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第253話 因果律の海


 前回の場面の続きです。


 レゼルは喉をコクリと鳴らして口に含んだ液体を飲みほすと、その場にひざまずいたまま、目をつむって動かなくなってしまった。


「……? どうしたんだ?

 動かなくなっちまったぞ?」

『其の者の精神体はすでに、因果律(いんがりつ)の海へと飛びこんでいる。

 じきに、精神の変化が肉体に影響を与える』

「精神の変化が、肉体に……?」


 俺は、動かなくなってしまったレゼルのほうを再び見やった。

 肉体の変化って、彼女の身にいったいなにが起こるって言うんだ……!?




 そのとき、レゼルの意識はなにもない宙をただよっていた。

 からだとしての境界ははっきりとしないが、意識はたしかにそこにある。


 ゼトレルミエルは『因果律の海』と言っていたが、『海』という言葉は聞いたことがない。

 だが、まるで水のなかをプカプカと浮かんでいるかのような感じ。

 また、闇のなかに無数に浮かぶ光の粒子は夜空に浮かぶ星々のようにも見え、夜空をただよっているかのようにも感じられた。


 ……やがて、レゼルの意識は光の粒子のひとつへと近づいていく。

 どうやらからだのあちこちに見えない糸が絡みつき、たぐり寄せられているようなのだ。


 光の粒子は近づくにつれ、どんどん大きくなってくる。

 彼女を飲みこんでしまいそうなほどの大きさだ。


 そうして、レゼルは光の粒子へと触れた。




「おぎゃあ! おぎゃあ!」


 ……気がついたとき、レゼルは産まれたばかりの赤子になっていた。

 この世に生を受け、必死に泣き声をあげている。


 と、自分の顔を覗きこんでいる男女がいることに気づく。


 ふたりとも涙ぐみ、幸せそうにほほえんでいる。

 すっかり疲れきっているが、喜びと愛情でいっぱいのまなざし。


 ……レティアスとエルマではない。

 だが、レゼルは直感的に感じとっていた。


 このふたりは、自分の両親なのだと。




 レゼルは、帝国で育つ男の子になっていた。


 肉体の感覚はあり、思考もできる。

 だが、自分の意思で彼の人格に働きかけることはできない。


 あくまで意識がそこにあり、思考と感覚を追体験しているだけで、彼の人生にはいっさい影響を及ぼすことができないのだ。

 彼のほうもまた、自身と重なりあうように存在するレゼルの意識には、まったく気がついていないようであった。


 そうして、あたりまえのように彼の人生は進んでいく。

 成長していくにつれて経験していく、たくさんの出会いと別れ。

 数多くの喜びがあり、それと同じだけの悲しい出来事があった。

 時には(くじ)けそうになりながらも、彼はちから強く自身の人生を歩んでいったのである。


 そしてある日の夜、青年になった彼は両親に告げた。

 彼のことを見つめる両親の顔には(しわ)が刻まれ、白髪も見えはじめていた。


「父さん、母さん。

 俺、兵士になることに決めたよ。

 帝国軍に入って、祖国の平和を守るために戦うんだ」


 この彼の言葉に、両親は泣いて喜んだ。

 帝国では志願して軍に入隊することは、非常に名誉なことであるとされていたからだ。




 世界最強の軍隊である帝国軍に入隊し、厳しい訓練の日々が続く。

 肉体は日々疲れきっていたが、祖国のために軍務に服することにやりがいを感じ、充実した日々を送っていた。


 そんな日々に彩りを添えるかのように、彼はとある女性と出会う。


 彼女と出会うことはまるで運命づけられていたことであるかのように、ふたりは自然に恋に落ち、そして結ばれた。

 彼は彼女と結婚し、明るく元気な子どももふたり授かった。


 家族と触れあって得られるぬくもりを、彼の感覚を通じてレゼルも味わう。 

 あまりにも幸福な日々が、過ぎていく……。



 

 ある日のこと。

 彼は家の戸を開けて、でていくところだった。


「あなた、今回の遠征はどちらへ向かわれますの?」

「ああ、アイゼンマキナだよ。

 向こうに駐屯(ちゅうとん)している兵士たちが帰省(きせい)するあいだ、交代してこなきゃいけないんだ。

 三ヶ月くらいは、向こうに滞在することになるかな」

「まぁ、そんなに長く……。

 あなた、危なくないの?」

「ああ、大丈夫だよ。

 アイゼンマキナには翼竜騎士団の残党がうろついてるけど、最近は息を潜めてて、あまり仕掛けてこないと言うし」

「「パパー!」」


 どうやら、寝ていた子どもたちが起きてきたようだ。

 七歳の息子と、四歳の娘がドタドタと彼のもとに駆けつけてきた。 


「パパ、どこか遠くに行っちゃうの?」

「わたしのたんじょうびはー?」

「ああ、大丈夫だよ。

 サラの誕生日までには帰ってくる。

 アイゼンマキナで機械仕掛けの人形を買ってきてあげるよ」

「ほんと? わーい!」

「僕にもおみやげ買ってきてくれるの?」

「ああ、もちろんさ。

 テオの分もちゃんと買ってくるよ」

「ふふふ。

 それじゃあふたりとも、お父さんがおみやげ買ってきてくれるのを、いい子にして待ってるのよ?」

「「はーい!!」」


 こうして、彼は家をでた。




 彼は、テーベの駐屯基地へと無事に到着した。

 しかし、彼はそこで意外な知らせを聞くこととなる。


「騎士団に、不穏な動きがある……!?」


 彼が話していたのは、駐屯基地の司令官だ。

 その男は彼の同期のなかでの出世頭(しゅっせがしら)であり、若くして駐屯基地の司令官を務めていた。


「ああ。

 騎士団の動きが本格化したなら、油断はできない。

 なにせ向こうには、『闘う龍の巫女(みこ)』をはじめ、三人の龍騎士がいるのだからな……。

 最悪の場合、『特戦機龍(とくせんきりゅう)』の試作機も起動することになるかもしれん」

「それほどの危機が……!」


 ……残念ながら、その司令官の予感は的中することとなる。


 思いがけず始まった騎士団との戦い。

 彼は小隊の隊長を任せされており、戦いの最前線にいたのである。

 

 そして、彼は……レゼルは()()姿()を見た。


 吹きあれる猛風。

 その猛風のなかを、疾風のごとく駆けぬける()()()()()()()

 流れる銀の髪に、強い闘志を秘めた緑翠(りょくすい)の瞳。


 ――()()()()!?


 肘から先に、激痛が走る!

 クロスボウを持つ両腕を、風の刃で斬りおとされたのだ。

 瞬間、彼の脳裏によぎったのは愛する妻と、子どもたちの泣き叫ぶ顔。


 レゼルはとっさに回避行動を起こそうとしたが、彼のからだを動かすことはできない!

 レゼルと彼は、同時に叫んでいた。 


「「待っ……!!」」


 彼の首は、『闘う龍の巫女』によって()ねとばされていた――。




「あああああああああぁ゛ッ!!」


 目をつむったまま動かなくなっていたレゼルが、突如首を押さえ、叫び声をあげた!


「レゼル!?

 どうしたんだ、レゼル!?」


 俺はとっさに、彼女のからだを支えた。


「あぁっ……! ああぁ……!!」


 レゼルは震えたまま宙を見つめているが、目の焦点が合っていない。

 俺の呼びかけも、彼女には届いていないようだった。


 俺は、助けを求めるようにゼトレルミエルのほうを振りあおいだ。


「ゼトレルミエル!

 レゼルはいったい、どうしちまったって言うんだ!?」

『『(ごう)』と『因果』が、精神に刻みこまれたのだ。

 其の者は自身の夢を叶えるために戦いを巻きおこした結果、人間の身でありながらにしておびただしい量の『因果』を絡みつかせることとなった。

 人の領分を超えて神のちからを得るためには、身に絡む『業』と『因果』を精神に刻みこみ、受容(じゅよう)せねばならぬ』

「『業』と『因果』が、精神に刻みこまれるだと……!?」

『左様。

 其の者は今、自身が巻きおこした戦いによって命を落とした者たちが歩んだ生涯と、抱えていた想い、そして『死の瞬間』を追体験しているのだ』

「『死の瞬間』を……?

 それじゃあレゼルは今、()()()()()殺されつづけてるってことか!?」

『其の者が直接手をくだした者だけではない。

 其の者が起こした戦いに関わって命を落とした者、すべてだ』

「なんだと……!?」


 俺は、身が総毛立つのを感じた。


 関わった者、すべてって……!

 これまでの戦いで、いったいどれだけの人間が死んだと思ってるんだ……!? 




 レゼルは、次から次へと自身が起こした戦いに巻きこまれて命を落としていった者たちの人生と、『死の瞬間』を追体験していた。

 ひとりひとりの人生にかかる体感時間は数十年分だが、ひとつの人生が終わった瞬間に刹那(せつな)の時間へと凝縮され、また別の人生が始まる。

 そして、それぞれの人間の記憶はレゼルの精神に深く刻みこまれ、決して消えることはない。


 あるとき、彼女は連鎖して爆破されていく機龍兵(きりゅうへい)たちの爆発に巻きこまれていた。

 爆炎の熱に焼かれ、からだは粉微塵(こなみじん)に吹きとばされた。


 またあるときは、『風車(エオリア)』によって粉砕された橋の瓦礫に巻きこまれ、からだを潰されながら水の底へと沈んだ。


 そしてまたあるときは、『季節風(セスタニエ)』に龍が(あお)られて姿勢を崩し、その隙に翼竜騎士団の騎士に喉元を貫かれた。


 無限とも思える時間の経過と、最後に必ず待つ、死の記憶。

 死の苦しみが、命が失われることの重みが、彼女へとのしかかっていく。


 レゼルも、いつしかこの『試練』がもつ意味を(おの)ずから理解していた。

 だが、彼女と『因果』で結ばれた者たちは数万、数十万といることであろう。


 彼女は自分が行ってきた『因果』の重みを突きつけられ、絶望にうちひしがれていた。


 ――この苦しみはいったい、いつまで続くというの……!?




 次回投稿は明日の19時に予約投稿の予定です。余裕があれば少し早めに手動投稿します。何とぞよろしくお願いいたします。

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