第97話 すべてを包みこみし風
前回の場面の続きです。
◇
レゼルは主戦場から距離をおいて、騎士団員たちの戦いぶりを俯瞰していた。
――そろそろ頃合い……!
騎士団員たちの活躍により、シャレイドラ軍の威勢はくじかれた。
今が敵の戦意を喪失させる好機と踏んだレゼルは、エウロに指示をだし、一気に上空高くにまで舞いあがる。
レゼルたちはまたたく間にエミントスの上空にまで到達すると、空に『共鳴音』をかき鳴らした。
彼女たちを取りまくように、激しい風の渦が巻きおこる!
そして、猛風はそのままエミントスの市街地へと吹きそそがれていった。
『季節風』
大風量の風を、広範囲に吹きおこす技。
レゼルがすでに実戦で見せたことのある龍の御技のなかでは、『暴風』がもっとも近い技であろう。
しかし、『暴風』が広範囲におよぶ技でありながらにして敵軍を壊滅せんと暴力的に押しせまる鋭さをもつのに対し、この『季節風』は善悪を超越し、生に苦しむ人間を分け隔てなく包みこむような寛容さを兼ねそなえていた。
まさしく、季節の変わり目に世界をまたぐように吹き、新たな季節の訪れを知らせる風のように。
レゼルが吹きおこした風は壮大な規模を感じさせるいっぽうで、細部に行きわたるまで緻密に制御されていた。
『季節風』は敵の軍勢の翼は煽りあげ、剣を振りあげることすらままならなくさせている。
対して、味方の軍勢にはその勢いを後押しするような追い風となった。
もちろん、罪なき街の人びとを傷つけることなどあるはずもなく。
レゼルが生みだす風の奇跡は、彼女自身が手をくださずとも戦の勝敗を左右する域にまで到達していた。
市街地の建物がつくる複雑な地形も、今の彼女は造作もなく掌握し、思いのままに風を操っている。
ただでさえ劣勢に立たされていたシャレイドラの軍は、さらなる戦況の悪化により、撤退を余儀なくされた。
帰還の指令がくだり、敵軍は小部隊ごとに撤退を始めている。
さすがはレゼル。
敵兵がなすすべなく逃げていくさまを眺め、俺はすっかり気を抜いてしまっていた――。
「ッ!!」
俺の背後で、物陰に隠れて敵兵のひとりとその龍が伏せていた。
敵兵は撤退していく軍勢に紛れ、せめて一矢報いようと俺に襲いかかってきた!
あたりの喧騒と巻きあがる戦塵とで、うまく気配が覆い隠されてしまっていたのだ。
俺とヒュードはとっさに回避行動を起こしたが、かわせるかどうか際どい……!
瞬時に背筋が凍りつき、敵が突きつける刃の動きがゆっくりとなって見えた。
死の間際に研ぎすまされた感覚が生みだす錯覚。
戦場に身を置くことを選んだ以上、いつでも最期の瞬間が訪れうることはわかっていた。
俺は身をよじりながらも、死を覚悟する。
だが、しかし――
「なに!?」
俺のすぐ眼の前を、青白いなにかが高速で通りすぎていった!
青白いなにかは風を切る音だけを残して右から左へと過ぎさっていったようだ。
敵兵の剣を持っていたほうの手首と、乗っていた龍の首とが、鋭利な切断面を覗かせてポロリと落ちた。
手首を斬りおとされた敵兵は手首の切断面を押さえながら悲鳴をあげ、仲間の兵士に連れられて去っていく。
……どうやら俺は間一髪で何者かに救われたらしい。
レゼルやシュフェル、騎士団員の誰かの技ではない。
俺はすでに視線を、飛びさっていった青白い飛来物の行く先へと向けていた。
青白い飛来物は静かに、だがめまぐるしい速度で回転していたようだった。
円盤……いや、三日月状の刃?
刃と思しきものは、その軌道上にある物体を斬って進みながら、建物の屋上に立っていた者の手もとに納まっていく。
道端に置いてあった石材などが斬られていったのだが、ほんとうにすさまじい斬れ味だ。
ゴツい石材が、まるで紙かなにかのようにスパスパと斬られてしまっていた。
「大丈夫ですか、グレイスさん!
……あの方は?」
俺の危機を察知して、レゼルとエウロが上空から戻ってきてくれていたようだ。
彼女は俺の隣に降りたつと、ともに投げはなたれた刃の持ち主のほうを見やった。
三日月状の刃は、同じように青白く光る正円形の円盤に重なるようにして納まった。
円盤の大きさは大きめの片手盾と変わらないほどの大きさであったが、所有者を中心としてゆっくり周回するように浮かんでいる。
そのさまは、まさしく宙に浮かぶ小さな満月のよう。
月夜のように深く蒼い髪と瞳に、はかなく物憂げな表情。
年の頃はレゼルと同じか、少し上くらいだろう。
月の世界の住人のような彼のことを、恐らく俺は知っている。
……話で聞いたことがあった。
ヴュスターデの正統な王位継承者である彼は『月明かりの王子』と呼ばれ、青年でありながらにしてエミントスの軍を統率している傑物であると。
たしか、彼の名前は――。
彼は半分起きているような、半分眠っているような。
どこか浮世ばなれした声で、俺たちに呼びかけた。
「僕の名前はルナクス。
あなたたちと話がしたい」
※片手盾 (バックラー):現実世界では古代から中世・ルネサンス期まで広く使用された西洋の盾です。
直径約45cmの円形で、前面はドーム状の膨らみ、あるいは中央に金属球が嵌めこまれ、後面中央に持ち手があります。
英語表記ではラウンドシールド(round shield)となります。
次回投稿は2022/12/14の19時に予約投稿の予定です。何とぞよろしくお願いいたします。




