第303話 その英雄の名はヨシュア
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夜明けを待たずして、デスアシュテルはファルン王国の王女レヴァスキュリテとともに小屋を発つこととなった。
月夜のわずかな明かりを頼りに、彼女を追撃してきた男たちの馬に乗って。
彼女が乗ってきた馬は小屋にたどり着くまでのあいだに足の骨が折れ、ちから尽きてしまったとのことだった。
馬に乗って並び走りながら、彼女はデスアシュテルに話しかけてきた。
「あらためまして、私の名前はレヴァスキュリテと申します。
これからはどうぞ、レヴィと呼んでください。皆もそう呼んでいます」
デスアシュテルはそっぽを向いたまま黙っているが、レヴィは構わずに話しつづけた。
オパールのような虹色のゆらめきをもつ瞳が、彼の横顔を見つめている。
「先ほどの戦いぶり。
武神のごとき猛々しさに、洗練された美しさを兼ねそなえておりました。
さぞご高名な方とお見受けしましたが、名を教えていただけませんか?」
レヴィは王女という高貴な身分であるにも関わらず、素性も知れぬ彼に惜しみなき敬意を表していた。
名を問われたデスアシュテルは、ようやく重い口をひらく。
「私の名は――」
――光の龍神たちに狙われている。――
「ヨシュアだ。姓はない」
「……?」
多くは語ろうとしない『ヨシュア』の様子に、レヴィは不思議そうに首をかしげた。
と、そのときであった。
「はっ!」
レヴィは暗がりへとじっと目を向けている。
彼女は夜の森のなかに、敵兵たちが潜む気配を感じとっていたのだ。
「将である私を追いかけ、この山は敵の部隊にとり囲まれています。
森の暗がりのなかにも、多数の兵を潜ませているようですね……!」
――デスアシュテルが紛れこんだのは、王国ファルンの辺境であった。
群雄割拠の大陸『グライツィア』において一介の小国にすぎないファルンはまさしく今、隣国からの侵攻を受けており、国家存亡の危機に立たされていたのである。
レヴィは王女の身でありながら将として兵を率い、最前線で国家防衛のために戦っていた。
だが奮戦もむなしく、防衛軍は敗北。
彼女の隊も壊滅し、命からがらこの山に逃げのびたというわけである。
……よくよく見れば、レヴィのからだは全身傷だらけであった。
「私が討ちとられれば、もうこの国に防衛するちからは残されていません。敵国も必死でしょう。
たったふたりでこの包囲を突破することは容易なことではなく、ともに命を落とすことになるかもしれません。
それでもほんとうに、私に付いてきてくださるのですか?」
……それはほんとうに、気まぐれにすぎなかった。
ヨシュアにとってなんの益もあろうはずがなく、なぜレヴィのあとに付いていくことにしたのか、彼自身もわからなかった。
しかし、その彼の気まぐれが、世界の歴史に大きな影響を及ぼすこととなるのであった。
「……ふん。この程度の包囲、足どめにすらならん。私の気が変わらんうちに、城まで帰ることだな」
「心強い限りです」
馬の腹を蹴り、駆けさせる。
そうしてふたりは、闇夜の森へと飛びこんでいったのであった。
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