ここにいる理由
「それから、私たちはすれ違ってしまって」
ルーナさんは悲しそうに目を伏せた。
「物語を書いたのが身寄りのない中学生ということで大きな話題になって、弟はとても忙しくしていたわ。自分の時間も、プライベートもないくらいに。最初に話を聞いたとき、そうなるような気がしていたから、反対したのだけれど」
反対したことで、弟さんとの関係が拗れてしまったルーナさんは、それから二年近く、彼と話をしていなかったそうだ。
そして、ルーナさんが高校三年生になった春。
高校一年生になった弟さんは、入学式に向かう途中で事故に遭い、亡くなってしまった。
「二年どころか、永遠に話せなくなってしまうなんて……ね」
ルーナさんは俯いて、キュッと唇を噛み締めた。
「弟の死を自分の中で昇華させることができなくて、私は……この物語を書いたの」
大きく深呼吸すると、テーブルに置いてあった本にそっと触れた。
「この物語に出てくるフレデリック王子はね、弟がモデルなの。せめて、物語の中では彼のように恵まれた環境で育って、困難な状況を自ら打破できる能力も、権力もあって。すべてを持ち合わせている幸せな王子様にしてあげたくて」
ルーナさんは優しく微笑んだ。
「それが私たちの“幸せになる方法”だったから」
弟さんみたいに話題が先行しないように、と作者の情報は伏せられた。
だから、私たちはあの日まで作者のことを何も知らなかったのだ。
「この世界に転移してきたときの私は、その頃の私に戻っていたから、弟を亡くした喪失感と後悔と悲しみでいっぱいだった。それを救ってくれたのが、マリーだったの」
感情をストレートに発散する姿に驚いたそうだ。
「私が落ち込む暇も与えないくらい楽しい生活を送ることができて、いつの間にか、この本の存在も忘れてしまっていた」
ルーナさんは本を手に取ると、パラパラと頁をめくった。
「アシェルとマリーの婚約が決まって、あと少しで卒業というとき、私が身を寄せていた教会が魔獣に襲撃されたの」
当時、学園の寮で生活していたルーナさんは無事だったが、教会はめちゃくちゃになってしまった。そのため、ルーナさんは卒業を待たずに教会へ戻り、復興と再建の手伝いをしていたそうだ。
教会の復興や再建はさほど時間はかからなかったが、教会の司祭様からの頼みでルーナさんはそのまま魔法具の鑑定士としての仕事を始めた。
ただ、その鑑定の仕事が国家機密のものだったため、外部との連絡を絶たれてしまい、友人である父や母に連絡することができなかったそうだ。
「私は卒業式も、マリーたちの結婚式にも出ることができなくて……だから、マリーの嫁ぎ先がジュエライズ王国で、アシェルがロードナイト伯爵だということも、今まで知らなかったのよ」
ルーナさんは手にしていた本をテーブルに戻すと、首元から外した視覚誤認の魔法具をその横に置いた。
「私が前の世界の記憶を取り戻したのは、倒壊した教会の中からこの本とこのペンダントを見つけたときだったの」
ペンダントはこの世界に来たときに身に着けていたもので、亡くなったお母様の形見だそうだ。
弟さんのことを思い出してしまうから、と教会の自室にしまってあった本とペンダントを見つけ、両方を手に取ったとき、突然、前の世界の記憶が流れ込んできたとのことだった。
「鑑定の仕事が一区切りついて、自由に動けるようになってから、ジュエライズ王国に来たの。私が書いた物語の世界をこの目で確かめるために」
ジュエライズ王国に来る前、ペンダントに視覚誤認の作用を付加して魔法具に作り変えたらしい。
ジュエライズでは黒髪黒目はあまり歓迎されない。
物語の中のアラスターがそうだった。ルーナさんは作者だから、それをわかっていたのだ。
つい先ほどまでオレンジ色に染まっていた窓の外がいつの間にか薄紫色に変わっていた。
「前の世界の記憶は、完全に戻っているのですか?」
レオがルーナさんをまっすぐ見つめて問いかけた。
ルーナさんは「ええ」と小さく頷く。
「一つ、お伺いしたいことがあります。最期の瞬間、あの女性はあなたに何を言ったのですか?」
「最期の、瞬間……?」
ルーナさんは思い返すように視線を一点に留めた。
そして、何かを思い出したように、ひゅっと小さく息を吸った。
「彼女は――」
ルーナさんの顔が徐々に青ざめていく。
「彼女は、私に……『私の方がこの世界を愛してる』と言ったわ」
玲音くんが最期に聞いた言葉だ。
「彼女はね、弟のノートを拾った人よ」
「えっ……?」
「そして、私たち二人だけの世界をたくさんの人たちに広めた人」




