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第198話 この腐敗した世界

「ずっとおかしいとは思っていたんだ。

『ご献体(けんたい)』が欲しいと言えば、すぐに遺体がでてくるんだからな。

 今思えば、死因のよくわからない遺体ばかりだった。

 だがまさか、研究の材料とするために囲われている人間がいるとは夢にも思わないだろう……!?」


 オルカは『罪人の村』の住人が『ご献体』として屠殺(とさつ)されて利用されていることを知ったときに、すぐに研究所の管理者へと抗議したという。


 しかし、研究所の管理母体は帝国政府である。

 所詮、この研究所は帝国の利益とするために稼働されているにすぎないのだ。

『新薬』が帝国政府を経由して法外な価格で売却されていることも、オルカは知っていた。


 結局、彼女の抗議はすぐに棄却(ききゃく)され、『新薬』の生産をとめることはできなかった。


「事実に気づいたとき、私は再び絶望の底へと叩きおとされたよ。

 数多くの人々の命の犠牲と、私の血のにじむような努力の結果が……。

 人間が勝手にさだめた基準によって命が評価され、罪人から貴人へと『命の置き換え』が行われるようになっただけの、失敗作だったんだからな」


 オルカは頭を抱え、苦痛に満ちた表情を浮かべた。


「私は人間の心臓を使わなくとも薬の毒性を中和する方法を、何年も探しつづけた。

 だが、どんなに必死になって探しても探しても、見つからないんだよ。

 そんな方法は……!」


 俺がオルカに出会ったのは、彼女が絶望し、身も心も疲れきっていたときだったというわけだ。


 ……いかに彼女が稀代(きだい)の天才であったとしても、人間の命を思いのままに操ることはやはり容易なことではなかった。

 人生のすべてを研究に捧げ、運命に裏切られつづけてきた彼女の心中はどれほどつらいものだっただろうか。

 想像することはできても、その苦しみは彼女にしかわからないものだろう。


 俺は彼女に、問いかけた。


「……だからあんたはこの研究所と、自身の破滅を望んでしまったのか?」

「まぁね。

 ……しかし、わざわざ自分で命を断つまでもない。なにもしなくたってもうじき、()()()()()()()のだからな……!」

「なに……!?」


 オルカは椅子から立ちあがる。

 そしておもむろに、上に着ていた白衣や服を脱ぎはじめた。


 ……白衣や服の下で、オルカが身にまとっていたのは()()()()()()

 彼女はその保護具すらも脱ぎさり、上半身すべて裸となる。


 ……しかし、彼女の乳房(ちぶさ)はただれて完全に崩れおちていた。


 胸からへそのあたりまで赤い帯に包まれているかのように(みにく)い肉が盛りあがり、血と(うみ)がにじみだしている。

 そこにただようのは、否応(いやおう)なく迫りくる絶対的な死の気配。


 俺は激しく動揺し、胸が早鐘をうっていることを自覚した。

 そして同時に、大きな疑問を抱くこととなる。だって、彼女が冒されている病は……!


「お前、なんで……!」

「ふふふ、笑えるだろう?

 私の人生を狂わせた病が、私自身の命まで奪いさろうとしているのだから」


 ……オルカが冒されている病は、彼女自身が『新薬』の開発によって、人類が克服したはずの『不治の病』だった。

 だが、『新薬』自体はとうに完成されていたはず。なのに、なぜ……!


「お前……! なんで自分でつくった薬を使わなかったんだよ……!」

「言っただろうが。

 私のつくった新薬は、『命の置き換え』をするだけの失敗作にすぎなかった、とな。

 そんな失敗作を使うのは、私の矜持(プライド)が許さないんだよ」


 ……嘘だ。


 俺は知っている。

 こいつがほんとうは誰よりも繊細(せんさい)で、他人のために身を尽くす人間であるのだということを。


 オルカは薬を使わなかったのではない、使えなかったのだ。

 自分が生きのびるかわりに、死す人間がいることを知っていたから。

 その因果をつくりだしたのは、ほかならぬ自分なのだから。


 オルカはもはや、浅く、速くなる呼吸を隠そうとはしなかった。

 病が彼女の命を(むしば)み、息をあがらせているのだ。

 彼女は息も絶え絶えになりながら、話を続けた。


「私はこの病を治す方法を見つけるために人生のすべてを奉げ、戦ってきたつもりだ。

 しかし、結果はどうだ?

 死す定めにあった人間は生きのこり、生きつづけるはずだった人間には理不尽な死が訪れる。

 命の選別が行われるようになっただけじゃないか!」


 彼女は、醜い肉のみが盛りあがる胸に手を当て、ちからを込めた。

 指と指の隙間から、膿まじりの血がにじんであふれだす。


「……これは、神がさだめる人の運命をねじ曲げた罰なんだよ!

 だから私はその病に冒され、醜い肉の塊となって死んでゆくのさ。

 こんなに笑えることがあるか?

 アハハハ!」

「オルカ……」


 指の隙間からあふれる血はとまることなく、オルカは狂ったように笑いつづけていた。


 しかし、彼女は突然笑いやみ、糸が切れた人形のようにガクンとうなだれた。


「……なぁ、グレイス。教えてくれ。

 お前は今のこの私の姿を見てどう思う?

 私はいったいなんのために生まれてきたのか、私が生まれてきた意味を、お前には答えられるのか?

 私は、私は……!」


 そしてオルカは俺に問いかけた。

 苦しげに、なにかを請い願うかのように。


「私は今でも、人間か……?」


 オルカの頬を、ひと筋の涙が伝う。


 病に生きてきた意味を奪われ、生きてきたからだを奪われ。

 ……そのとき見せた涙は、ようやく彼女が俺に見せた本音なのかもしれなかった。


 俺は歩みより、思いきり彼女のからだを抱きしめた。

 ……オルカの胸からにじみでる血が、熱い体温とともに俺の衣服に染みこんできたが、構いやしなかった。

 彼女の血潮(ちしお)と温もりは、あふれでる涙とともに。


「ああ、お前は人間だよ。

 切なくって、胸が痛くなるほどにな」

「うぐっ……うっ……うっ……!」


 オルカは俺の胸のなかで、子どものように泣きじゃくっていた。


 彼女が泣きやむまでのあいだ、俺は部屋の天井を見つめていた。

 彼女の嗚咽(おえつ)と鳴りやまぬ警報音だけが、虚しく聞こえてくる。


 ――彼女はただ、想いを吐きだせる場所が欲しかっただけなのかもしれない。

 ただひたすらに真理を追い求めるだけのこの研究所に、そんな場所はなかっただろうから。




 ……やがてオルカは落ちついたのか、涙をぬぐいながら離れるように俺のからだを押した。


 俺はなんだか申しわけない気持ちになったが、彼女には正直に想いを伝えなければならない。

 ――そのとき俺の心のなかをふっとよぎったのは、美しく輝くエメラルドの瞳。


「すまない。

 俺は、あんたを支える男にはなってやれない。

 今の俺には、支えてあげたい(ひと)がいる」

「ふん、白馬の王子にでもなったつもりか?

 私にそんな男はいらん。

 さっさと自分の女のところにでも戻るがいい」


 オルカは白衣をまとうと、再びポケットのなかの操作盤を操作した。


 すると、部屋の奥にあった隠し扉がひらいた。

 隠し扉のさらに奥から、厳重な装丁(そうちょう)の箱が機械仕掛けで運ばれてでてくる。


 彼女が暗証番号を入力すると、箱の蓋がひらいた。


「……だがまぁ、久々に思いきり泣いてすっきりした。

 約束は約束だ。

 礼として、お前に役立ちそうなものをくれてやる」


 箱のなかに納められていたのは、ルビーのような輝きを放つ結晶。

 手のひらに収まる大きさだが、触れなくとも伝わってくるほどのちからを秘めていることがわかる。

 それは、『龍の鼓動』にも似た命の波動。


 箱のなかは数段の棚になっていて、そうした結晶がいくつも詰めてあった。


「オルカ、これは……?」

「これは、『新薬』の研究を続けていて、偶然に発生したものだ。

 人の心臓から毒性を中和する成分を分離して抽出する際に、同時にこの結晶が析出されるんだ」


 ――彼女によれば、この結晶を身に付けているだけで、外を徘徊(はいかい)している死霊兵が近寄ってこないのだという。

 奴らと戦うのであれば、きっとなにかの役に立つだろう。


 オルカは箱のなかから結晶をひとつ取りだし、大事そうに手に取った。

 その輝きは、まさしく命の輝き。


「結晶は、全部で百個ほどある。

 ……そしてその数はそのまま、私の研究で犠牲になった人たちの数だ」


 よく見ると箱の底はフェルトで覆われており、結晶はひとつひとつ丁寧にくぼみに納められている。

 犠牲になった人々の命に、せめてもの敬意を表しているかのように。


 俺はオルカから箱を受けとると、大切に抱きかかえた。


「所長室に向かった連中が戻ってこないぞ!」

「オルカ所長は無事なのか!?」


 ……また部屋の外が騒がしくなってきた。

 そろそろまた部屋の様子を見に、第二陣がやってくるころだろう。

 潮時(しおどき)だった。


「所員を殺した以上、私もここにはいられないだろう。

 私は私専用の避難通路で脱出する。

 お前はどうするつもりだ?」

「俺もうまいことずらかるさ。

 こう見えて()()じゃないんでね。

 研究を生業(なりわい)にしている連中につかまるようなヘマはしないさ」

「そうか、なら好きにするがいい。

 ……もう二度と会うことはないだろう。

 世話になったな」


 研究所員たちの足音が近づいてきている。

 いよいよほんとうにお別れのときがきたようだ。


 俺は(きびす)をかえし、出口のほうへとからだを向けた。


「じゃあ、俺は行くよ」

「あぁ、達者でな。

 せいぜい犬死にするなよ」


 ……俺はこのまま立ちさろうと思ったがふと思いたち、オルカのほうを振りかえった。


 ――もしかしたら、エルマさんのところに連れていけば今の状態でもオルカの命を救うことはできるのかもしれない。


 だがそれは果たして、ほんとうに彼女が望むことなのであろうか?

 彼女に心の平安をもたらす行為なのだろうか。


 オルカがあまりにも多くの代償(だいしょう)を払って克服する術を見つけたその病を、エルマさんがなんなく治してしまったとして、彼女はいったいなにを感じるというのだろう。


「なぁ、オルカ。最後に聞かせてくれ。

 研究所がこうなった今でも、あんたが一番に望むものはなんだ?」


 彼女はいつものごとくニタリと笑い、さらりと述べた。

 まるで、明日の天気のことでも話すかのように。


「世界の破滅だよ。

 帝国も騎士団もどうなろうが私の知ったことじゃない。

 互いに殺しあってみんな滅べばいいのさ。

 私を裏切りつづけた、この腐敗した世界もろとも、な」




 次回投稿は明日の19時に予約投稿の予定です。余裕があれば少し早めに手動投稿します。何とぞよろしくお願いいたします。

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