第239話 うち沈む騎士団
◇
シャティユモンでの戦いに敗れてから、数日。
俺たち騎士団は帝国からの斥候に気づかれないよう、少人数ごとルペリオントの領空へと戻っていた。
昼でも暗い、うっそうと茂った森の奥。
もともとの大規模な宿営地からは離れて、ひっそりと人目につかぬようにテントを立てた。
しかし、騎士団員たちに活気があろうはずもなく。
生きるために最低限の活動のみを行い、とくに目的があるわけでもなくその地に留まりつづけた。
騎士団の宿営地は日々、葬式のような空気に包まれていた。
そして、なによりもっとも大きな変化があったのはレゼルである。
どんなにからだが傷つき、倒れても。
どんなに手ひどく敗れて、心がくじけそうになっても。
今まで一日たりとて鍛練を怠ることのなかった剣を、彼女はまったくにぎらなくなってしまった。
それほどまでに、母であるエルマさんを失ったことによる心の傷は深かったのだ。
俺はそんな彼女を見るのは、はじめてだった。
彼女は一日じゅうテントのなかにひきこもり、うつむいたまま地べたに座っているようになった。
いつも傍らにいるエウロですらどうすればよいのかわからず、テントのまわりをぐるぐるとめぐっている。
「……うっ、うっ……ううぅ……」
時折テントのなかからは、おし殺すようにすすり泣く彼女の声が聞こえてくるようだった。
そんな彼女を励ましてあげられる者は、誰もいなかった。
なぜならシュフェルも、ブラウジも、アレスたちも、そして俺自身も……。
心が傷つき、彼女に元気を分け与えられる自信などなかったからだ。
俺たちには、ただ時間が必要だった。
傷を癒すための、時間が……。
なにもできぬまま、さらに数日が過ぎた。
その日も、レゼルは一日テントのなかに閉じこもって過ごしていた。
夕暮れになり、俺は彼女のもとに食事を届けにきていた。
テントの入り口にかかる布をわずかにめくり、なかにいるレゼルに声をかける。
「レゼル、夕食をもってきたよ」
「……はい、ありがとうございます……。
あとで食べますから、そこに置いておいてください」
夕陽の光が布の隙間から射しこみ、彼女の後ろ姿を照らしだしている。
もともと細身の彼女のからだは、よりいっそう痩せてしまっていた。
ここ数日は、食事もろくに喉を通っていないようだった。
「レゼル……。
少しはなにか食べないと、からだが参っちまうぞ」
「……すみません、食べるのをつい忘れてて……。
夕食はちゃんと食べますから、お気になさらないでください」
「そうか……」
俺はレゼルの夕食を置くと、入り口にかかる布をそっと閉じた。
……しばらくそこに立ちどまってなかの様子をうかがっていたが、彼女が食事を取りに動く気配はなかった。
俺はレゼルに食事を届けたあと、自分のテントのほうへと戻っていった。
あたりはさらに暗くなり、夜の森を抜けていく。
……シャティユモンで敗戦する前は、夕食時になると多くの兵士がテントの外にでて、にぎやかに食事をとっていたものだ。
しかし今は、外にでている兵士はほとんどいない。
みんなレゼルを見習うように、テントのなかでひっそりと過ごすようになってしまったのだ。
騎士団に再起の気配はなく、衰弱していくのみ。
このままでは食料が尽きて朽ちはてるか、野盗になりさがるのを待つばかりだった。
世界の希望を背負って空を舞っていた、栄光ある騎士団が……。
だが、いったいどうすればいい。
俺にはレゼルを元気づけることもできなければ、あの強大な皇帝をうち倒すちからもない。
こんな俺に、なにかできることがあるというのだろうか……。
考えごとをしながら道を歩いていたら、俺の行く手をさえぎる者がいた。
俺はようやくその者の気配に気づき、顔をあげた。
「セシリア」
「グレイスさん……」
俺の前に立っていたのはレゼルの無二の親友、セシリアだった。
シャティユモンでの戦いのとき、セシリアたち偵察兵の部隊や、エルマさんのお付きの巫女さんたちなど、非戦闘員は一時的にルペリオントの本島へと避難していた。
非戦闘員たちも、少しずつ騎士団の本隊のもとへと戻り、合流してきていたところであったのだ。
セシリアは、切なさで今にも張りさけそうなまなざしで、俺のことを見つめている。
明かりは、空でかすかにまたたく星々の光のみ。
夜の闇と、森の木々のざわめきだけが、俺たちを包みこんでいた。
「グレイスさん、助けて……」
セシリアの目から、涙がポロリと零れおちた。
「私、レゼルのことは小さいころから知ってるけど……。
あんなレゼル、はじめて見るの。
触れるだけで壊れてしまいそうなくらい傷ついてて……。
見てるだけで涙がでそうになるから私、なにも言えなくて……」
セシリアは泣きじゃくりながら、必死にその想いを吐きだしている。
今のレゼルの様子を見て心を痛めているのは、俺も同じだ。
しかし……。
「お願い、グレイスさん。
レゼルを助けてあげて。
今のレゼルを元気づけてあげられるのはグレイスさんしかいないの。
だから、お願い……!」
「セシリア……」
そうしてとうとう、彼女は泣きくずれてしまった。
俺はとっさに手をだし、彼女のからだを支えようとする。
「うっ……! ぐすっ! うううぅ……!」
「セシリア、わかったよ。
俺が彼女のちからになれるかどうかはわからないけど、もう一度レゼルのところに行って、話をしてみる」
俺は、セシリアをなだめすかすように約束した。
……レゼルの無二の親友である、彼女からの要請。
胸が苦しくなるほどに、切ないけれど。
今の俺には、背中を押してもらえているように感じられたんだ。
自分に自信をもてなくて、なにも行動に移せずにいる俺の背中を。
セシリアがもう少し落ちつくまで待ったのち、俺はきた道を戻っていった。
後ろからは、俺の背中を見守るセシリアの視線を感じる。
頭のなかでは、これまでレゼルとともに歩んできた道を振りかえっていた。
なにか彼女を元気づけられる手がかりはないか。
俺が彼女にしてあげられることを見つける手がかりはないか。
俺は一度通ってきた道を、確かめるように踏みしめていく。
次回投稿は明日の19時に予約投稿の予定です。余裕があれば少し早めに手動投稿します。何とぞよろしくお願いいたします。




