第233話 咲きほこる千年の大樹
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皇帝はレゼルのもとへエルマとグレイスが飛んでいくのを見届けていた。
敵が一箇所にまとまるのは都合がよい。
一撃で消滅させようと、彼が闇のちからを練りあげていたときのことであった。
『!』
足元の地盤が崩れ、『上板』もシュバイツァーがいたあたりから崩壊してきていた。
『シュバイツァーのちからで、島の寿命が尽きたか』
上板から落ちてくる瓦礫が、上方から迫ってきている。
皇帝にとっては瑣末な問題であった。
たとえ無防備に瓦礫に飲まれたとしても、神である彼のからだは傷ひとつつくことはないであろう。
しかし、レゼルたちにとっては好都合!
突如として島が崩壊しはじめた理由は知るよしもなかったが、上から降りおちるおびただしい量の瓦礫は彼女たちの目的にかなっていたのだ。
この状況を、利用しない手はない!
『暴風』!!
レゼルは広範囲に強烈な風を巻きおこした。
風は複雑な気流をつくりだし、場所によっては逆巻き、渦をつくって竜巻を生みだしていた。
当初は地表の砂岩や樹木を巻きあげる予定であったが、風は瓦礫を巻きこんで効率的に目眩ましの役割を果たしている。
必死に風を操りながら、レゼルは思考をめぐらせていた。
……今は母の言うとおりに動くしかない。
だが、母がなにか無茶をする素振りがあれば、レゼルはすぐに彼女をとめるつもりであった。
そんな風に考えていたところ、エルマは皇帝に向かっていくわけでもなく、ただ優しくレゼルの肩を抱きよせたのであった。
残された片腕で、そっと。
幼いころに何度も自分を抱いた母の感触が、彼女を包みこむ。
「えっ……?」
たったひと言。
母から娘に送られたのはほんとうに短い言葉。
だがその言葉に、母と娘が過ごした十七年間のすべてが込められていた!
「レゼル、ありがとう」
エルマはレゼルのうなじをトン、と軽く叩いた。
「なっ……!?」
レゼルは意識を保ったまま、ガクンと全身のちからが抜けていくのを感じた。
『虚神転衝』
エルマの技のひとつ。
相手の神経系に『生命力』を打ちこみ、一時的に動きのすべてを封じる技。
レゼルは全身の運動神経が麻痺し、からだを動かすことができなくなっていたのだ。
エウロの背中の上で崩れる彼女のからだをとっさにグレイスが支えた。
龍鞍の固定をはずし、彼女のからだを抱きかかえる。
「レゼル、行くぞ!」
「グレイス……さっ……!? なにを……!?」
「エウロも付いてくるんだ!」
エウロは小さくいななき、承諾の意を示す。
レゼルを抱きかかえてその場を去ろうとするグレイスに、エルマは静かにほほえみかけた。
「グレイスさん、その子をお願いしますね」
皇帝の周囲では、以前として瓦礫の嵐が吹きあれていた。
『虚無の波動』
皇帝の身から、暗黒の波動が広がっていく。
波動の広がりとともに複雑な風の気流は消滅してしまった。
宙を舞っていた瓦礫はぴたりと一度静止したのち、真下へと落ちていく。
皇帝の頭上にはすでに暗黒の虚無の穴が穿たれており、落下してきた瓦礫はすべて飲みこまれ、消滅してしまった。
「レゼル、逃げるぞぉっ!!」
前方に落下する瓦礫の向こう側から、レゼルを連れて逃げようとするグレイスの声が聞こえてきた。
皇帝はゆっくりと手を振りかざし、闇のちからを撃ちはなとうと手もとに蓄えていく。
みすみすレゼルたちを逃がす気など、彼には毛頭なかった。
『余から逃げられるとでも思っているのか、カレドラル国女王よ。
影すら残さずに消滅するがいい!』
皇帝の右手ににぎられるレヴァスキュリテ。
闇の両刃剣の先端から今にも闇のちからが撃ちはなたれようとした、まさにそのときだった。
密集して落ちていく瓦礫のわずかな隙間を、音もなくすり抜けていく者がいた。
その接近速度と瓦礫をかわす身のこなしはまさしく、『瞬神』と呼ぶにふさわしい。
前方を逃げていく敵の首領。
人と龍の領域をはるかに超えた接近術。
そしてこの状況下で自身に向かってくる者などいるはずがないという常識が、最強の神にをも隙を生みださせたのだ!
『なんだと!?』
セレンとの共鳴を深めたエルマが、瓦礫のなかから姿を現した!
エルマは皇帝の左側面を突いている。
彼女の接近速度があまりに速いため、『虚無の波動』の発動すら間に合わない。
静けさの闇である『虚無の波動』は光の去りゆく速度で広がる無敵の防御だが、破壊の闇であるほかの技と同時に発動できないことが、唯一の弱点である。
期せずしてエルマは、その唯一の弱点を突くことができた。
彼女は皇帝に必殺の一撃を撃ちこむ、千載一遇の好機を得たのだ!
エルマはまだかすかに残るサヘルナミトスの瘴気をたどり、生きとし生けるものたちとのつながりを保っていた。
周囲の生命からちからを分け与えてもらうのと同時に、エルマは自分たちがもつすべての『生命力』をその一撃にそそぎこんでいた。
……エルマとセレンがこの十年間、極力前線にでなかった真の理由。
戦わずにセレンと寄りそって『生命力』を蓄えつづけてきたのも、すべてはこのときのため。
この十年間のすべてを、その一撃にそそぎこむためである!
サクラの樹の寿命はせいぜい数十年。
しかし、もし千年ものあいだ耐えしのび、花を咲かせる日を待ちつづけた樹があったとしたら。
そして今、そのただ一度のためにすべての蕾を花ひらかせたとしたら。
大樹よ、今こそ命の花を咲きほこれ!
――これが正真正銘、私の全力!
『桜煌撃』!!
闇をうち砕くべく、振りおろされた究極の一撃。
その一撃は皇帝デスアシュテルの無防備な左半身を砕き、闇を滅するはずであった。
もし皇帝に当たらずに地に直撃していれば、崩壊の時を待たずしてシャティユモンの大地は消滅してしまっていたかもしれない。
だが……。だが、しかし!
エルマの究極の一撃をなんと、皇帝はその左腕で受けとめていた!
エルマは信じられぬ思いであった。
だが事実、メイスはそこから先に進めず、微動だにしなかった。
……私の全力を、生身の腕で……!?
『愚か者めが……!
人と龍が神の肉体を傷つけることなどできぬわ!!』
……これが、人と龍の、神との差。
どんなに時を経ても、決して埋めることのできない差。
聡いエルマはこれまでの十年間が無駄だったことを即座に悟った。
このメイスは今にも振りはらわれ、彼女は命を奪われることだろう。
そうして、自分は一生を終えるのだ。
結局やはり、レゼルとシュフェルにあとのすべてを任せて……。
否!
終わっていいわけがない。
このままなにもせずに終わっていいわけがない!
今までカレドラルのために戦って命を落としたすべての騎士団員たち。
オスヴァルト。そして亡き夫、レティアス。
先に死んでいった者たちの想いを無駄にすることなどできないのだ。
騎士団の母として。レゼルの母として!
このままなにも残さずに死ぬわけにはいかない!
皇帝の腕でとまっていたエルマのメイスが、再び前に動きはじめた。
『なに……!?』
エルマの攻撃はまだ終わってはいない。
まだ残されている生命力を、あきらめることなくメイスへとそそぎこんでいく!
「あなたはここで消えなさい、皇帝デスアシュテル!!」
しかし、皇帝も左腕に闇のちからをそそぎこみ、メイスを押しかえしていく。
『人間ごときが、ほざくでない。
人が神に勝てぬは運命。
神のちからの前に消えさるがいい!』
「その運命が神の教えなのだとしたらっ!
私は神への信仰を捨てますわ!!」
そうしてエルマとセレンは、自分たちの生命維持に必要なちからをもメイスにそそぎこみはじめた。
極限のせめぎあいのなか、闇を命の光が照らしだしていく!
「はああああああぁっ!!」
『おおおおおおおおっ!!』
命の最後の煌めきを見せるエルマとセレン。
その一撃はついに帝国皇帝にも届くかと思われた。
しかし、現実はあまりにも残酷で。
まず最初に、セレンの命が尽きた。
主にずっと寄りそいつづけ、主のために命のすべてを絞りつくした龍が、この世を去る。
セレンの龍の鼓動がとまるのとともに。
エルマのメイスに亀裂が走り、そして……。
彼女のメイスは、砕けた。
全身にちからが入らず、グレイスに抱えられて連れられていくレゼル。
そのときちょうど落ちてくる瓦礫の帳がうすれ、その向こう側にいるエルマたちの姿が垣間見えた。
「お母さま……?」
エルマのメイスは、すでに砕けちっていた。
反撃される。助けに行かなければならない。
だが心は助けに行きたがっているのに、からだがどんどん遠ざかっていく!
「お母さま……!」
レゼルの脳裏に、生まれたときからエルマと過ごした時間が走馬灯のように蘇る。
そして最後にたどり着いたのは、きのうの夕方に彼女と過ごしたひととき。
――『あなたたちは気高く崇高な夢を胸に秘めて、戦ってくれているのだものね。
私は親として、そんなあなたたちの志を誇りに思うわ』
「お母さまっ!!」
――『やっぱりあなたは私にとって特別な子。だって、このお腹を痛めて産んだ子なんだもの』
エルマは遠ざかっていくレゼルへとほほえみかけた。
――ありがとうセレン、レゼル。
自身の生命力をもすべて使いきっていた彼女は、そっと目を閉じた。
最後に去来するのは先に死んでいった騎士団員たち、そしてレティアスへの想い。
――あなた。
私も今から、あなたのもとに馳せ参じます……!
『余の闇は魂の消失をもたらす。
貴様に死後の世界はない』
エルマとセレンの肉体は闇へと飲みこまれ、消滅した。
「お母さまあああああああああぁっ!!!」
母の死を目のあたりにして、レゼルが悲痛な叫びをあげた。
次回投稿は明日の19時に予約投稿の予定です。余裕があれば少し早めに手動投稿します。何とぞよろしくお願いいたします。




