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第218話 死の烙印

『グオオオオォ……』


 サヘルナミトスはレゼルの渾身の一撃を受け、おおいに苦しんでいた。

 もともと定まった形状をもたないからだはズタズタにひき裂かれ、かたちが崩れている。


 レゼルは与えられた役割を見事に果たし、俺とエルマさんのもとへと戻ってきていた。


 いつの間にか地を埋めつくしていた蜘蛛(くも)(さそり)たちも姿を消している。

 維持しているだけの余裕がなくなったのか、あるいは維持していても無駄だと悟ったためだろう。


「レゼル、やりましたわね。見事ですわ」

「はいっ、お母さま!」


 レゼルの『和奏(わそう)』による一撃は、サヘルナミトスの瘴気で構成される思念体にもかなりの深手を負わせていた。


 奴の傷口ではいまだにレゼルの清らかな風の自然素が渦を巻きつづけている。

 渦巻く気流が傷の再生を阻害し、そこから瘴気を漏れだしつづけさせているのだ。


 サヘルナミトスはなんとか元々のからだのかたちを取りつくろいながら、こちらへ向かって叫びはじめた。


『キサマらアアァッ!!

 生者の分際で死の王に立てつくとは何事かアアァッ!!』


「……コイツ、ついに本性を現しやがった……!」


 その叫び声は耳をふさぎたくなるほどに耳障りで恐ろしげな声。

 今は怒りを隠そうともせず、最初の好翁(こうおう)ぶりはもはや見る影もなくなっていた。


『生きとし生ける者は、すべて必ず死する定めにある!!

 つまりワシこそが、この世を統べる神であるということなのだアアアァッ!!』

「私たちの主神は『光の龍神』さまのみ!

 (おの)が領分を踏みこえて理不尽な破滅をもたらすならば、(しゅ)にかわって私たちがあなたを裁きます!!」

『人間の分際でワシを裁くというのか愚か者めがァッ!

 キサマらを、死の世界へと引きずりこんでくれるわ!!』


 サヘルナミトスのからだが波打つように大きくうねりだし、奴の体内で瘴気が濃縮しはじめた。

 レゼルの攻撃を受けてからだの大きさ自体は小さくなったが、今現在のほうがよりいっそう色濃く、大きな存在であるかのように感じられる。


 だが、レゼルとエルマさんもからだはすでにボロボロでありながら、『冥府の神王』にまったく引けをとらぬ闘気を見せている。

 いよいよ互いに死力を尽くし、戦いは最終局面へ突入しようとしていた!


「レゼル、サヘルナミトスがまだどんな手を隠しているかわかりません。

 心してかかりますわよ」

「はいっ!」




 レゼルとエウロ、エルマさんとセレンは、それぞれサヘルナミトスのまわりを周回しながら、隙をうかがっていた。

 追いつめられたサヘルナミトスが、どんな手を使ってくるかわからないからだ。


 ……レゼルは決して油断などしておらず、むしろ慎重すぎるくらいであった。

 彼女はサヘルナミトスの動きをよく観察し、奴の動向を予測しようと視線の先を追った。


 そうして奴と目が合ってしまった、そのときであった。

 サヘルナミトスの眼が、妖しく赤く、光を放つ!


『カァッ!!』


 ――『天元地元(メルユン・ビデュン)』!!


「なっ……!?」


 赤い光を見たレゼルはエウロの背中の上で大きくぐらつき、からだの均衡(きんこう)を崩した。


 ……彼女の身体感覚は今、天地が逆さまになっていた。

 例えるならば地に足をついているはずなのに、天井に足の裏をつけてぶらさがっているかのような感覚。


 からだに感じる重力が逆。

 景色も上下逆さまであるかのように認識も狂わされている。

 まわりの景色を眺めているだけで頭に血がのぼりそうだ。


 おまけに、前後左右の感覚まで逆転されてしまっている。

 右手を前にだそうとすると、左手を後ろに振りだしてしまうのだ。


「うそ……!」


 ……以前、オラウゼクスにも身体の平衡感覚を狂わされたことがあったが、この感覚の狂いかたはあのときの比ではない!

 レゼルは極度の混乱におちいり、瞬間的にからだを硬直させてしまった。


 そしてその生じた隙を、サヘルナミトスは狙っていた!!


 ――『死の烙印(マルケ・トト)


「!!?」


 サヘルナミトスは『終末へ(フュレン・)と導く光(トゥンターガング)』のときのように両手で円をつくり、今度は輪っか状の光を撃ちはなった!


 血文字のように赤い赤。

 輪っかの中心には俺たちには読むことのできない冥府の文字がぎっしりと書きこまれている。

 血文字のような輪っかはそのままレゼルの胸もとへと飛んでいき、彼女の胸に赤い刻印を刻みこんだ。


 ――しまった……!


 レゼルは、自分の胸に刻みこまれた刻印を見おろした。

 見た目の変化のほかは、痛みや動きの制約に変化はないようだが……。


「これは……!?」

『カカカカカ!! かかったのぅ、小娘よ!

 それは『死の烙印(らくいん)』じゃ。

 その烙印を刻みこまれた者は冥王の権限をもって、確実な死が約束される』

「! なんだって!?」


 ――つまり、レゼルに確実な死がもたらされるっていうことなのか……!?


『死に至るまでに要する時間はこの世の時間に換算しておよそ五分。

 その時間は死を宣告された者が冥府に行く前に、生前の行いを省みるために与えられた時間じゃよおォ』


 先ほどまで怒りくるっていたはずのサヘルナミトスは、今ではよりいっそう陽気に、そして残忍に笑い興じていた。

 そのあまりに醜悪(しゅうあく)な笑いに、俺も心底怒りが湧きあがってくるのを感じた。


「てめぇ……!

 レゼルのような良い子が冥府になんて行くわけねぇだろうが……!!」

『たとえ如何(いか)な善行を積んできた者であれど、冥府行きは確実じゃあ。

 なにせ、冥府の王たるワシのお墨付きじゃからの。カーッカッカッカ!!』

「ならば、その烙印が効果を発動するまでにあなたの息の根をとめるまで」


 エルマさんも努めて冷静を保ちながらも、静かに怒りをたぎらせている。


左様(さよう)

 キサマらがその小娘を助けたくば、その方法しかない』


 ……意外なほどあっさりと、サヘルナミトスは『死の烙印』の解除方法を認めた。

 しかしそれは、奴が絶対に負けないという自信の表れでもあった。


『だが、キサマらにワシを殺すことはできぬ!

 なぜならキサマらは全員、ここでワシに殺されるからじゃ!!』


 そう叫んだサヘルナミトスは、伸縮自在の腕を、自身の口のなかへと突っこんだ!


『ウボオ゛エ゛エ゛エ゛エ゛ェッ!!』


「ッ!!」


 そうして際限なく伸ばされた腕によって、奴のからだの芯から抜きだされたのは、一本の剣。

 刀身に禍々(まがまが)しいほどの瘴気が濃縮された、『冥府の神王』サヘルナミトスの正真正銘の切り札。


 ――『冥王(ヘレクニヒ・)の剣(ヴァキアット)』!!


 それは、罪人の魂をつぎこめばつぎこんだだけ無限に強化されていく(じゃ)の剣。

 今はサヘルナミトスの体内で(さいな)まれていた数千数万という亡者の魂を強引にねじこめられていた。


 散々苦しみながら処罰を待っていたはずの亡者たちは、個としての魂の枠組みを失い、混沌の渦へと飲みこまれ、『冥王の剣』の刀身を成すただの瘴気の塊と化してしまった。

 元は罪人の魂であるとはいえ、あまりにも哀れな顛末(てんまつ)である。


 しかし、『冥王の剣』が秘める瘴気の濃密さは、いよいよ世界を破滅に導くほどの邪をこの世にもたらした。

 この剣が振りおろされてしまえば、エルマさんの『生命』のちからをもってしてもうち勝つことは不可能であろう。

 五分で奴を倒すことなど、もってのほかだ。


「そんなっ……!」


 俺は『冥王の剣』が示すあまりの邪悪さに絶望し、ヒュードとともにその場にへたりこんだ。


「…………」


 レゼルはすべてをあきらめたのか、あるいは死を目前にして自身の生前の行いを省みているのか、一点を見つめたまま動かなくなってしまった。


 こうしているあいだにも、レゼルに残された時間は刻一刻と減っていく。

 いよいよ打つ手はなく、俺たちに時の流れをとめる術はない。


 そんな……!

 今日まで必死に頑張ってきたのに、こんな結末が待ってるなんて……!


 ――レゼルが、死ぬ……!?


 ……俺とレゼルがうちひしがれて動けぬなか、エルマさんはセレンから降り、その場に(かが)みこんだ――。




※レゼルの驚異的な強さは人並みはずれた身体感覚に支えられています。

 しかし実は、彼女はその鋭敏にして繊細な感覚に頼っている部分が多いゆえに、感覚異常をきたす技に大きな影響を受けてしまうという弱点があります。


 今回の場面は次回に続きます。

 元旦スペシャル! 次回は本日20時に予約投稿しています。余裕があれば少し早めに手動投稿します。何とぞよろしくお願いいたします!

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