第236話 世界の崩壊と、罪人たちを運ぶ舟
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「はぁっ……! はぁっ……! はぁっ……!」
オルカは息をきらしながら、地下からの階段をのぼっていた。
不愉快なほどに冷たい壁に身をもたせかけながら、それでも一歩ずつ階段をのぼっていく。
グレイスと別れたあと、彼女は自分専用の通路で脱出を図っていた。
通路を通れば、彼女の部屋から『上板』へと続く崖にでられるのだ。
しかし、彼女の病態はこの数日間にも急速に増悪し、体力が著しく低下していた。
長い階段をのぼりきるのは至難の業で、階段をのぼるのにもう何時間もかかっている。
今までは症状を和らげる薬でなんとかからだをごまかしてきたが、今はもう、いかなる薬も効果を示さなくなっていた。
階段を一歩のぼるたび、激痛が全身を走りぬける。
五感が奪われ、暗い階段は見えづらく、耳もろくに聞こえなくなっていた。
今にも意識が遠のきそうであり、気を抜けば倒れ、そのままこの世を去ることになるだろう。
……結局、彼女はこの世界に対してなにも影響を及ぼすことができなかった。
ただひたすらに苦しめられ、そしてなにもできずに死んでゆく。
こんな腐敗した世界に、望んで生まれてきたわけじゃないというのに。
せめてもの足掻きとして、この世界を呪いながら死の瞬間を迎えようと。
その想いだけが、彼女のからだをつき動かしていた。
――今ごろはもう、夜が明けたころだろう。
私が人知れず醜い姿で死んでゆくなか、扉の向こう側にはいつもと変わらず青い空が広がっているはずだ。
……美しい空。
自分にはもったいないほどの研究の才を与えられ、愛する人も、生きる目標も与えられていた。
しかし、世界はいつも私を裏切りつづけてきたのだ。
――あぁ、そうだよ。
私は世界を愛していた。
だからこそ、私を裏切りつづけた世界を、私はメチャクチャにしてやりたくなるのだよ……!!
そしてついに、オルカは階段の頂上へとたどり着く。
機械仕掛けの隠し扉がひらき、外の光が彼女のからだを包みこむ。
「あ……」
彼女の目の前に広がるのは、崩落していくシャティユモンだった。
大地が崩れて破片となり、無限の空に飲みこまれていく。
崩落しているのは、この広い世界におけるほんの一部分にすぎない。
だが今の彼女にとって、それは世界のすべてであるかのように思えた。
憎くて憎くて仕方なかった世界が今、目の前で崩れおちていく。
「ふっ……。あははっ……!」
シャティユモンの崩落はとまらない。
瓦礫はどんどん迫ってきて、やがてこの地下研究所をも飲みこもうとしていた。
「あははははは!
そうだ、すべて壊れてしまえ!
こんな腐敗した世界など、全部消えてなくなってしまえばいい!!」
彼女の狂ったような笑い声は落ちゆく瓦礫に飲みこまれ、かき消されていった。
◆
ノアたちを乗せたネイジュのソリは、シャティユモンの外縁へとたどり着いていた。
寿命を迎えたシャティユモンの大地は中央部から崩落しており、ノアたちも助からぬかと思われた。
……しかし、あと一歩でノアたちの足場も崩れようというところで大地の崩壊はとまる。
島の中央部はすでに崩れさってしまったが、外縁のほうではまだ浮力が残っていたのだ。
ノアたちの足場はそのまま新たな小島となり、地続きであった大地の束縛から逃れ、舟を漕ぎだすようにゆっくりと動きはじめた。
小島にはノアたち兄妹と、島の崩壊から逃れたほんのひとにぎりの動植物が乗るばかり。
小島はこの無限の空をたゆたいながら進んでいき、いつかどこかの大地へとたどり着いて、そこが彼らの新天地となるのだろう。
それはまるで、罪を許された人々を乗せて運ぶ方舟であるかのように。
「おねえちゃん……」
ノアはずっと兄に抱きかかえられていたが、ふと胸騒ぎを覚えて背後の空を振りかえる。
シャティユモンがあったはずの空を見つめ、涙が彼女の頬を伝った。
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