二人きりの世界 〜ルーナ視点(過去回想)〜
「中にまだ人がいるらしい! 急ぐぞ!」
消防隊員が必死で消火活動をしている。
私はその様子をただぼんやりと眺めていた。
同じような表情で私の隣に佇む弟の手を握りしめながら。ただまっすぐ、焼け落ちていく家を見つめ続けていた。
不意にぎゅっと手を握り返されたことで、私はハッと我に返った。
視線をそちらへ向けると、呆然としていたはずの弟が私の顔を見上げていた。
彼の瞳には、一欠片の悲しみも、不安も、恐怖も、感じられなかった。
幼く思えていた弟が急に大人びてみえて、胸がぎゅっと締め付けられた。
「電気ストーブから出火したみたいよ」
「まあ、あそこは母親がいなかったからね」
「子どもたちだけでも助かってよかったけど……頼れる親戚もいないみたい」
「それなら、二人は児童養護施設かしらね」
救急車の中で手当を受けていると、近所の人たちの話し声が聞こえてきた。
(そんなこと、私たちだってわかってる……!)
夜の暗闇を真っ赤に照らしていた我が家は、いつの間にか真っ黒な骨組みだけになり、辺りを漆黒に戻していた。
母が生きていたころの楽しかった思い出も、苦しく辛い思い出とその元凶であった父と共に消え去った。
(これで、よかったんだ……)
あのままの生活を送っていたら、と考えるだけでも背筋がゾッとする。
「二人ともよく無事だったね。身体中、痣だらけじゃないか。ああ、弟くんは口の端が切れてるね」
救急隊員が弟の唇を優しく拭ってくれる。
「……っ!!」
ようやく実感が湧いたのか、弟が堰を切ったように泣き出した。
「痛かった? ごめんね、大丈夫?」
救急隊のお兄さんはゆっくりと弟の背中を擦りながら、少し顔を歪めた。
年子とはいえ私が早生まれだったこともあり、学年は二つ違う。三年生と五年生ではだいぶ差があるように感じていた。
突然いろいろなことが起こりすぎて、受け止めきれなくなったのだろう。
念のため、と救急車で運ばれた病院に到着しても、しばらく弟が泣き止むことはなかった。
結局、“不幸な事故”により唯一の肉親である父親と、住む家などすべてを失った私たち姉弟は、児童養護施設で暮らすことになった。
施設に来てからしばらく経っても、弟は口をきかなかった。
施設の人たちは一様に、あの出来事が弟の心に深刻なダメージを与えたからだと言っているけれど、実際はそうじゃない。
あの出来事よりも前から、弟は喋れなくなっていたのだ。下手に口を開けば、あの男の逆鱗に触れてしまうから。
あの日だって、そうだった。
学校でどうしても必要なものがあり、用意してほしいと伝えただけなのに。
リビングの端から端へと吹き飛ばされた。
「もう、やめて!」
父の半分しかない小さな身体が目の前で飛んだのを見て、思わず叫んでいた。
それと同時に、これ以上弟に近づけないように父の足元にしがみついた。
思いがけない私の行動に、父はバランスを崩す。
近くに吊るしてあった洗濯物を掴むも、それは何の助けにもならず、しがみついていた私ごと、そのまま床に倒れ込んだ。
ドシンという大きな音を立てて、仰向けになった父は後頭部を打ったせいか、動かなくなった。
「お父さん……?」
身体を揺すってみるが、起きる気配はない。
死んでしまったかもしれないと思った私は、慌てて父の胸に耳をつけてみた。
ドクドクと心臓が脈打つ音が聞こえて、安堵する。しかし、それもつかの間、焦げ臭い匂いと、白い煙が部屋に充満し始め、私の鼓動を速めた。
父の手元に握られていた洗濯物の端から、火の手が上がっている。
「お父さん! 火事だよ! 起きて!」
先ほどより強く身体を揺するが、目覚めない。
(そうだ! 大瑶は……?)
弟の方を見ると、リビングの隅に横たわっていた。
私は慌てて駆け寄り、小さな身体を揺さぶった。
「大瑶、大瑶! 起きて、逃げるよ!」
「う……ううっ」
弟は苦しそうに顔をしかめてから、目を開いた。
「よかった……早く起きて! 火事だよ、逃げるよ」
弟は部屋の中が一変しているのに気がつき、驚いたように目を見開いた。
「さあ、早く立って!」
私は必死で弟の手を取り、半ば引きずるように玄関から外に出たのだ。
◇
「ねえ、大瑶。もし、ここじゃない世界に行けるとしたら、大瑶はどんな世界に行きたい?」
始まりはこんな一言だったと思う。
未だに話すことができない弟に、物語を聞かせるかのように質問したのが最初だった。
「私はね、魔法がある世界に行きたいな。魔法使いになって、たくさんの人を救いたい」
弟は私の言葉に瞳をパチパチと瞬かせた。
「でもね、魔法が使えるようになったら、一番最初に大瑶を幸せにしたい」
驚いたように目をまんまるにした弟の顔を見て、私は思わずクスリと笑った。
「物語の中なら何だってできるし、誰にだってなれるんだよ! 大瑶はどんなお話が好き?」
「……」
いつも、私が一方的に話している。
きっと、それが癖になっていたのだ。
「私は聖女様として他の世界に転移して――」
「……僕も……なりたい」
隣から聞こえた小さな声にドクリと心臓が高鳴る。
そして、身体ごと弟に向き合った。
「僕も、魔法使いになりたい」
久しぶりに聞いた、弟の声。
「うん……うん……」
私は嬉しくて、溢れ出す涙を止めることができず、ただただ、何度も頷くことしかできなかった。
◇
それから、私たちは物語を創り、想像の世界で幸せを描いていた。
そんな時、転機が訪れた。
私たちの物語を書き留めていたノートを弟が落としてしまい、それを拾った人物が物語を世に出したいと言ってきたのだ。
今後、生活の心配をしなくて済むと、弟は喜んだ。
この時、弟は中学二年、私は高校一年。高校を卒業したら施設を出なければならない。自分たちで生計を立て、生活していく。
きっと、弟はいつも不安に思っていたのだ。
ただ――この時の私は、そのことに少しも気づいていなかった。




