第272話 憂いなき門出
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明くる朝。
神聖軍事帝国ヴァレングライヒの首都、エルパレスガーナ。
その近傍にある大草原。
普段であれば、三百六十度どの方位を見渡しても地平線が続くほどに広大。
アリスラ平原とよばれる、世界最大の面積を誇る草原である。
しかし今はその蒼き草原が、武装した騎士と龍の隊列で埋めつくされていた。
黒色を主体とした甲冑には、帝国の象徴である『銀の鷹』が刻まれている。
世界最強の軍隊である帝国軍。
今、帝国軍の全戦力が一箇所に集結しようとしていた。
その数、八十万騎。
この十年間で帝国の国力はいや増しており、その総力は第一次大規模侵攻時の規模をはるかに凌ぐ。
つまり今、世界の歴史上で最大規模の軍勢が動きだそうとしていたのだ。
帝国軍はそれだけの数の人員を動かし、わずか数日のうちに出兵の準備を整えてみせていた。
世界をたいらげるちからが動きだそうとしているのを、見おろすように空に浮かぶのは『天翼の浮遊城』。
なんとも美しく、壮大な光景。
しかしその両翼を大きく広げるさまはまるで、大衆を煽動して戦いへと仕向ける権勢者の姿のようでもあった。
厳めしい雰囲気をただよわせる帝国軍の兵士たち。
しかしその内心は、歴史的大事業の当事者になるという高揚感に満たされている。
人と龍、武具や食糧をたっぷりと積んだ宙籠が行きかい、それぞれ所定の位置に着こうとしている。
そして皆の準備が整い、あとは進軍の号令があがるのを待つばかりとなったころ。
一騎の龍騎士が、大軍勢の頭上へと舞いあがった。
大地を思わせる深い土色の髪。
肉体が澄んだ結晶体で構築された龍に乗っている。
――帝国五帝将、『地烈』シュバイツァー。
帝国皇帝が国家の象徴なら、彼は帝国軍の象徴である。
八十万騎の人と龍の視線が、彼と『晶龍』の姿へと注がれていた。
「国家に忠誠を尽くす帝国兵たちよ、よくぞこの歴史的大遠征に集った。
それだけでお前たちの功績は、未来永劫語りつがれるものになることが確約されたと言えるだろう!」
「おぉ……!」
「なんと、身に余るお言葉……!!」
「うううぅ……!」
シュバイツァーはすべての帝国兵に言葉が届くよう、上空を飛びながら叫んでまわった。
そのちから強く、芯のある声は広大な平原の隅々にまで行きとどく。
国民的英雄からの激励と称賛の言葉に、なかには涙を流して喜ぶ兵士までいた。
「我ら神聖軍事帝国はその教義上、『闇の龍神』の復活を信じるものである。
つまり、我らが真に忠誠を尽くすのは神であるべきだと言えるだろう」
帝国皇帝の正体が『闇の龍神』であることは公にされておらず、その事実を知るのは五帝将と、レゼルたち騎士団幹部のごくひとにぎりだけである。
「……だが、信じていい!
我らが皇帝陛下は神の域に達するほどに崇高な御方だ!!
皇帝陛下に永遠の忠誠を誓い、ヴァレングライヒの絶対なる繁栄のために、その身を捧げよ!!」
「「おおおぉーーっ!!!」」
シュバイツァーがもつ、英雄性。
彼の叫びは兵士たちの魂をまたたく間に燃えあがらせ、その士気は最高潮に達した。
八十万騎もの勇猛な兵士たちがあげる雄叫びは大地を震わせ、空を揺るがした。
「出撃だ!!」
シュバイツァーは最直近の国であるルペリオントの方角へ剣を向け、号令をかけた。
ルペリオントが無抵抗での降伏を決断していることは、内々の外交情報で明らかとなっている。
ルペリオントに限らず、帝国の大軍勢を見て無抵抗降伏を決めこむ国は少なくないだろう。
うまくいけば、いっさいの血を流すことなく目標を達成できるかもしれない。
なんの憂いもない、門出。
今や帝国軍に立ちむかえる者など、誰ひとりとしていないはずであった。
だが、しかし……!
「ちっ、馬鹿野郎どもが……!」
わずか、百騎。
八十万騎の大軍勢を前にして、翼竜騎士団わずか百騎が、堂々たる姿で立ちはだかっていたのである!
腕を組んでたたずんでいたブラウジは、隣にいたアレスに話しかけた。
広き草原を駆ける風が、彼らを勇気づけるように吹きぬけていく。
「ものすごい眺めじゃのう。
敵の数が多すぎて、逆に実感がわかぬほどじゃ。
のぅ、アレス?」
対して、アレスはいつもの調子でカラカラと笑った。
「はっはっは。
かえって気持ちよくぶつかれるというものです、ブラウジ殿。
それに、皆の気迫はじゅうぶんのようですな」
いまだかつて見たことのない大軍勢を前にして、騎士団員のなかに物怖じしている者は誰ひとりとしていなかった。
それどころか皆、威風堂々と胸を張っている。
……命を投げうつ覚悟など、とうにできていた。
敵が強大であれば、強大であるほど。
戦場に輝く、誇り高く崇高なる精神。
「シュバイツァー……!」
シュフェルは敵の軍勢の上空に浮かぶシュバイツァーの姿を捉えていた。
暴れだしそうになる闘志を、必死に小さなからだに押さえつける。
いっぽう、シュバイツァーもまた、騎士団員たちの堂々たる姿を見おろしていた。
――お前らは死に場所を、この戦場に求めようってんだな……!
良い覚悟だ! 望みどおり決着をつけてやる!!
「『黒夢の騎士団』! 前にでろ!
てめぇらの落とし前は、てめぇらできっちり着けろや!!」
シュバイツァーは再び剣を振りあげ、『黒夢の騎士団』へと指示をだした。
すかさず、漆黒の鎧をまとった黒騎士たちが、騎士団員たちの前に現れた!
騎士団員たちの前に三度立ちはだかる帝国軍随一の精鋭部隊。
さらにその背後には八十万騎もの軍勢と、シュバイツァーも控えている。
「行け、『黒夢の騎士団』!
偉大なる第二次大規模侵攻の初戦を、そいつらの血をもって盛大に飾れ!!」
シュバイツァーの号令とともに、龍に乗った黒騎士たちが駆けだした。
猛烈な勢いで、騎士団へと突進してくる!
アレスは槍を構え、仲間へと声をかけた。
「サキナ殿、ティラン!
我らは運命共同体だ。ともに、行こう!」
「もちろんよ……!」
「ウン、行こう!!」
ブラウジも、戦斧を振りあげた。
「ワシらも行くぞ、重装龍兵五人衆!」
「「ハイホー!!」」
そうして、翼龍騎士団と『黒夢の騎士団』は激突した。
――アリスラ平原の戦い、開幕。
今回の場面は次回に続きます。
次回投稿は明日の19時に予約投稿の予定です。余裕があれば少し早めに手動投稿します。何とぞよろしくお願いいたします!




