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第86話 波紋


 今回より第三部『砂上の双宮』編、開幕です!


 ――『波紋(はもん)』。


 ファルウルを出立(しゅったつ)する準備を整えるための数日間。

 俺がネイジュを連れてきたことが騎士団におよぼした影響は、まさしくそう呼ぶにふさわしいものであった。


 ファルウルでの戦いにおいて、敵の幹部ともいえる彼女を連れてきたことが物議(ぶつぎ)をかもしたのは言うまでもない。

 しかし、ほんとうの問題は彼女のその後の振るまいである。


 麗水(れいすい)の国の清らかな水の流れと、豊富な自然の緑が生みだす爽やかな朝の空気。

 空気を胸いっぱいに吸いこむだけでも清々しい気分になり、癒しの粒子(マイナスイオン)なるものでも空中にあふれているのではないかと疑いたくなるほど。


 ……しかし、そんな朝の爽やかさなどぶち壊すかのように、彼女は常に俺にべったりである。


 基本的に、常に俺の肩に腕をまわしていっしょに行動。

 周囲の視線を気にして俺が離れるように言っても、やはり恥ずかしまぎれと受けとめてしまうのか、「んふふ♡」と余計うれしそうに寄りそってくる。

 とても幸せそうにしているし、一度優しくしてしまった手前、今ひとつこちらも強く言えない。


 ……そして、抱きつかれているといやでも目につく胸の谷間。

 どう見ても着物の布面積が足りていない。

 うかうかと見おろすこともできず、非常に目のやり場に困るのである。


 ルトレストのそばに設営した宿営地でのこと。

 龍でどこかに移動するときに別々の龍に乗るように言っても、


「いやでありんすー、いやでありんすー!

 あちきは主様(ぬしさま)一蓮托生(いちれんたくしょう)、一生を添いとげるって決めたの!

 いっしょじゃなきゃこの場で腹を切って死んでやるー!!」


 そう泣きわめいて、むりやりヒュードの背中に乗りこみ、俺の後ろに座ろうとする。

 冷徹な氷の美少女然としてたあのころのお前はどこに行っちまったんだよ……!


 そこでほかの騎士団員が気をつかって、赤色の可愛らしい布装飾(ぬのそうしょく)をほどこした龍鞍(りゅうくら)を持ってきてくれた。


「あちきは赤の系統色よりもうすい青がいいから、別のを持ってきてくれなんし。

 差し色程度につかうなら、良いでありんすけどね!」


 おまけにけっこうワガママである。


 このように、ネイジュのやりたい放題にみんな振りまわされ、ほとほと困ってしまったのである。

 見かねた騎士団員のひとりが、遠巻きに見ていたレゼルに相談をもちかけた。


「レゼルさまぁ。

 あの雪娘、なんとかしてくださいよぉ」

「……えっ!?

 べべべ、別にいいんじゃないですかっ?

 私はぜんぜん気にしてませんよ?

 とっ、とっ、当人たちのどうぞお好きなように!」

「いや、そういう問題じゃなくて。

 あんなに堂々とイチャつかれたら、みんな気になって訓練になりませんよ。

 隊の風紀(ふうき)も乱れます」


 基本的にカレドラル出身の兵士たちは真面目で硬派な気質なので、やはり公衆の面前で男女がベタベタしていると気になってしまうらしい。

 レゼルはなにかを決意したように、深くうなずいた。


「そ、そうですよね。

 やはりここは、私がしっかり彼女に言いわたさなければ……!」


 そう言うと、彼女は両のこぶしをにぎりしめて、ネイジュのほうへと歩みよっていった。



「ネ、ネイジュさんっ!」

「ん? なんでありんすか?」


 レゼルの呼びかけに対し、ネイジュは俺の腕に手をまわしたまま振りむく。

 ネイジュはいたって自然体だが、レゼルはかなり緊張した面持(おもも)ちだ。


「みんなの前で、グレイスさんに付きまとうのはやめてください!」

「なんで?」

「な、なんでって、その……」


 ネイジュは俺の腕にまわしていた手をふりほどき、レゼルのほうへと近づいていく。

 彼女はまるであどけない子どものように、曇りなくきらめく氷の瞳をまっすぐにレゼルへと向けていた。


「どうして想いを寄せる殿方(とのがた)のそばにいては駄目なの? なんで?」

「んぐっ」


 ネイジュが胸を張って詰めよると、その迫力にレゼルは気圧(けお)されてしまう。

 しかし、レゼルはたじろぎながらも必死に踏みとどまった。


「しっ、しかし、やはり婚前(こんぜん)の男女が堂々と身を寄せあっているのはいかがなものかと――」

「そんなの自分たちも周りの人たちも気にしなきゃいいじゃない。

 レゼ殿は、どうしてそんなに嫌だと思うでありんすか?」


 その場に踏みとどまろうとするレゼルに対し、ネイジュはどんどん押しせまっていく。

 身長はレゼルのほうが高いのだが、彼女はネイジュの強気な姿勢に押され、のけぞっている。


「そそそ、それは騎士団の首領として、隊の風紀を守るのは当然の行いで――」

「そんなこと聞いてるんじゃないの。

 あちきはレゼ殿が、主様のことをどう思っているのか聞きたいの」


 さらに、ネイジュがグイッと一歩踏みこむ。

 レゼルは頬を赤く染め、モジモジしながら答えた。


「グっ、グっ、グレイスさんは騎士団の案内人として私にとっても重要な客人で……」

「ほんとう?

 ほんとうにレゼ殿にとって主様はそれだけの人なの?」

「それだけの人だなんて、そんな……」

「レゼ殿にとって主様がただの案内人なんだとしたら」


 レゼルはなにか言いかえそうとしていたが、反論することは許されない。

 それほどまでに威圧的、かつ――


「あちきが主様を」

「あのっ!」


 暴力的に迫りくる――


「奪っちまうでありんすよ?」

「ちょっ!!」


 胸。


「どうもすみませんでした……」


 レゼル、敗北。

 彼女はネイジュの胸の圧力に屈服(くっぷく)して、しくしくと泣いている。

 なんだかちょっと可哀想になってきた。


 ……実は、レゼルはスラリとした体格をしているので誤解されがちなのだが、からだが貧相というわけではない。

 むしろ彼女のそれは、『隠れ巨乳』と評してもよいほどのシロモノをお持ちである。


 戦闘中は胸に(さらし)を巻いて振動を抑え、体幹部のブレを極力抑えているのだが、彼女もじゅうぶんに胸を張ってよいほどのものなのである。

 (どうして俺がそこまで知っているのかは秘密だ。ちなみにシュフェルも小柄だが幼児体型ではない)


 だが、なにしろ相手が悪すぎる。

 あまり他人の容姿に頓着(とんちゃく)しないレゼルでさえもねじ伏せるほどの破壊力。

 ネイジュの胸はそれほどまでに主張が強く、あまりにも暴力的すぎた。

 その存在感は、男でなくともたじろいでしまうほどだ。


「うぅ~!!」

「がるるる……!」


 騒ぎを聞きつけて、シュフェルもやってきた。

 ネイジュとシュフェルはというと、しばしばこうしてにらみあっては(うな)っている。


 狐 対 虎。

 イヌ科とネコ科どうし相性が悪いのだろう。



 ……そのとき、突如として俺たちの頭上を影が覆った。

 龍に乗った何者かが、襲来(しゅうらい)したようだ――。




 平和な(?)日常に突如襲来した者とはいったい……。

 次回につづく!


 次回投稿は2022/10/31の19時に予約投稿の予定です。何とぞよろしくお願いいたします!

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