もう、我慢しない
「まさか、そんなことがあったなんて……ね」
「うん……」
どっぷりと日が暮れ、辺りは真っ暗。
私たちを乗せた馬車は漆黒に包まれた夜道を慎重にゆっくりと走っていた。
少々本を選び、お気に入りを見つけたら、屋敷で悠々と読もうという思惑は完全に覆ってしまった。
そして、思いがけずルーナさんの過去やその正体を知ってしまった。
まさか、あの本の作者さんだったなんて。
この短時間で手に入れた情報の多さに、頭がついていかない。
きっと考えないといけないことがたくさんあるのだろうけれど、今は情報を整理するので精一杯だ。
馬車に乗ってから、しばらく静かだった車内にレオの大きく息を吸う音が聞こえた。
「僕が前に言ったこと、覚えてる?」
「……?」
今までした会話でどのことを言っているのか、思い出そうと記憶を遡る。
「僕らが前の世界で“一緒に死んだから、一緒に転生した”んじゃないかって言ったこと」
「うん、覚えてる」
ディアーナが転生者ではないか、と考えるに至った経緯と、私に出会えたことで他にも転生者はいるのではないか、と推測した時のことだ。
「あの時、あの場所にいて、転生したのは僕と愛莉、そして、ディアーナの中の人」
「中の人、って……」
「だって、どこの誰か知らないもん」
「まあ、そうだけど……」
(たぶん、列の最後尾に並んでたあの可愛い人、だよね……)
違う学校の制服を着てた、同じ年くらいの美少女。
美しいもの好きな私が美少女を忘れるはずがない。
(あの子がきっとディアーナだったんだ……)
そう考えると、少々胸が痛い。
同じ作家さんが好きで、その作家さんの創った世界に転生できたのに、彼女は悪役令嬢だったのだから。
もし、彼女が主人公アイリーンに転生していて、私が悪役令嬢ディアーナだったら――彼女のこの世界での人生も変わっていたかもしれない。
私がそんなことを考えていると、レオはそれを見通したように口元をへの字に曲げ、ジトリとした視線を向けた。
「アイリーンの考えていることは大体わかるけど」
私が苦笑いすると、レオは小さく息を吐いた。
「話を続けるね。あの場にいた三人が転生していて、今日、ルーナさんが転移者であの時の作家さんだったってことがわかった」
「うん」
「と、いうことは――あの犯人もこの世界に転生か、転移してるんじゃないか? 考えたくはないけど」
「……っ!!」
確かにその可能性はある。
あの後、ルーナさんは部屋が暗くなってきたことに気がつき、続きはまた、ということになった。
あの爆弾犯の女性とルーナさんや弟さんとの関係など、まだまだ聞きたいことはたくさんあったのだけれど――仕方がなかった。
詳しく聞くことができなかったゆえに、悪い方へと想像してしまう。
だって、自分もろとも吹き飛ばしてしまうくらい、ルーナさんに何かしらの想いを持っていたということが考えられるから。
それにあの場にいた四人もの人間がこの世界に存在しているのだから、もしかしたら、あの人が仕組んだ可能性だってある。
そう考えたら、身体中が強張った。
「アイリーン」
隣に座るレオが優しく私の名前を囁く。そして、ふわりと抱き寄せられた。
「大丈夫だよ。僕らには心強い味方がたくさんいる。まあ、注意するに越したことはないけれど、心配しすぎて何も楽しめなくなるのは勿体ない気がしない? せっかく生まれ変われたのに」
「そう、だよね……」
レオの言う通りだ。
ここが大好きだった物語の世界であると思い出した時、転生できたことをあんなに歓喜したではないか。
その上、前の世界で大好きだった人とも再会できて、婚約まですることができて。
今のこの時間を楽しまないなんて、勿体ない。
私がレオにニッコリ微笑むと、レオも安堵したように口角を上げた。
馬車が速度を落とし、ピタリと止まった。いつものように柔らかいノック音が聞こえ、扉が開く。
「おかえりなさいませ。お嬢様、坊ちゃま」
「ただいま、じいや」
扉を開いた老執事に、レオが返す。
どうやら、もう慣れたみたいだ。
レオが我が家からの帰り道で襲われてから、日が暮れてからの帰宅はさせず、ロードナイト伯爵家の客室に宿泊するという取り決めが両家の間で交わされた。
レオは父の仕事を手伝っているため、遅くなることもあり、最近は泊まることも多い。だから、最初こそギクシャクしていた老執事とのやりとりも今は慣れたものだ。
屋敷に入ると、ホッとしたのか、身体が急激に重たくなった。そのため、食事は部屋で軽めのものをいただくことにした。
そんな私を心配して、レオが部屋の前まで送ってくれる。
「じゃあ、おやすみ」
「うん、おやすみ」
レオは私の額にちゅ、と口付けた。
おでこを押さえ、火照っている顔を隠すように俯くと、近くでクスリと笑うレオの息遣いが聞こえた。
「レオって、こんなに甘々だったっけ?」
最近、レオからのスキンシップが多い気がする。
前の世界では付き合ってはいたものの、そんな甘い雰囲気になることはなく、幼なじみの延長のような関係だった。
だから、私はいまだにこの甘いやりとりに慣れずにいる。それなのに、レオだけ涼しい顔をしているのがちょっと悔しい。
少々頬に力を入れて、唇をピッと横に引き結ぶと、レオの顔を睨むように見上げた。
「んー、まあ、前世では何にもできずに死んじゃったからね。今世では後悔のないように生きようかと」
「え……?」
考えるように上げていた視線を私と合わせると、彼の赤い瞳が陰った。
「ついこの間、今世でも何もできずに死ぬところだったでしょ?」
「あ……」
そうだった。
レオは死にかけたし、私はレオを失いかけた。
今ある当たり前は、当たり前に続くことではないと思い知った。
「だから、もう我慢するのはやめたんだ。覚悟してね、愛しの婚約者様」
レオはそう言ってニカッと笑うと、今度は唇に深いキスを落とした。
「…………!!」
私が驚いて目を見開いたまま固まっていると、レオは「あははは」と大きな声で笑いながら「じゃ、また明日」と手をひらひらと振りながら客室の方へ行ってしまった。




