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第240話 思いえがいた夢の国

 俺は再び、レゼルがいるテントの前に立っていた。夜は深まり、あたりはよりいっそう暗くなっている。

 

 テントの入り口に置いておいた食事は、手つかずのまま。

 しかし、テントのなかでは彼女が起きている気配があった。


「レゼル……起きてるか?

 話がしたいんだ。

 でてきてくれないか?」


 少しためらう気配があったが、か細い声でなかから返事があった。


「グレイスさん……。

 すみません、今は誰とも話したくなくて……。

 また今度にしてくれませんか?」

「……頼む、レゼル。

 ほんのちょっとでいいから、俺に時間をくれないか?」

「…………」


 心からの願いが通じたのか、彼女はテントの外まで顔をだしにきてくれた。

 彼女の足取りはふらついており、その存在感はまるで魂を抜きとられた木人形(もくにんぎょう)のように希薄(きはく)ではかなげだ。


「グレイスさん……」

「ほら、空が晴れてきて星がきれいだよ。

 気分転換に、少し歩こう」


 うっそうと茂る森の木々の隙間から、星々が浮かぶ空が顔を(のぞ)かせるようになっていた。

 ……こうして彼女を夜の散歩に連れだすのはテーベでの戦勝の神儀(しんぎ)のあとに誘って以来だ。


 レゼルは黙ってうつむいていたが、やがて小さくコクリ、とうなずいた。




 ――どこに行くあてがあるというわけでもなく、俺は歩いた。


 あたりまえだ、ここは俺にとってもなじみのない土地なのだから。

 なんとなく、騎士団の宿営地のはずれのほうへ、はずれのほうへと進んでいく。


 ……レゼルは、俺の後ろについてきていた。

 少し距離をあけて、黙ってうつむいたまま。


 だが、俺が歩を緩めると彼女も緩め、元の速さに戻すと彼女も歩を速めた。

 彼女はつかず離れず、俺の後ろについてきていたのだ。

 ……今はこのままでよいと、俺も彼女に話しかけることなく歩きつづけることとした。



 

 気づけば、だいぶ宿営地から離れたところまで歩いてきていた。

 そのとき、森の木々の隙間をぬって夜風がひゅるりと吹いた。


「っと。風が冷たくなってきたな」


 俺は思わず身震いをした。


 後ろを振りかえると、レゼルも寒そうに身を(こわ)ばらせていた。

 彼女は薄着(うすぎ)のまま、上になにも羽織らずにテントをでてきてしまっていたのだ。


 俺があたりを見まわすと、ちょうど木々に囲まれた草地の真んなかに、(まき)をくべて火を起こした跡があった。


 火を起こした跡には、白くなった炭が残っている。炭は乾いており、ほのかに暖かみを残していた。


 きっと夕暮れどきに、俺たちのように気分転換にでかけた誰かが、ここで焚き火をしていたのだろう。


「ちょうどいいや。

 ここでちょっと、暖まっていこう」


 そう言って、俺はその場に(かが)みこんだ。

 跡に残った炭を使えば、再び火を起こすのは容易(たやす)い。

 得意の火起こしであっという間に火を焚きつけると、俺とレゼルはその火をとり囲むように腰かけた。


「…………」

「…………」


 俺たちは黙りこくったまま、パチパチと()ぜる火を見つめていた。


 ……どこからか、かすかに川のせせらぐ音も聞こえてくる。きっと、近くを小さな川が流れているのだろう。


 火の温もりと、かすかに届く川のせせらぎ。

 寒さで強ばっていたからだがほぐれ、心が洗われていくように感じられた。


 俺は彼女にどう声をかけたらよいのかわからずにいたのだが、勇気をもって話しかけてみることとした。


「レゼル……。

 少しは戦いに負けた悲しみはうすれてきたか……?」

「…………」


 レゼルは黙ったまま、ふるふると首を横に振った。


 ……とてもじゃないが、エルマさんの名前をだすことなどできなかった。

 その名前をだすだけで、彼女の心の生傷(なまきず)からまた血があふれてきそうで……。


 でも、エルマさんとの記憶に触れずして、この心のつらさを乗り越えられるはずもなく。


 俺はあえて、エルマさんとの思い出を話題にだしてみた。

 レゼルの今にも壊れてバラバラになってしまいそうな心を、傷つけてしまわぬように、崩してしまわぬように。


「エルマさん……。

 ほんとにすごい人だったな。

 優しくて、きれいで……。

 レゼルのために、どんどん強くなって」

「…………!」


 レゼルはつらそうに眉をひそめる。

 懸命に涙をこらえているようにも見えた。


 ……エルマさんは一流の龍騎士だったけど、サへルナミトスとの戦いのなかでもさらに強くなっていっていた。

 愛する(レゼル)の命を救うために。

 そして最後は、帝国皇帝に身を投げうっていって……。


「俺、はじめてエルマさんに会ったときは怖い人だと思ったんだ。

 心のなかが、ぜんぶ見透かされちまうようで……。

 でも実はレゼルのいないところで、俺はあの人にいろんなことを言われて、元気づけられてたんだ」


 テーベの宿営地では、『自身の価値を示せ』と言われた。

 そしてポルタリアでも、ルペリオントでも、『レゼルたちのことを支えてあげてほしい』と。


 エルマさんに後押しされていることが、俺のなによりの自信になっていた。

 彼女はいつも、レゼルとシュフェルのことを気にかけていた……。


「俺には親がいなかったから、わかったつもりにすぎないのかもしれないが……。

 あんな人が自分の母親だったら、毎日幸せだっただろうと思う」


 ……そしてその分だけ、愛する人を失ったときの大きさも。


 レゼルは静かに俺の話を聞いていたが、やがてポツリ、ポツリと想いを(つむ)ぎはじめた。


「私……心のどこかで思ってたんです。

 たとえ途中でどんなにつらいことがあっても、いつかかならず夢は達成できるんだろうなって。

 あなたに、皆さんに、今までたくさん支えてもらってきたから……」


 レゼルが誰もが幸せに暮らせる『夢の国』をつくるために、誰よりもがんばってきたことを俺たちは知っている。

 だからこそ俺たちは彼女のちからになりたいと、必死に付いていったのだから。


「そうしてたどり着いた『夢の国』には、あたりまえにお母さまがいて、いっしょに笑いあって、ずっと幸せに暮らしていって……。

 そうなるものだと、思ってたんです」


 きっと彼女には、誰よりも明確かつ鮮明に思いえがく『夢の国』の姿があったことだろう。

 その国の姿はあまりにも美しく、きれいで、そして硝子(がらす)のように繊細で……。


「でも、それは違ってた。

 私の思いこみだった。

 私がつくろうとしてた『夢の国』に、お母さまはいなかったの……っ!」


 レゼルの目から、大粒の涙がポロポロと(こぼ)れた。


 ――亡き父であるレティアスさんの意思を継ぎ、ずっと母娘(ははこ)でがんばってきた。

 誰よりもその母に、『夢の国』で暮らす幸せを味わってもらいたかったのだろう。


 ……俺には、その程度の想像をすることしかできなくて。

 きっとレゼルとエルマさんとのあいだには、俺には実感として湧いてこないほどの共有した時間と、互いを想う愛情があったのだろうと思う。




 俺は、夜空に浮かぶ星々を見あげた。

 あるはずのない答えを、そこに探し求めようとして――。 




 今回の場面は次回に続きます。


 次回投稿は明日の19時に予約投稿の予定です。余裕があれば少し早めに手動投稿します。何とぞよろしくお願いいたします。

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