第213話 逆流の小槌
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レゼルとエルマさんは、サヘルナミトスとの死闘を続けていた。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」
レゼルは普段の戦い以上に体力を消耗していた。
濃密な瘴気に包まれたこの空間は、なかで呼吸をするだけで毒を吸いこんでいるようなものだ。
エルマさんは『生命』のちからの操作で瘴気の毒を無力化できるが、レゼルは毒を中和することはできない。
せいぜい風で周囲の瘴気を飛ばして薄めることができるくらい。
絶え間なく振りそそがれる攻撃をかわしながら、レゼルはサヘルナミトスの隙をなんとか突こうと必死に思考をめぐらせていた。
――多彩な攻撃方法をもっているうえに、自然素の操作では防げない攻撃も多い。
回避も『冥門』を使った移動で隙がない。
単純な強さの比較は難しいですが、オラウゼクス以上にやりづらい……!
レゼルも、オラウゼクスと戦ったときからは自分で認識している以上の成長を見せていた。
エルマさんとの共闘もさすが母娘、初めてとは思えないほどに息ぴったりであったが、それでも苦戦を強いられている。
『もう手札切れかのう?
そろそろみんな仲良く冥土行きじゃな、カカカカカ!』
――手札なら、あるさ。
それは、この俺の存在。
サヘルナミトスは俺のことを知らず、ただ戦いに巻きこまれないように逃げまわっているだけの雑魚だと思っていることだろう。
奴から見て雑魚であることに間違いはないのだが、俺にだって自然素の操作ができる。
そのことを悟られぬようにするために、わざわざ自然素の操作による防御を行わずに瘴気の毒を吸いこんでいるのだ。
奴の注意は完全にレゼルたちへと向けられている。
巻きおこすのはボヤ程度でも、意識の外から攻撃すれば瞬間的に動きをとめることはできるはずだ!
俺は接近を悟られぬように、少しずつ、少しずつ、奴の視野の外へとはずれていく。
そして、完全にサヘルナミトスの背後へとまわり、前方のレゼルたちに気をとられた隙を狙って――!
俺が奴の後頭部に近づいてヒュードと共鳴し、火炎を巻きおこそうとしたそのときのことだった。
ほんとうに、何度見ても信じられないのだが、サヘルナミトスは首だけをぐるん! と百八十度まわし、思いきり目と目が合ってしまった。
奴の血のように赤い瞳の向こう側に、永遠とも思える責め苦を受けて苦しんでいる亡者たちの顔が見えた。
――まずい、殺される!
『オヌシは先ほどからちょこまかと小うるさいのう。
あとでじっくり処罰してやるからそこで黙っておれ』
ピョコタン!
――え?
いつの間にやらサヘルナミトスの手に玩具のような小槌が現れ、俺は頭を思いきり叩かれてしまった。
別に痛くはない。だが……!
『逆流の小槌』
「んなんっじゃ、こりゃあぁ!!」
俺のからだはみるみるうちに子どものように小さくなってしまった!
思わず悲鳴をあげたが、声も途中で声変わりする前の高く細い声になってしまった。
自慢じゃないが、小さいころは少女みたいな天使の声と言われてたんだ。
「あっ……」
俺は急に握力が弱くなったので、誤って手綱を離してしまった。
からだが小さくなったので龍鞍への膝の固定もすり抜けてしまう。
「うわあぁッ!!」
俺はヒュードの背中からすべり落ち、瘴気の蜘蛛と蠍がひしめく地面へと真っ逆さまに!
……が、そうはならなかった。
代わりに俺の背中と後頭部を包んだのは柔らかな感触とぬくもり。
そしてラベンダーと柑橘系を混ぜた香油の香りが、鼻をくすぐる。
俺は間一髪のところでレゼルに抱きとめられ、助けられたのだ。
すぐ目の前には彼女の大きくて澄んだエメラルドの瞳があり、心配そうに俺の顔を覗きこんでいた。
「グレイスさん、大丈夫ですか!?」
「あっ、ああ! 危ないところだった!
助かったよ、レゼル」
「ええ! それは、よかっ……た……?」
「……ん?」
「…………」
敵がすぐ目の前にいるのだというのに、レゼルはなぜだか頬をほんのり赤く染め、急に黙りこんでしまった。
(ちっちゃいころのグレイスさん。
か、可愛い……!)
「レゼル、前! 前!
ぽーっとしてないで逃げろぉっ!」
「はっ!」
サヘルナミトスの伸縮自在の腕が嵐のように飛んできたがかろうじてかわし、俺とレゼルは命からがらその場を離脱した。
小さくなった俺を抱えて逃げるレゼルを、サヘルナミトスの両腕や殺人蜂が容赦なく追撃してくる。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ。強い……!」
「俺、一生元の姿に戻れなかったらどうしよう……」
……いや、戻れるか戻れないかどころの話じゃない。
このままだと、全員この場で殺されてしまう……!
『カハアァァァ……。
まったく、憎き光の龍神がつくったこの世界ではちからがでぬワイ。
せいぜい冥界での五分の一といったところかのぅ』
サヘルナミトスはため息のように瘴気を吐きだしながら、そんな恐ろしいことをつぶやいている。
どうやらこの世界の住人にとって瘴気が毒になるのと同じように、冥界の住人にとってこの世界に満ちる生命の光は毒になるものらしい。
つまり、奴は本来のちからをほとんどだしきれていないということになる。
全力で戦うことができていたなら、どれほど強いというのだろうか……!
「…………」
エルマさんはサヘルナミトスがレゼルを追撃してるあいだ、反撃に転ずるのではなく遠くから戦いの様相を観察していた。
そしてなにかを見いだしたのか、彼女はレゼルを呼びだした。
「レゼル、こちらへ!」
「! はい、お母さま!」
呼びだされたレゼルは、エルマさんのもとへ戻っていった――。
※『逆流の小槌』は和名だと(ぎゃくる の こづち)と読みます。
※サヘルナミトスの体内には地獄に落ちた罪人たちの魂が囚われており、永遠の地獄の苦しみを味あわされています。
この罪人の魂自体がサヘルナミトスのちからの源にもなっており、サヘルナミトスに近づくと、これらの罪人たちの呻き声が聞こえてきます。
今回の場面は次回に続きます。
次回投稿は明日の19時に予約投稿の予定です。余裕があれば少し早めに手動投稿します。何とぞよろしくお願いいたします!




