第205話 冥府の神王
◇グレイスの視点です
◇
ヴィレオラと屍龍は死霊たちの台座から、地にいる俺たちの前へと降りたった。
そして、おもむろに懐から短剣を取りだすと……。
その短剣で、自身の腕を深く斬りさいた!
「!?」
「コイツ、なにを……!?」
真っ赤な鮮血が、ボタボタとヴィレオラの白い腕を伝い落ちる。
しかし、彼女の顔に浮かぶのは愉悦の表情。
血液が真水のように大地に沁みわたるとともに、この場の空気が変わっていくのを感じる。
息苦しいような、胸が押しつぶされるような……。
彼女をとり巻く瘴気が、いっそう濃くなったのだろうか。
そして、ヴィレオラと屍龍の足もとに特大の『冥門』がひらかれた。
今までにひらかれたどの冥門よりも巨大な門だ。
「死の国より出でて、怨敵を滅したまえ。
『冥府の神王』、サヘルナミトス!!」
「!?」
突如として、冥門のなかから巨大な黒い腕が伸びだしてきた!
人間の十倍はあろうかという大きさ。
腕はそのまま、ヴィレオラと屍龍が座していた死霊たちの台座へと伸びていった。
「ウガァウッ!!」
台座をなす死霊がその腕に身をひき裂かれ、悲鳴をあげる。
そして、腕が台座に突っこんだ瞬間、台座をなすすべての死霊が一瞬で塵芥と化してしまった!!
塵芥はヴィレオラの足もとの冥門へと吸いこまれていく。
死霊たちはその者を地の底から呼びだすための贄となったのだ。
同時に、太鼓をうつような重低音が鳴りひびき、ひとつうち鳴らされるたびに大地を大きく揺るがした。
さらに地の底から、誰かの笑い声が聞こえてきた。
いっけん陽気だが、身の毛がよだつような声。
聞いてるだけでまるで掃き溜めのなかを歩いているかのような気分にさせられる。
その不快な声は、湧きあがるようにして地表へと迫ってきている。
……そしてついに、その者は姿を現した!
『 カーッ カッ カッ カッ カァッ !! 』
冥門から、ズルリと黒き巨人が這いだしてきた!
そのからだがでてくるのと同時に、濃密な瘴気があふれだし、あたりに立ちこめた。
瘴気に触れた草木が枯れ、たちまち腐敗してゆく。
黒き巨人は胸から上だけを門から覗かせており、その顔は若く美しい男のものから醜く老いた男のものまで、一時として留まることなく変化しつづけている。
黒きからだは軟体……いや、霊体のようだが、表面はヌラヌラと湿った光沢を放っていた。
さらにその半透明なからだのなかでは、蒼白く光る死者の魂が出口を求めて無数に彷徨っているのであった。
――冥府の神王、『サヘルナミトス』。
この世界に生きる者で、その名を知らぬ者はいない。
光の龍神とならび、最古の神のひとつとして名を連ねる存在である。
サヘルナミトスはまず最初に、その耳障りな声でヴィレオラへと話しかけた。
『おうヴィレオラ、久しぶりじゃのう』
「冥主よ、ご無沙汰しております」
『まったく、不躾に呼びだしおってからに。
かつての相棒のよしみがなければ、この場で貴様の腸をひき裂いているところだぞ、ヴィレオラ』
サヘルナミトスが言葉を発するたびに、その口からは濃厚な瘴気が吐きだされているようだ。
あたりに立ちこめる瘴気が、よりいっそう色濃くなっていく。
「ふふ、そう恐ろしいことをおっしゃいまするな冥王よ。
どうしてもあなた様のおちからをお借りしなければならぬ状況だったのです」
『フン、まぁよいわ。して、何用じゃ?』
「まだ生前ではありますが、直々に冥府へと連行し、魂の判決をくだしていただかねばならぬ者たちがおります」
『なるほどのう。
では、ワシはどいつを地獄に引きずりこめばよいのだ?』
「そこに立つ『風』の自然素の使い手と、『生気』の使い手を。
……あとの者どもは私が制裁いたしますゆえ」
サヘルナミトスはヴィレオラが指し示したほうをうかがい見た。
彼女が指し示していたのは、レゼルとエルマさんであった。
『ほほぅ、ワシが相手するのはアヤツらか……ムムッ!!』
そこでサヘルナミトスは前のめりになり、こちらに目を凝らした。
どうやら奴は、レゼルとシュフェルのことをじっと見つめているようだ。
……いや正確には、彼女たちがにぎる『神剣』を見つめていたのだ。
『おお、リーゼリオンにヴァリクラッドか!
久しぶりじゃのう。
若僧にいいように使われていると思っていたが、いつの間にやら奴の手からうまいこと逃れたようじゃな、カカカ』
「え……?」
「なんだァ、コイツ……。
アタシたちの剣に向かって、昔のトモダチみたいに……」
レゼルたちが首をかしげていると、サヘルナミトスはさもおかしそうに高笑いをした。
『カッカッカ!
もちろんリーゼリオンとヴァリクラッドのことはソヤツらが幼体のころから知っておるワイ。
トモダチどころか、憎き光の龍神の同胞じゃがのう。
人間の道具に使われていい気味じゃ。
カッカッカ!』
「……?」
『なんじゃ、知らんのか?
オヌシらがにぎって『神剣』などと呼んでいるものは、かつて龍神だったもののなれの果てじゃ!』
「え!?」
「それじゃあ、コレは……!」
レゼルとシュフェルは自分たちがにぎっている剣を見おろした。
リーゼリオンとヴァリクラッドの刀身が、サヘルナミトスの言葉に反応するように鈍く光を放っている。
まるで奴へと向けて、敵意を露わにしているかのように。
――『神剣』は神々が造りし剣ではなく、かつての龍神そのもの……!?
たまらず龍神教の教皇でもあるレゼルが、待ったをかけた。
「お待ちください、サヘルナミトス……さまっ!
神剣がかつての龍神たちの化身であるとは、いかなることなのでしょうか!?」
『ほほぅ、気になるようじゃな。
じゃが、オヌシがはるか太古の経緯を知って、いったいなんになるというのじゃ?』
「冥主よ、そろそろ彼の者たちに判決を」
『うむ、それもそうじゃのう!
……どれどれ』
ヴィレオラに催促され、サヘルナミトスは再び地面にひらく冥門から身を乗りだした。
奴の赤い目がよりいっそう赤く、妖しく光る。
……それはレゼルとエルマさんの魂の罪状を調べあげる、冥府の審判者の目!
『カレドラル国女王レゼル!
その母、エルマ!
両名に判決を言いわたす。
オヌシらに特段罪はないが、ワシの気分で全員死刑じゃ!!』
滾る溶岩を今にも噴きださんとする火口のように。
サヘルミトスの口のなかに、みるみる黒い炎があふれていく!
『カアァッ!!』
『炎熱地獄』!!!
サヘルナミトスは口から地獄の業火を放つ。
この世のものではない、罪深き死人を永遠に苛みつづける黒炎だ。
「!!」
黒炎は最初に、シュフェルのほうへと浴びせかけられた。
シュフェルはクラムに指示をだして、とっさに炎を回避する。
サヘルナミトスは口から炎を吐きだしたまま首だけ一回転させ(!)、炎で自分とレゼルたちを囲いこんだ。
黒い炎は地面の上で延々と燃えつづけ、瘴気を含んだ煙をあげている。
地面は溶け、炎の囲いを境い目として、ずるりと地盤が沈下した。
そのまま地盤はたちまち落下の速度をあげ、奈落の底へと落ちていく!
上方に取りのこされたシュフェルが、穴を覗きこみ、叫んだ。
「姉サマ! 母サマ!!」
「シュフェル! ヴィレオラを頼みます!」
黒炎はレゼルたちの頭上で絡むように結びつき、巨大な炎のドームとなった。
沈下していった地盤は黒炎のドームに包まれたまま、真下の『下板』へと墜落していったのであった――。
次回投稿は明日の19時に予約投稿の予定です。余裕があれば少し早めに手動投稿します。何とぞよろしくお願いいたします!




