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第268話 手をつなぎあわせて

 陽炎(かげろう)の神殿、『光の龍神』ゼトレルミエルの面前で。

 レゼルの意識は無限に広がる『因果律の海』のなかを彷徨(さまよ)いつづけていた。




 ゼトレルミエルは、試練に苦しむレゼルの魂の様相を静かに観察していた。


 ――駄目そうだな。


 ゼトレルミエルはすでに、レゼルに神のちからを譲渡(じょうと)することをあきらめかけていた。

 自身が生みだした因果の重みに潰され、彼女の魂は消滅寸前であったからだ。


 ――やはり、人の身でありながら創世の神のちからを得ることは不可能であったか。

 だが、それも詮方(せんかた)なきこと。


『創世の神』としてこの世に生を受けたものの、其の者の魂の消滅とともに、我がちからもここで朽ち果てる運命にあったのだ。

 ……ただ、それだけのことである。




「はぁーっ! はぁーっ! はぁーっ!」

「レゼル! レゼルっ!!」

「あっ……! あああぁっ……!!」


 俺は必死に呼びかけつづけるが、彼女の意識は戻ってこない!

 レゼルは極度の精神的苦痛のために無意識に全身をかきむしり、傷だらけになっていた。

 彼女はとめどなく汗と涙を流しつづけ、そして…………失禁していた。


「レゼル……っ!!」


 俺は、いつの間にか自身も涙を流していたことに気づく。

 ぬぐってもぬぐっても、涙がとまらない。


 ――こんな彼女の姿を、もう見ていられない……!


「ゼトレルミエル!

 レゼルの試練は、あとどれくらいで終わるんだ!?」

『試練はまだ半分も終わっていない。

 だが、其の者の精神はとうに限界を越えている。いつ精神と肉体の死を迎えても不思議ではない』

「……!

 わかった、それじゃあ試練はもう終わらせてくれ!

 闇の龍神に勝つ方法は俺たちで考えるよ、このままじゃレゼルが死んじまう!」

『一度始まった試練をとめることはできん。

 すべての因果を飲みほすまで、『因果律の海』から其の者をすくいあげることは我にもできぬのだ』

「…………ッ!!」


 くそっ、なにもできないっていうのかよ!

 俺はこのまま、彼女が苦しみながら死んでいくのをただ見守ることしかできないというのか。

 ……なら……それなら!


 俺はゼトレルミエルへと向けて、もう一度叫んだ。


「ゼトレルミエル!

 俺の心も、レゼルのもとへ行かせてくれ!

 それならできるか!?」

『可能だ。

明星(みょうじょう)(さかずき)』に満たされた液を其方も口に含めばよい。

 ……だが、其方も『因果律の海』に行ってなんになる?

 ともすれば、其方の因果までひきこませることにもなりかねぬのだぞ?』

「俺になにができるかはわからない!

 だが、とにかく彼女のそばにいてあげたいんだ! 彼女の、心のそばに!!」




 ……自身へと必死に訴えかける男の様子を見て、ゼトレルミエルは思考をめぐらせていた。


 ――()せぬ。

 やはり人間の思考は難解にして不可解。

 なぜそのような結論に至ったのか、道筋が我にはわからぬのだ。


 だが、それもまた、我の子(人間)が自らの意思で独自の進化を遂げた結果か……。


『よかろう。その盃を飲みほすがよい。

 だが、試練は其方がとうてい乗りこえられぬほどに困難なものであることは、今さら言うに及ばぬことだぞ』


 ゼトレルミエルがそう言うと、目の前の盃は再び液体で満たされていった。


 俺はレゼルのからだを抱えながら、盃を手に取った。

 盃に口をつける前に、震えている彼女へと語りかける。


「レゼル……。

 今すぐ行くから、待っててくれよ!」


 そうして俺は、盃の中身を飲みほした。




 レゼルの精神は、『因果律の海』のなかをただよっていた。


 ――もう、耐えられない。


 私は心のどこかで、『夢の国』をつくれば……より多くの人を幸せにすれば、そのための犠牲は許されるのだと思っていた。

 そうして、私は自分が犯してきた『罪』から目を背けてきた。


 でも、自分が(あや)めてきた人々ひとりひとりに人生があって、想いがあって、積みかさねてきた時間があって……。

 それらはその人にとってかけがえのないものだけれど、私の剣のひと振りでいとも容易(たやす)く無へと帰せられる。


 痛み、無念、苦しみ、後悔。

 私はあまりにも多くの人々の想いを、人生を踏みにじってしまった。

 それは私ひとり、人間ひとりではとても背負ってはならないほどの『(ごう)』。

 私がつくりたかった『夢の国』は、これほどまでに多くの『痛み』と『罪』を伴うものだったというの……?


 ……もう、無理。

 このまま消えてしまいたい。

 このまま…………消え…………。


「レゼルっ!!」

「!!?」


 レゼルは声がしたほうを振りむく。


 ――どうしてグレイスさんが、ここに!?


 グレイスは『因果律の海』へと飛びこみ、必死に彼女との因果の糸をたぐり寄せていた!


「レゼル、君の罪を俺にも背負わせてくれ!

 夢の国へとたどり着くために、ともに罪を背負って、ともに生きていこう!

 だから……だからっ!!」


 グレイスが、必死に彼女へと手をさし伸ばした。


「手を、伸ばせえええぇっ!!」 

「グレイスさん……っ!」


 レゼルは消えかけていたその手を、彼のほうへとさし伸ばした。

 ……そうしてふたりは、手をつなぎあわせた。




 今回の場面は次回に続きます。


 次回投稿は明日の19時に予約投稿の予定です。余裕があれば少し早めに手動投稿します。何とぞよろしくお願いいたします。

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