不穏な日々の継続②
過去回想から始まります。
「ほら! 早くしないと間に合わなくなるよ」
「待って……! はぁ、はぁっ……」
手を繋いで、引っ張ってもらうも、受験勉強で運動不足の日々を送っていた私の足はすでに悲鳴を上げていた。
「うっ、わぁ……!」
案の定、足がもつれ、ほんの少しの段差でつま先が突っかかる。
転ぶ、と目をギュッと閉じた瞬間、繋いでいた手にグイと強い力を感じた。私の身体は一瞬で、ぽすりと柔らかいもの包まれる。
閉じていた目を恐る恐る開くと目の前にあったのは硬いアスファルトではなく、温かいコートのふわりとした生地だった。
「ごめん、速く走りすぎた。大丈夫?」
「うん、大丈夫。玲音くんは?」
「僕は平気」
「転ぶかと思った……ありがとう」
「本当だよ。行く前に怪我したら、意味ないでしょ。このために受験勉強頑張ったのに」
「あはは。そうだよね、ごめんね」
玲音くんは横に首を振る。
「さあ、急ごう。せっかくのご褒美なんだから」
「うん!」
私たちが到着したのは書店の一角に設けられた特設会場。
すでに長い列ができていた。
「もう間もなく終了でーす」
その声が聞こえ、慌てて最後尾に並んだ。私たちの後ろにもう一人並んだところで「終了します」というアナウンスが流れる。
「待ってください! 私も並びます!!」
私たちと同じくらいの女子高生が肩で息をしながら最後に滑り込んだ。
「良かった……間に合った」
彼女は息を整えながら、乱れた制服を直すと鞄から鏡を出し、髪型を確認し始めた。
(彼女も同じ作家さんのファンなんだ……)
美少女という言葉が似合う彼女に私の視線が釘付けになっていると、耳元で低い声が聞こえた。
「愛莉は整えなくていいの?」
「えっ?」
玲音くんが私の前髪をちょんちょんと指差す。私は本のショウケースに映った自分の姿に目をやった。
「うわっ……」
いかにも急いで来ましたとばかりに反り立った前髪。私が慌てて直していると、隣にいる玲音くんが我慢できずにプッと吹き出した。
私は彼にジロリと視線を送る。
「大丈夫、大丈夫。気にするな。愛莉はどんな姿でも可愛いよ」
「玲音くんには言われたくない!」
「ええ……本気なのにー」
私たちが陰でなんて言われてるか、私は知ってる。モデルのような体型に整った顔の超優良男子と、その隣には何の特徴もない平凡な私。絵に描いたような月と鼈カップルだ。
私は美しいものが大好きだから、自分がその部類ではないことを理解している。幼い頃から隣にいたのが美麗男子の玲音くんだったから、きっと美しいものが好きになったのだとも思っている。
すなわち、私の美しいもの好きは――玲音くんのせいだ。
笑われて頬を膨らました私の髪を玲音くんが撫でて整えてくれる。そんな優しいところも大好きだ。
「次の方、どうぞ」
玲音くんと話していて、あっという間に時が経ち、私たちの番が回ってきた。
「先生の本の大ファンです! この本にサインをいただけますか?」
幼い頃から大切にしてきた一冊の本。
綺麗な鉱石や魔法具、自分と名前の似ている美しい主人公と、そして、その主人公と恋に落ちる容姿端麗な王子様が出てくる物語。
普通オブ普通である私の理想の世界であり、主人公に自分を重ねては何度も想像した。
そんな自分にとって大切な本を書いた作者様と直接会える機会などそうそうない。
玲音くんが私の受験勉強のモチベーションに繋がれば、と情報を仕入れてくれた。お陰でラストスパートをかけられ、無事に合格することができたのだ。
「大切に読んでくれて、ありがとう」
私に向かってふわりと微笑んだ憧れの作家さんは、想像よりもずっと若く、驚いた。
「お名前は?」
「あ、愛莉です」
サインを書きかけた手を止め、彼女が顔を上げた。
「まあ。アイリーンね」
ニッコリと微笑み、“アイリーンへ”とサインをしてくれた。
「愛莉ちゃんには、これを」
本の間に小さくて薄い本を挟んで閉じ、握らせてくれた。私は返ってきた本をギュッと胸に抱え込む。
「ありがとうございます……!」
感無量でふわふわした気持ちのまま、彼女と握手を交わし、小さくお辞儀をしてその場を背にした。
胸がいっぱいで、そこにしばらく立ちすくむ。
「愛莉、逃げろ!!」
突然、玲音くんの叫び声が聞こえた。
私の身体が何かに覆われると同時に大きな爆発音がして一瞬、燃えるように身体が熱くなる。
私の意識はそこでプツリと途切れていた。
◇
「覚えてるよ。私のせいだよね」
「違う、愛莉のせいじゃない!」
彼は優しいから、きっと私が傷つかないよう言葉を選んでいる。
前の時も、今も、いつもそうだ。
“なんてことない”と涼しい顔をして。私のせいで、死んだのに。私のせいで、この世界に来てしまったかもしれないのに。
私は転生に気づくのさえ遅くて、レオが辛く大変な思いをしている時に、何も考えずのほほんとこの世界を生きていた。
「悪いのは、あの事件の犯人だろ?」
「でも、私が行きたいって言ったから」
「それでも――」
「――私があの日、遅れてなかったら! もっと早くに終わって、巻き込まれることはなかった!」
私が待ち合わせに遅刻しなければ、ギリギリになることも、巻き込まれて死ぬこともなかったのだから。
「違うんだよ、愛莉」
レオがいつものように右手で右側の髪をくしゃりと握りしめる。
「気づいてたんだ」
「何を……?」
「後ろの人の様子がおかしいことに」
「え……?」
レオが右のこめかみをグリグリと擦る。
「でも……嬉しそうにしている愛莉をみたら、言えなかった。ここで列を抜けて帰ろうなんて、言えなかったんだ。わかってたのに、気づいてたのに……」
レオは悔しそうに唇を噛んだ。
(そっか。だから、あの時あんなふうに言ったんだ)
『まさか、その苦労があんな形で水の泡になるなんて思ってもみなかったけどね』
あれは、きっと私に対してではなく、自分に対して言ってたんだ。玲音くんはずっと後悔していたのかもしれない。私が、そうだったように。
やっぱり、彼は優しい。今も、昔も。




