」
青く美しい瞳が僅かに揺れる。
「確かにそうだった。私の大切な婚約者であったし、愛しさを感じていた。しかし……彼女は私たちを欺いていた。それに――君こそ、最大の被害者だろう?」
(まあ、確かにおっしゃるとおりですが)
起きてもいないことにビビりまくり、必要以上に私を避けた結果、空回りして自滅してしまったのだけれど。
「だからといって、なぜ私なのです? 殿下も御存知の通り、私にはすでに婚約者がおります。それに家格も釣り合いません」
先ほどから必死に指輪を抜こうとしているが、まったく動かない。速攻返却したいのに!
返事は断るのに、もらったものは返しません、では強欲令嬢になってしまう。
視線を指に落とし、抜けない指輪と必死で格闘していると、向かい側からクスクスと堪えきれない笑いが聞こえてきた。
私が顔を上げると、微笑みながら愛おしそうに見つめる瞳と視線が合う。
「好きになるのに理由はいらないだろう? 大丈夫。問題はすべて解決しているから。婚約者のことも、家格のことも」
「え……?」
青く澄んだ瞳がゆっくりと細められ、整った唇が弧を描く。
「だから、アイリーン。君は何も心配しなくていい」
フレデリック殿下の耳元が一瞬キラリと青緑の光を放った。




