第二章~Chapter 2~千風万化
「クソっ! 何で分からないんだよ!」
佐々神はそう叫んだが、男――風雅聖樹の表情が変わることはなかった。
しかし、佐々神の言葉はしっかりと届いていた。聖樹はそれ聞いた上でEARTHの指示に従った。
聖樹は悔しかったのだ。今まで自分を騙し続けてきたことを初めて会った高校生に諭されたことが。だから彼は決心した。佐々神をEARTHに引き渡すと。EARTHは本当に正しいのか。それを見極めるのは今しかない。
彼はもし、佐々神の言うことが正しければ、全責任を取るつもりでいる。佐々神の安全を保証した上で罪を償う。靴を舐めろと言われれば舐めるし、もちろん死ねと言われれば死ぬつもりである。それが今まで犯し続けてきた罪を唯一償う方法だ。
だがそれ以上に、今更止めることは出来なかった。彼は一〇年間EARTHを信じ続け、従ってきた。どんな正論で固められ、どんなにそれが素晴らしくても彼はそれを今更止めることは出来なかった。
すべてが遅すぎたのだ。
だから――彼も信念をぶつける。目の前にいるまっすぐな少年のように。
「今更やめられるわけないだろ! 俺はEARTHのために何人の人間を殺してきたと思ってるんだ!」
そして彼は少年に全力でぶつかる。相手がどんなに格下だろうとも。それが戦いであり、殺戮しかしたことのない彼が初めて経験したことである。
「食らえ。操龍!」
彼が生み出した二つの風はうねりを上げ、少年へと向かっていった。
しかしその風は一瞬にして消えてしまった。
まただ。彼は三回も聖樹の風を消滅させた。一回目は様子がおかしくなったとき。二回目からはまともなときだ。
もしかしたら彼は今もなお成長し続けているのかもしれない。一回目はまぐれだったかもしれないが、二回目からは意志があったように思える。もし、そうなのだとしたら――
「恐ろしいガキだ」
聖樹は強く地面を蹴り、少年の顔面へと拳を突き出す。ゴツ、という鈍い音がすると、拳に痛みが広がった。
人を殴ったのは何年ぶりだろう。聖樹はふと思い返した。
しかし彼の手は止まることはなかった。立ち上がろうとする少年を何度も蹴り飛ばし、何度も拳を叩きつけた。
「お前に何が分かるんだ! お前に……お前に!」
本来武術というのはこういうものだったことを思い出した。相手を殴り、拳を痛めることで互いの痛みを知る。相手の痛みを知るから相手の考えを理解し、相手に痛みを与えるからこちらの考えを理解させる。聖樹はいつしか武術の誇りを忘れていた。
ある意味ではこの少年、佐々神亮平は恩人なのかもしれない。最後の最期に忘れてしまっていたものを全部気づかせてくれた。
そして、聖樹の拳は止まった。いや、止められた。ボロボロになりながら立ち上がる少年の右手に。
「テメェのことなんか知るか! お前は救われろ。これは交渉でもなんでもねぇ。命令だ!」
少年はどこまでも身勝手だった。でっかい鎌で殺されそうになったと思ったら生かされて、そんでもって手を引けとか言い出して、仲間を呼んだと思ったら今度は仲間に手を引かせ、最後には救われろとか命令する始末だ。やっぱり、さっきのは間違いだったのかもしれない。どうやら相手は何も理解してくれていないようだ。あいつは恩人ではなく敵だ。互いのことを何にも理解していなくても戦うだけで互いが成長する。そんなような敵だ。
「後悔してからじゃ遅いんだよ! 少しは今までやってきたことに罪悪感感じてんだろ? なら今しかねぇだろ!」
何故少年はそこまでして聖樹にこだわるのだろうか。彼らはたった一〇分ほど前に会ったばかりのはずだ。
しかし聖樹は何も言わない。いや、言えない。聖樹には少年の言葉が重すぎるのだ。
「テメェは一年後か一〇年後か知らねぇが必ず後悔する。ああ、ああしとけばよかったって。人生ってそんなもんだろ? せめて、一〇年でいいから戻りたいって後悔する。だったら……」
少年はそう言って言葉を切る。そして、
「だったら! “今”やり直してみろよ、テメェの“未来”を!」
聖樹の瞳には涙があふれていた。怒りや悲しみやうれしさや悔しさが。すべてぐちゃぐちゃに混ざってあふれ出ていた。
やはり、少年の言葉は重たすぎたのだ。幼い頃から闇を歩き続けてきた彼にとって、少年の言葉はとても苦しくて重くて――格好がよかった。
ちくしょう。
「ちくしょう! いちいち癇に障るんだよクソガキがぁぁあ!」
聖樹は叫んだ。瞳いっぱいの水分を飛ばすように。
「消えろぉぉお! 千風万化ぁ!」
漢字を略語とした彼の技は文字通りだ。“千の風”を“一万通りに変化させる”。それが聖樹に残された最後の技だ。
しかしそれを出したときには彼の意識は深いところへ墜ちていた。




