第220話 客観視
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いつの間にか、俺たちの周囲をとり囲んでいた炎のドームも消えさっていた。
レゼルの胸もとに刻まれていた『死の刻印』も消滅している。
エルマさんの究極の秘技を受け、サヘルナミトスの黒きからだはうち砕かれた。
残されたわずかな思念体もボロボロと崩れていき、彼は消えゆこうとしていた。
『馬鹿な、馬鹿なァ……!
このワシが人と龍に滅されるというのかァ……!』
サヘルナミトスは体内を彷徨う死者の魂とともに、断末魔の叫びをあげていた。
無数の魂の叫び声が重なりあって、こちらの耳がおかしくなってしまいそうになる。
『ありうるはずがないィ!
ワシは冥府の神王なのじゃぞ!
人と龍ごときに負けるはずがないのだアアァ』
「…………」
そんなみじめとも思えるサヘルナミトスの消滅していくさまを、エルマさんはそばにたたずんで眺めていた。
『なぜだ! なぜなのだァ!
グアアアァァァッ!!』
「ちょっとあなた。
そのまますんなり逝けるとお思いになって?」
『え?』
「情報を持ち逃げしておさらばなんて、この私が許しませんわ。
すべて覗かせてもらいますわね」
『なに……!?』
エルマさんの話しぶりを聞いているうちに、俺とレゼルも閃いた。
――そうだ!
エルマさんにはあの技がある!
『探査』――。
俺がかつて、彼女から直接この身をもって受けた龍の御技。
他者の神経系を乗っとり、強引に脳内の情報を搾取するという恐ろしい技だ。
だが……。
「エルマさん、そいつにも『探査』はできるんですか!?」
俺への問いかけに、エルマさんは普段どおりの何気ない様子でうなずいた。
「長々と戦っているあいだに、この方のからだの構造はだいたいわかりました。
私のちからは『生』を操るものですが、生と死は隣りあわせ。
死の塊であるこの方も、私のちからから逃れることはできませんわ」
そう言って、彼女はサヘルナミトスの額に指をトン、と当てた。
「でもお母さま、その技は……っ!」
俺が初めてその技を受けたときのように、レゼルが止めに入ろうとした。
だが、次の瞬間には聞き覚えのある共鳴音が響きわたっていた。
深い森の湖のなかに、石を投げいれたかのような静かな音――。
『探査』
『が……っ!』
技の発動とともに、サヘルナミトスは苦悶の表情を浮かべた。
今まさしく、エルマさんのちからが奴の神経系にあたるものを乗っとろうとしているところなのだろう。
まさか客観的にこの技の発動を見る日が来るとは思わなかった、の、だ、が――。
「あ……! あぁっ……!!」
――そ、そんな。
こんなのってアリかよ……!
からだの震えがとまらない。
俺は初めて、『探査』のほんとうの恐ろしさを知った気がした。
サヘルナミトスは最初こそ苦痛で顔をゆがめていたが、徐々に恍惚とした表情へと変わっていき、やがてとても他人には見せられないような快楽の表情へと変貌してしまった。
俺の脳裏に、過去に『探査』を受けたときの壮絶な記憶が蘇る。
――そうなのだ。
この技を受けた者は神経系を支配され、封印していた記憶の扉をも強引にこじあけられ、暴かれる。
人間としての権利を剥奪する、まさしく『凌辱』に等しき行為。
その支配に抗っているうちは、とてつもない苦痛を味わうことになる。
だがやがて、自身の抵抗が無力であることを悟り、ひとたび彼女の支配に身を委ねてしまうと……。
その先に待っているのは、からだの境界がなくなってしまうほどの『快感』だ。
『ハアアアアァァァ……♡』
サヘルナミトスが見せる醜態に、過去の自分の姿を重ねてしまう。
思わず手で自分の口元を覆ってしまった。
とうとう見るに耐えなくなって、俺はなにか救いを求めるように、隣のレゼルへと目を向けた。
……俺の隣では、レゼルが両手で顔を覆っていた。
――俺、俺、俺っ……!
俺も、あんな顔してたのかなぁ……っ!!
やがて、サヘルナミトスがこれまた人にはとても聞かせられないような恍惚の声をあげた。
『き、きもちいいっ……♡♡♡』
それが、サヘルナミトスの最期の言葉だった。
冥府の王は徐々にからだが朽ちはてていき、とうとう砂のように崩れさってしまった。
俺とレゼルに(とくに俺に)、深い心の傷を残して。
今回の場面は次回に続きます。
次回投稿は明日の19時に予約投稿の予定です。余裕があれば少し早めに手動投稿します。何とぞよろしくお願いいたします。




