第240話 思いえがいた夢の国
◇
俺は再び、レゼルがいるテントの前に立っていた。夜は深まり、あたりはよりいっそう暗くなっている。
テントの入り口に置いておいた食事は、手つかずのまま。
しかし、テントのなかでは彼女が起きている気配があった。
「レゼル……起きてるか?
話がしたいんだ。
でてきてくれないか?」
少しためらう気配があったが、か細い声でなかから返事があった。
「グレイスさん……。
すみません、今は誰とも話したくなくて……。
また今度にしてくれませんか?」
「……頼む、レゼル。
ほんのちょっとでいいから、俺に時間をくれないか?」
「…………」
心からの願いが通じたのか、彼女はテントの外まで顔をだしにきてくれた。
彼女の足取りはふらついており、その存在感はまるで魂を抜きとられた木人形のように希薄ではかなげだ。
「グレイスさん……」
「ほら、空が晴れてきて星がきれいだよ。
気分転換に、少し歩こう」
うっそうと茂る森の木々の隙間から、星々が浮かぶ空が顔を覗かせるようになっていた。
……こうして彼女を夜の散歩に連れだすのはテーベでの戦勝の神儀のあとに誘って以来だ。
レゼルは黙ってうつむいていたが、やがて小さくコクリ、とうなずいた。
――どこに行くあてがあるというわけでもなく、俺は歩いた。
あたりまえだ、ここは俺にとってもなじみのない土地なのだから。
なんとなく、騎士団の宿営地のはずれのほうへ、はずれのほうへと進んでいく。
……レゼルは、俺の後ろについてきていた。
少し距離をあけて、黙ってうつむいたまま。
だが、俺が歩を緩めると彼女も緩め、元の速さに戻すと彼女も歩を速めた。
彼女はつかず離れず、俺の後ろについてきていたのだ。
……今はこのままでよいと、俺も彼女に話しかけることなく歩きつづけることとした。
気づけば、だいぶ宿営地から離れたところまで歩いてきていた。
そのとき、森の木々の隙間をぬって夜風がひゅるりと吹いた。
「っと。風が冷たくなってきたな」
俺は思わず身震いをした。
後ろを振りかえると、レゼルも寒そうに身を強ばらせていた。
彼女は薄着のまま、上になにも羽織らずにテントをでてきてしまっていたのだ。
俺があたりを見まわすと、ちょうど木々に囲まれた草地の真んなかに、薪をくべて火を起こした跡があった。
火を起こした跡には、白くなった炭が残っている。炭は乾いており、ほのかに暖かみを残していた。
きっと夕暮れどきに、俺たちのように気分転換にでかけた誰かが、ここで焚き火をしていたのだろう。
「ちょうどいいや。
ここでちょっと、暖まっていこう」
そう言って、俺はその場に屈みこんだ。
跡に残った炭を使えば、再び火を起こすのは容易い。
得意の火起こしであっという間に火を焚きつけると、俺とレゼルはその火をとり囲むように腰かけた。
「…………」
「…………」
俺たちは黙りこくったまま、パチパチと爆ぜる火を見つめていた。
……どこからか、かすかに川のせせらぐ音も聞こえてくる。きっと、近くを小さな川が流れているのだろう。
火の温もりと、かすかに届く川のせせらぎ。
寒さで強ばっていたからだがほぐれ、心が洗われていくように感じられた。
俺は彼女にどう声をかけたらよいのかわからずにいたのだが、勇気をもって話しかけてみることとした。
「レゼル……。
少しは戦いに負けた悲しみはうすれてきたか……?」
「…………」
レゼルは黙ったまま、ふるふると首を横に振った。
……とてもじゃないが、エルマさんの名前をだすことなどできなかった。
その名前をだすだけで、彼女の心の生傷からまた血があふれてきそうで……。
でも、エルマさんとの記憶に触れずして、この心のつらさを乗り越えられるはずもなく。
俺はあえて、エルマさんとの思い出を話題にだしてみた。
レゼルの今にも壊れてバラバラになってしまいそうな心を、傷つけてしまわぬように、崩してしまわぬように。
「エルマさん……。
ほんとにすごい人だったな。
優しくて、きれいで……。
レゼルのために、どんどん強くなって」
「…………!」
レゼルはつらそうに眉をひそめる。
懸命に涙をこらえているようにも見えた。
……エルマさんは一流の龍騎士だったけど、サへルナミトスとの戦いのなかでもさらに強くなっていっていた。
愛する娘の命を救うために。
そして最後は、帝国皇帝に身を投げうっていって……。
「俺、はじめてエルマさんに会ったときは怖い人だと思ったんだ。
心のなかが、ぜんぶ見透かされちまうようで……。
でも実はレゼルのいないところで、俺はあの人にいろんなことを言われて、元気づけられてたんだ」
テーベの宿営地では、『自身の価値を示せ』と言われた。
そしてポルタリアでも、ルペリオントでも、『レゼルたちのことを支えてあげてほしい』と。
エルマさんに後押しされていることが、俺のなによりの自信になっていた。
彼女はいつも、レゼルとシュフェルのことを気にかけていた……。
「俺には親がいなかったから、わかったつもりにすぎないのかもしれないが……。
あんな人が自分の母親だったら、毎日幸せだっただろうと思う」
……そしてその分だけ、愛する人を失ったときの大きさも。
レゼルは静かに俺の話を聞いていたが、やがてポツリ、ポツリと想いを紡ぎはじめた。
「私……心のどこかで思ってたんです。
たとえ途中でどんなにつらいことがあっても、いつかかならず夢は達成できるんだろうなって。
あなたに、皆さんに、今までたくさん支えてもらってきたから……」
レゼルが誰もが幸せに暮らせる『夢の国』をつくるために、誰よりもがんばってきたことを俺たちは知っている。
だからこそ俺たちは彼女のちからになりたいと、必死に付いていったのだから。
「そうしてたどり着いた『夢の国』には、あたりまえにお母さまがいて、いっしょに笑いあって、ずっと幸せに暮らしていって……。
そうなるものだと、思ってたんです」
きっと彼女には、誰よりも明確かつ鮮明に思いえがく『夢の国』の姿があったことだろう。
その国の姿はあまりにも美しく、きれいで、そして硝子のように繊細で……。
「でも、それは違ってた。
私の思いこみだった。
私がつくろうとしてた『夢の国』に、お母さまはいなかったの……っ!」
レゼルの目から、大粒の涙がポロポロと零れた。
――亡き父であるレティアスさんの意思を継ぎ、ずっと母娘でがんばってきた。
誰よりもその母に、『夢の国』で暮らす幸せを味わってもらいたかったのだろう。
……俺には、その程度の想像をすることしかできなくて。
きっとレゼルとエルマさんとのあいだには、俺には実感として湧いてこないほどの共有した時間と、互いを想う愛情があったのだろうと思う。
俺は、夜空に浮かぶ星々を見あげた。
あるはずのない答えを、そこに探し求めようとして――。
今回の場面は次回に続きます。
次回投稿は明日の19時に予約投稿の予定です。余裕があれば少し早めに手動投稿します。何とぞよろしくお願いいたします。




