第313話 安らかなる夜
前回の場面の続きです。
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式典は主だった内容は終わり、会食が始まった。
お酒も入り、堅苦しい雰囲気も徐々にほぐれ、くだけた雰囲気になってきた。
式典場はそのまま舞踏会場へと変わり、余興のダンスも始まった。
管弦楽団が宮廷音楽を奏で、その調べに合わせて男女が組になって踊るのだ。
会場が優雅な音楽に包まれ、皆がダンスに興じている。
しかし、ヨシュアは柱に身をもたせかけ、ひとりつまらなそうに腕を組んでいた。
「……フン、くだらん」
そう言って身を翻し、彼が帰ろうとした、そのときであった。
彼の前に立ち、手をさし伸べる者がいた。
「私のダンスのお相手を、していただけませんでしょうか?」
ヨシュアに手をさし伸べたのは、レヴィ。
普段、戦場では化粧っ気のない彼女だが、今は第一王女にふさわしく着飾っていた。
血筋が透けて浮かぶほどにきめ細やかな肌は、より白く映え。
ぷっくりと蕾のように膨らむ彼女の口唇は、紅を塗られて艶やかにうるおう。
そして恋にうるむ瞳は、ゆらめく虹色をよりいっそう煌めかせていた。
今の彼女はこの世のものとも思えぬ美しさで、ヨシュアと並び立っても見劣りしないほどであった。
にぎわう舞踏場で、皆が優雅にダンスに興じるなか。
ヨシュアは彼女としばし目を見つめあわせていたが、やがて顔を背けた。
「私はダンスを踊ったことなど、ない」
「それなら、私が教えてさしあげますわ!」
「ムッ……」
レヴィはヨシュアの腕をグイ、と引っぱった。
普段の控えめな彼女らしからぬ、なかば強引とも思われる所作。
美しい化粧と衣服が、彼女を大胆にさせていたのかもしれない。
ちからで負けるはずのないヨシュアが、彼女に引きずられて舞踏場の中央へと進んでいく。
今は、楽団がゆったりとした三拍子の音楽を奏でているところだ。
「さぁ、踊りましょう」
「ム……」
王家のたしなみとして、レヴィはダンスも幼いころから習っており、その腕はかなりのものである。
彼女はお手本となるようにヨシュアの手を引き、ステップを踏んでいく。
ヨシュアも、最初はどう動けばよいのかわからずにいた。
しかし、レヴィや周囲の人々の動きを一度見ただけで自分のものにし、よりいっそう洗練されたダンスへと昇華させていく。
「すごいすごい!
ひと目見ただけで、どんどんできるようになっていく!」
またたく間に上手になっていくヨシュアに、レヴィも喜びながら舞い、ステップを刻んだ。
高まる彼女の気持ちを反映しているかのように、音楽のテンポも早く、情熱的な曲調へとなっていく。
……ふたりが舞踏場で一番の組になるのに、然して時間はかからなかった。
ヨシュアとレヴィに、皆の視線が集まっていく。
とある貴族の男女が動きをとめ、ヨシュアとレヴィのダンスに見惚れていた。
彼らはその美しさに思わずため息をつき、つぶやいた。
「あぁ、きれいだな……」
「ホント。
素敵すぎて、うらやむ気持ちも起こらないくらい」
皆の視線が注がれる、その先に。
ヨシュアとレヴィは手をつなぎあい、音に合わせてふたりの時を刻んでいた。
夜も更け、式典の余興も終わりへとさしかかっていた。
ちらほらと帰る人々も見られるようになり、すっかり酔っぱらって大声で騒いでいる人たちもいる。
ヨシュアとレヴィはバルコニーから外にでて、夜風にあたっていた。
バルコニーにはヨシュアたちのほかには誰もおらず、室内から漏れる明かりだけが彼らを照らしだしていた。
レヴィは手すりにもたれかかりながら、夜の闇を眺めている。
彼女も少し、酔っているようだった。
やがて、彼女は誰に話しかけるでもなく、ひとり言のようにつぶやきはじめた。
お酒のせいか、やや呂律がまわっていない。
「フフフ、久しぶりに思いきり踊って楽しかった。
毎日毎日剣を振りまわしてばかり……。
こんな日々、早く終わればいいのにね」
そんな風につぶやく彼女の背中を、ヨシュアは静かに見守っていた。
「……レヴィは、戦いよりダンスが好きなのか?」
「ええ、実は。
戦場を駆けまわるのよりは、ずっと好きです。
でも、戦わないわけにはいきません。
今日もこの大陸のどこかで、戦いが巻きおこっている……」
レヴィは目の前に広がる闇へと訴えかけた。
しかし、闇は彼女になにも答えてはくれない。
「帝国との戦いに負けていたら、今晩こうして楽しく過ごすことはできなかった。
それどころか、みんな苦しめられて殺されていたことでしょう。
いつ滅ぼされても不思議でなかったこの国が、大陸の覇を争う国へと変貌を遂げた……」
レヴィは振りかえった。
室内から漏れる光が、彼女のうるむ虹色の瞳を照らしだす。今は、切なくなるほどの恋慕をその瞳に秘めて。
「あなたに出会ってから、すべてが変わったの。
突然目の前に現れて、死と絶望の淵に立たされていた私を、幸福な日々へと連れもどしてくれた。
……あなたはいったい、何者なの?」
レヴィからの問いかけに対し、ヨシュアは彼女の背後に広がる闇を見つめながら答えた。
「私は何者でもない。
私はただの……闇だ」
……思いがけず人間に手を貸し、歴史を変えてしまった。
すべてはまやかしであり、茫漠と広がる闇と同じ、虚無にすぎないと言うのに。
自身の本質を見つめて、彼はなにを思っていたのだろうか……。
だが、そんなヨシュアのことを見つめる少女のまなざしは、よりいっそう切なく彼へと訴えかけていた。
彼女が胸に秘める、焦がれるほどの想いを。
「何者でなくなんてない!
あなたは……。
あなたは私にとっての……!!」
――すべて。
その夜、ふたりはひとつとなった。
レヴィの自室で、ヨシュアと彼女は身を重ねあわせる。
レヴィはそのしなやかなからだをよじり、熱い吐息を漏らした。
ヨシュアの腕に抱かれながら、レヴィは喜びの涙を流す。
そうして彼女は、彼へと告げた。
「いつかこの国はグライツィアを統一し、新たな国へと生まれかわるでしょう。
そのときこの国は、私たちの子となるの。
私とあなたの出会いが紡いだ、歴史の道しるべ」
……龍神たるヨシュアは知っていた。
神と人が交わっても、子をなすことはないことを。
だが図らずも、この営みによってレヴィはその身に神性を宿していたことに、彼らは気づいていない。
安らかなる夜が、過ぎていく――。
次回投稿は明日の19時に予約投稿の予定です。余裕があれば少し早めに手動投稿します。何とぞよろしくお願いいたします。




