第235話 悲しみの空
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帝国皇帝は瓦礫の雨の向こう側で、異変が起こったことを感じとっていた。
『なに……?』
――『濡羽烏』が相殺されただと?
……瞬間的にではあるが、ミネスポネ並みの出力を放つことができる水氷の自然素の使い手がいた。
『烏』は無数の瓦礫を飲みこんで進み、いささかのちからの損失はあったのはたしかだが……。
だが、その水氷の自然素の使い手も、最後はちからをだしつくして消滅した。
皇帝は自身が乗るオルタロヴォスに指示をだし、踵を返した。
エルマを消し、レゼルも正面から叩きつぶした今、皇帝はすでに生きのこった彼女への興味を完全に失っていた。
彼にとって、レゼルの存在は瑣末な問題にすらならなかったのである。
『くだらぬ。
我が絶対なる帝国が揺るぐことは、ない』
皇帝は瓦礫の雨のなか、闇夜のように音もなく去っていった。
◇
「うっ……! うぐ……くっ……!」
……もう、涙をとめられるはずなんてなかった。
身を翻し、あふれる涙をぬぐいながら、それでも必死に逃げつづけた。
俺の役目は、命に代えてもレゼルを護りぬくことなのだから。
ヒュードもエウロも懸命に瓦礫の雨のなかを進み、そして……。
ついに瓦礫を抜けた。
青い空が、待ちかまえていたかのように俺たちを包みこむ。
だが、今の俺にはそのまぶしいほどの青が悲しみの色にしか感じられなかった。
俺の胸のなかでは、レゼルが静かに眠っていた。レゼルはまだ気を失っていたが、命に別状はないようだ。
そのとき、彼女の頬をひと筋の涙が伝いおちる。夢と現の狭間にいながら、彼女は悲しげにつぶやいた。
「お母さま……」
俺はレゼルを起こさぬよう、そっと彼女のからだを抱きよせた。
悲しみの空を、俺たちは進んでいく。
※『濡羽烏』(ぬればがらす)……『濡羽色』、『濡烏色』はいずれも黒の系統色の名前です。
黒い羽毛が水分を含むことで艶が増しますが、さらに表面で光の干渉が起こり、青や緑、紫などの干渉色が浮かびます。
黒髪である日本人女性の理想美を表現する色となります。
また、カラスは古くは『神の使者』と考えられ、世界じゅうの神話や伝説に登場しています。
本編が短かったので、次回投稿は本日20時に予約投稿の予定です。余裕があれば少し早めに手動投稿します。何とぞよろしくお願いいたします。




