第269話 神になれなかった少女
前回の場面の続きです。
◇
彼女と手をつないだ瞬間から、俺はとある死者の人生を追体験していた。
その人生は死の瞬間を迎えるのと同時に刹那の時間へと圧縮され、痛みの記憶として精神に刻みこまれていく。
「うああああああああっ!!」
たちまち身体がねじれ、砕け、はじけ飛んだ。
間断なく押しよせる死の痛みは、耐えがたいほどの激痛。
積みあげてきたものが無になる悔しさが、残していく者たちへの未練が、心の痛みとなって悲鳴をあげる。
そしてそれらの苦しみは決して途絶えることはなく、次々と新たな痛みが現れては、延々と続いていく。
レゼルは、これほどの苦しみに耐えつづけていたというのか……!!
――かつて、エルマさんはこう言っていた。
「人間は数千年分の記憶を抱えるとその重みに潰れ、精神が崩壊する」と。
ひとりあたりの生はせいぜい数十年。
だが、数千人分の生と死の痛みの記憶は数千年をゆうに超える。
無限とも思える責め苦。
死の痛みと、記憶の重みによって、魂が押しつぶされていく。
これが、俺たちが背負った『業』と『因果』の重さ……。
……いったい、どれほどの時間が経過したのだろうか。
あまりに長く苦しみが続きすぎて、俺はもう、上も下も、右も左もわからなくなっていた。
俺という存在の枠組みは曖昧となり、今にも消えてなくなってしまいそうだった。
霧散し、虚無の世界へ彷徨いゆこうとする俺の魂をつなぎとめていたのは、ただひとつ。
すぐ隣に感じる、レゼルの魂の存在だった。
最初に手をつないだとき以来、彼女の姿は見えなくなっていた。
彼女に話しかけることもできない。
ただ、たしかにそこにいることだけは感じる。
死の痛みと記憶の重みに潰されそうになるなか、俺は、ただ……。
ただ、彼女の手をにぎりしめつづけた。
そして――。
「「はっ!?」」
気がついたとき、俺とレゼルは『陽炎の神殿』にいた。
俺たちは……試練を乗りこえたのか……!?
「はぁっ! はぁっ! はぁっ!」
「はっ、はっ、はっ……」
俺は彼女を抱きかかえたまま、互いに顔を見つめあっていた。
……どうやら俺も、精神の苦しみに耐えきれず、自分で自分の身を傷つけてしまっていたらしい。
俺も彼女も、全身傷だらけで血まみれになっていた。
汗も、血も、涙も。
俺と彼女はすべてが一緒くたになって、互いの境界なんてなくなってしまっていた。
……やがて、彼女の目からさらにたくさんの涙があふれだした。
そんな彼女を見て、俺も涙をとめることはできなかった。
「ごめんなさいごめんなさいグレイスさん。
私やっぱり、弱いから……!
弱くて痛みに耐えきれないから……!
ひとりじゃ神にはなれなかった……!!」
「大丈夫だよ、レゼル。
俺たちは人間だから人の痛みを理解できる。
人間だから互いに助けあえる。
どこまでも人間らしい君のことが、どうしようもないくらいに好きだよ」
そうして俺は震える彼女のことを強く、強く抱きしめた。
かけがえがないほどに大事な、彼女のことを。
試練を乗りこえたグレイスとレゼルのやり取りを、ゼトレルミエルは見つめ、思考をめぐらせていた。
――未熟。
創世の神となるにはあまりにも未熟。
……だが、人間どうし想いを重ねることで、乗りこえられぬはずの苦難を乗りこえてみせた。
それもまた、新たなる世界の担い手の在りかたか……。
ゼトレルミエルは、その光りかがやく両翼をひらいた!!
『よかろう!
人の子レゼルよ、其方に我がちからを授けん!!』
「! ほんとうか!?」
「それでは……!」
俺とレゼルは、ついにゼトレルミエルに認められたのだ!
……だが、ちからを授けるって、いったいどうやって?
ゼトレルミエルはすでに、闇の龍神との戦いで寿命の大半を失っていたはずだった。
レゼルに授けるちからなど、残っているのだろうか?
『我の命はまさしく今、尽きようとしているところだ。
我が命が尽きた瞬間、自らの魂と亡骸をちからの結晶とし、『剣』と化す。
其方に剣を使いこなすことができれば、我が生前のちからをひきだすことができよう』
「『剣』って……。
リーゼリオンやブレンガルドみたいに、『神剣』になるってことか?」
「いえ、それよりも今、もうお命が尽きますと……!」
『左様。
いずれにせよ、我が命は尽きるところだったのだ。ともに戦うことはできぬ。
だが、我がちからを抽出し、リーゼリオンと組みあわせれば、デスアシュテルにも対抗しうる武器となるだろう』
「対抗しうるって……。
あんたら龍神たちが全員でかかっても、あの闇の龍神には勝てなかったんだろ?
それでほんとうに戦えるってのか?」
『そうだ。それで、デスアシュテルとは対等。
要はちからの『使いかた』の問題なのだ。
あとは其方の使いかた次第だ、人の子レゼル』
「あとは、私次第……」
ゼトレルミエルの姿が、徐々に光の粒子へと変わっていく。
光の粒子はレゼルが持つリーゼリオンの刀身へと吸収されていき、彼女自身をも光で包みこんでいく。
『……最後に我が子、人の子らよ』
ゼトレルミエルはその姿が消えていくなか、俺たちへと語りかけた。
――我の創作物のなかで、人間ほど複雑な思考や感情をもつものはいなかった。
人間の思考や感情はひとりでに成長していき、その発達はもはや我でさえ御しがたく、理解が及ばぬものとなった。
そのことが、我のことを常に悩ませつづけてもいたのだ。
『我はついに、其方ら人の感情を理解することができなかった。
しかしそんな複雑で不可解な其方らのことを、我はこよなく愛していたのだ……』
……そうしてゼトレルミエルは、光の粒子となって消えた。
ゼトレルミエルが消えるのと同時に、レゼルを包みこんでいた光は彼女の背中で塊となり……翼となった。
俺は、そのあまりの美しさに言葉がでなかった。
彼女の背中から生えいでた、ふたつの『光の翼』。世界をあまねく照らしだす『創世の光』を宿す。
その羽根の一本一本からは、光の雫が星屑のように零れおちていた。
レゼルは目をつむり祈りを捧げていたが、やがて涙を流し、いなくなったゼトレルミエルへとささやきかけた。
『主よ、感謝します……』
レゼルがリーゼリオンを鞘から抜きはなつと、その刀身にも同様に『創世の光』が宿されていた。
『風の双剣』リーゼリオンに、『光の龍神』ゼトレルミエルのちからが組みこまれたのだ。
さらに……。
『グレイスさん、見てください。
エウロもその身に光を宿し、からだが大きく、強くなっています。
主の神気に当てられて、エウロにも『光の自然素』が授けられたのです』
レゼルはエウロの頭をなでている。
彼女の言うとおり、エウロの身は光りかがやき、完全におとなの龍へと成長していた。
……そして、レゼル自身もその声に『神格』の響きが宿されているのだということに、彼女はまだ気づいていないようだった。
『さぁ。シュフェルが……みんなが……世界が、私たちのことを待っています。
グレイスさん、下界へ降りましょう!!』
俺はレゼルの呼びかけにうなずいた。
気がつけば、俺とレゼルの全身についていた傷も、跡形もなく消えていた。
ゼトレルミエルの、粋なはからいと言ったところか。
こうして俺たちは陽炎の神殿をでて、下界へと戻っていくのであった。
次回投稿は明日の19時に予約投稿の予定です。余裕があれば少し早めに手動投稿します。何とぞよろしくお願いいたします。




